Advent-09


「墓を、掘り起こすだって?」


 ヴィセの顔つきが険しくなった。テレッサは慌てて手を交差させ、ヴィセの気を逸らす。


「怒らないって約束! そうやってヴィセくんの秘密を嗅ぎまわる奴がいるって噂!」


 ≪バロンにはラヴァニ村の血が流れておらぬ。説明がつかぬとなぜ分からぬのだ≫


「それが分かるような賢い奴なら、そもそも墓を掘り起こすなんて事は考えないさ」


 ヴィセは気が気ではないものの、あまり寄り道をしている暇はない。


 本命は霧の消去、浮遊鉱石の発見であり、モニカの調査はあくまでも過程の1つだ。その過程にすら手を付けていないのに、他の事に気を取られていてはアマンに申し訳ない。


 ≪我だけが飛んで確認しに行っても良いぞ。ヴィセはバロンと調べ物をすればよい≫


「いや……大丈夫だ。それよりもモニカの調査を。とはいえ、俺は頭が良い訳でもないし、何をどう調べていいのやら」


「えっとね、みんなに聞けばいいと思う!」


「みんな知っているなら、今頃世界中どこも霧を怖がっていないよ」


「あ、そうか」


 ヴィセは頭の回転が速く、聡明な青年だ。しかし辺境の小さな村の教育などたかが知れている。バロンにいたっては、まともな教育を受けた事すらない。ラヴァニに関しては論外だ。


「町の歴史書とか、地学書なんかはどう? ヴィセくん達はドラゴニアや浮遊鉱石の事をどこまで知ってるの?」


「そうだな……協力を仰ぐなら、こちらの知っている事を話すべきだよな」


「あまり聞かれたくないのは理解してる。でも話を聞いて、思い当たる事を挙げるくらいなら出来ると思う」


 ヴィセは浮遊鉱石の効果や世界についての疑問を打ち明けた。


 なぜ海上だけが無事なのか、何故モニカの汚染度は低いという調査が出ているのか。


 テレッサは町の学校をそこそこの成績で卒業し、若くして店を継いで軌道に乗せるくらいには頭が良い。ヴィセにとっての助っ人だ。


 ≪すまぬが、我は人の知識のみで話をされるとついてゆけぬ。聞いているだけで精一杯だ≫


「俺だって変わんないさ。化学の実験? 重い空気? さっぱり分からない」


 ラヴァニは早々にギブアップし、バロンにいたってはニコニコしながら足をぶらぶらさせているだけだ。何も考えていない。


「霧がなぜ大陸から流れ出ないのか、それは普通の空気よりも霧の方が重いから。分かるよね」


「霧の下には空気がないってことか? でも息は出来た」


「霧の中にも風は吹いているし、酸素は循環しているんだと思う」


「さんそって何?」


「あー……空気の一部、かな」


 習わなければ分からない事は多い。ヴィセは自身の経験で語り、自身が得た知識で考察するのは得意だ。だが知識の部分が圧倒的に足りていない。


「火を燃やす時、酸素がない場所だとどうなるか知ってる?」


「酸素がどうか分からないが、空気があれば火は消えない」


「違うの。空気の中に酸素が含まれているから、ライターやマッチの火が消えないの。火は酸素を使いながら燃える」


「じゃあ地下室に下りる時、火が消えたら危ないと言っていたのは……空気がないんじゃなくて、酸素がないって意味だったのか」


「俺、さんそ見たことなーい!」


 ≪我も見た事がない。どのようなものだ≫


 テレッサによる簡単な化学講座が始まるも、付いてきているのはヴィセだけだ。バロンがじっと一点を見つめて目を凝らしているのは、おそらく酸素を見ようとしているのだろう。


