Advent-06



 エマの家に戻った後、バロンはすぐに封印を発動させてラヴァニを小さくした。ラヴァニをぎゅっと抱きしめて安心しつつ、「この大きさのラヴァニが一番好き」と言ってラヴァニを困らせる。


 外は僅かながら陽の光も差し始めた。霧の下へ向かった救助隊にとっては追い風だ。


「さあ、2人ともシャワーを浴びてきて。イワンは服を洗うから洗濯かごに! ヴィセくんも、その格好でホテルに戻ったら追い出されちゃう」


「ですよね、すみません」


「ラヴァニさんも。そんな汚れた姿じゃドラゴンの威厳が台なし」


 ≪……ヴィセが拭くだけでは駄目なのか≫


「観念しろ、行くぞ」


 ヴィセとバロンはエマの家でシャワーを借り、さっぱりしてから明日以降の動きを話し合う。エマはどこか残念そうだったが、弟の各地での奮闘を喜んでもいた。


「雨が平気でシャワーが苦手っておかしいね!」


 ≪湯が降り注ぐ雨などない。言っておくが、雨も得意ではないぞ≫


「それ威張るとこ?」


 バロンはラヴァニとの合流が余程嬉しいのか、ラヴァニを抱えたまま会話を楽しんでいる。


「やっぱり明日旅立ってしまうんだね」


「旅に出た最初は、こんな大きな話になるとは思っていなかったんですけど……ドラゴン化も、治す方法はまだありませんし」


「イワンが物凄く重要な事をしようとしているのは分かってる。凄いよ、私はそんなイワンが誇らしい。ただ……やっぱり一緒に過ごせないのは寂しいなって」


「俺も姉ちゃんともっと一緒にいたいけど、ドラゴニアがなくなっちゃうの嫌だし……霧も消したい」


「うん、私も嫌だな。霧がなくなれば、世界はその分広くなる。その時が来たら、私もドラゴニアに行ってみたいな」


「うん! 一緒に行こう! 動物もいるし、えっとね、山とかもある!」


 ドラゴニアの写真を見せ、このような場所だと教えたが、空に浮かんでいる姿は撮っていない。万が一の際に存在や場所を知られないためだった。


 ドラゴニアから周囲を撮れば、それは何の変哲もない風景に見える。草原や山など、どこにでもあるものだ。エマは意外と普通だと言って笑った。


「明日、飛行艇でモニカに向かって……」


 ≪ヴィセ、我の羽ばたきの方が速いぞ≫


「えっ? いやまあ、そうだけど」


 ≪我と共に行くと決めたのだろう。我を隠す必要がないなら、堂々と乗り込めば良い≫


 崖崩れから人々を救出した件は、あの場にいた者以外にも広まる。ラヴァニと行動するのなら、モニカにいることも知れ渡る。それならば堂々と向かおうというのだ。


 ≪本来の姿を見せたなら、悪人も容易には近寄れまい≫


 ラヴァニは自身が恐れられている事を最大限利用するべきだと主張する。もっとも、今はバロンに頬擦りされ、撫でまわされているのだが。


「分かった。もう開き直って行動するか。誰もが注目している中なら、悪人も俺達に接触出来ないかもな」


「ねえ、ラヴァニさんは何を言ってるの?」


「えっとね、背中に乗って行ったらいいのにって言ってる」


「モニカくらいならひとっ飛びかな? 楽しそうね」


「姉ちゃん、乗せてもらう?」


「えっ? いやいや、私は……」





 * * * * * * * * *





「キャー! キャー! ひやぁぁぁ!」


「あはは! 姉ちゃん嬉しそう」


「どこ、どこが! きゃあー! 怖い、怖い!」


 エマが悲鳴を上げている。


 ……ヴィセのはるか上空で。


 ドラゴンの背に乗る機会など滅多にない。ドラゴンの血を持たない者に限るなら、乗った事があるのはネミア村のジェニスと、ジュミナス・ブロヴニクのミナだけだ。エマは世界でも数少ないドラゴン乗りの異名を持つことになる。