「目に見えないくらいちっちゃいから、見えないのよ」


「じゃあ、手でこうしたら酸素捕まえてる?」


「そうね、そこらじゅうにたーくさんあるわ。息が出来るってそういうこと」


「えー? でもヴィセは目に見えないものは信じないって言った」


 バロンが会話に加わると、まるで話が進まなくなる。テレッサはバロンに昼寝を提案し、2階の自室へと案内した。


「ごめん、でも助かった。そういえばあいつ、俺のペースにずっと合わせてたんだよな。もう少し昼寝の時間とか考えてやればよかった」


「ま、学校に通えば昼寝の時間なんてないんだけどね。集中力がなくなってるのは、眠かったり疲れてるからって事もあるわ」


 バロンが昼寝に入った事で、2人と1匹の勉強会は少しずつ成果を上げ始める。途中で紅茶を入れて貰い、ヴィセは拙いながら思い付きの仮説を立てるまでになっていた。


「地面すれすれが一番空気も重い……高い所の頭の上より、低い所の頭の上の方が、空気の層は厚い……それが気圧、か」


「正解とも言えないけど、今はそれでいいと思う。浮遊鉱石が霧を吸って力を失っているというのは、軽い浮遊鉱石が重い霧を溜めてしまう事が原因かも」


「浮遊鉱石自体が重くなってるってことか。じゃあ霧は軽いものに吸収される?」


 ≪霧は海に吸収されたと言わなかったか。海ははるか深くまで続いておると聞いた。海水が軽いのなら、今頃空に浮いているだろう≫


「あー……なんかちょっと捉え方が違うけど。でもそうね、軽いものに吸収されるという訳ではないという事になるわ」


「分からなくなってきた! 何で海や海沿いだけは霧が消えて、地面の汚染も殆どないんだ? そりゃあ汚染されたままの場所もあるけどさ」


 ヴィセはテレッサと共に紙の上に絵を描きながら、霧がどうやって消えたのかを考えている。いつしかそれはモニカではなく、海についての疑問へと脱線していた。


 ≪霧の方が海よりも重いという事ではないか≫


「……えっ?」


 ≪溶けたのではなく沈んだのではないかと≫


 ラヴァニの頭は冴えていた。


 海に消えたとばかり思っていたが、ヴィセもディットのような科学者達も、これまでそうではない可能性を考えた事がなかった。


 霧は海に溶け、何らかの反応で中和された。それが今の世界の定説であり正しい解になっている。理論や考察はそれを前提にして成り立つ。


 だが、本当にそうだろうか。それを立証した者がいない。


 人類は霧によって棲み処を追われ、多くの高度な学問や知識を失った。今の化学者たちも、残されたなけなしの学問を独学で理解しているに過ぎない。


 残された僅かな土地と文明に生きながら、常識を疑い、新しい理論を生み出す程の余裕はなかったのだ。


「待て待て。さっきテレッサが霧の下でも息が出来るのは、空気があるからではなく酸素があるからだと言った。風のおかげで循環があるからと」


「海の水も循環してるから、霧が微量でも検出されなきゃおかしいってこと? 深い所に溜まったせいで、海水面までは上がって来れないのかもよ」


「じゃあ、海沿いの地域は? 大津波で地表を洗われたとしても、標高1000メルテを超えるだろうか」


「海と地面の上じゃ、浄化のメカニズムが違うってこと? というより、そもそもモニカ付近の汚染の話だったよね」


 テレッサは議論自体は無駄ではないと言いつつも、話の軸を修正しようと提案する。


「そうだった。モニカの周囲には海がないし、霧が沈むと言ってもなあ。この辺の土地って、霧が覆った後どうしてるんだ?」


「牧草地や畑なんかはシートを被せたりしてるわ、全部は無理だけど。土壌汚染は各地でサンプルを取って、レベル1~5で危険度を知らせてくれるの」


「汚染されてたら? 土を全部入れ替えるのか?」


「今までレベル3になった事はないけど、レベル1が平常時、レベル2がちょっと汚染されてる状態。2になったら数値が下がるのを待つわ」


「え? 汚染が……なくなるのか?」


「空気と一緒よ。少しずつ薄まるんじゃないかしら」


「いやいや、土は循環するのか?」


 テレッサや町の者達にとって、時間の経過が汚染を解決する事は当然の知識だった。だが、ヴィセは他所でそのような話を聞いた事がない。


「海沿いの土地は、海に近いせいじゃなくて……時間経過が土壌を改善させた?」


 ≪霧が世界を覆っているのを見るに、霧は土より重くない。沈んだのではなさそうだ。土に何か霧を吸収するものがあるのだろうか≫


「吸収するもの? なあ、浮遊鉱石の成分って、何で出来てたっけ」

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