 エマはそう言われ、思い切って郊外まで行き、ラヴァニの背に乗ったのだが……。


「きゃああああ! 落ちる、落ちる!」


 ≪失礼な女だ、我が落ちるはずなどない≫


 ラヴァニは時折急降下したり、急上昇したり、旋回したり……少しだけサービスしてみせる。ドラゴンの飛行能力を自慢したいのだ。今のところ、逆効果である。


 だが、エマが乗りこなしているかと言われると、それは怪しい。エマは驚きと恐怖で終始叫んでおり、まるで遊園地で乗り物に乗ったバロンだ。


 エマは鞍の持ち手をしっかり掴み、人生で一番の大声を上げている。


「姉ちゃん! 前見て、前!」


「ま、前?」


 エマは風に目を細めながら、ゆっくりと前方を確認する。


「うわ、うわっ」


 目の前に広がるのは、雲と霧に挟まれた狭い空。その先に光のカーテンが浮かび上がっている。雲の切れ間から零れた光が筋状に続いているのだ。


「すごい、綺麗……」


 エマはようやく叫ぶのをやめ、おそるおそる周囲を見渡した。体を少しだけ倒して下を覗き込めば、ドーンの町並みが手のひらほどの大きさしかない。


「人の世界って、こんなに狭いんだ……」


 ラヴァニにはエマの呟きが聞こえていたが、バロンに聞こえていなければ理解は出来ない。人の言葉をラヴァニ単独で理解する訓練はまだしていない。


「姉ちゃん! どう! ラヴァニに乗れて良かった?」


「ええ! そうね、良かったわ!」


 声は速度と風で殆ど聞こえない。エマとバロンは大声で会話をしながら満足そうだった。


「……視点って、自分では変えられないものね。誰かに変えてもらう必要があるんだわ」





 * * * * * * * * *





「じゃあね、イワン。元気でやるのよ、また戻ってきて」


「うん!」


「ヴィセくん、ラヴァニさん。イワンを宜しくお願いします」


「はい。バロンは俺達が思っている以上に成長しています。楽しみにしていて下さい」


 翌日、エマは飛行場へ見送りに来てくれた。上司が遅刻を許可してくれたという。上司とは、ドナートを捕らえる際に協力してくれたシード主任だ。


 飛行艇でモニカに行く訳ではない。そもそもヴィセ達の飛行艇チケットは欠航で流れている。ヴィセは受付で払い戻しを希望し、ついでに飛行艇が飛び去った後、滑走路を使わせてくれないかと頼んだ。


「このドラゴンが羽ばたくには広い場所が必要で……そこまで行くのも大変だし、許可して貰えるなら有難いのですが。使用料が必要であれば支払います」


「あのね、ここで元の大きさに戻るんだよ!」


 受付の女性はぽかんとしていたものの、警備員と一緒であればいいと言ってくれた。ヴィセ達は午後の離陸を待つ飛行艇を尻目に、ラヴァニを元の大きさに戻す。


 警備員も、飛行機のメンテナンスをしている者達もびっくりだ。


 エマはしっかりとバロンを抱きしめ、急いで縫い上げたワッペンをバロンに持たせる。ドーンファイブの5人の仮面をあしらったものだ。


「イワンが生きていると分かって、私の世界は広がった。私には帰りを待つ人が出来た」


「俺、また帰ってくるよ。次はお土産も持ってくる」


「うん。今回帰って来たイワンは……すごくしっかりした子になってた。早過ぎるけど独り立ちしたあなたを見て、私も……歩かなきゃって思った」


 ≪我らがいずれ、世界を広げてやろう。そなたの弟は、これから偉業を成し遂げるのだ≫


「ラヴァニも、バロンが大きな事をするから、世界は広がると言ってます」


「楽しみにしてます、ラヴァニさん」


 ラヴァニに鞍を取り付け、ヴィセとバロンがラヴァニの背に乗る。飛行場の柵の向こうは、何が起こるのかと見守る者が張り付くように凝視している。


「姉ちゃん! じゃあ行ってきまーす」


「ふふっ、まるでちょっと近所に遊びに行くみたいな口調ね。行ってらっしゃい! すぐ帰ってくるのよ!」


 ラヴァニが羽ばたき、強い風が吹き乱れる。エマや周囲の者が腕で目を覆った次の瞬間、もうラヴァニは皆の遥か頭上に舞い上がっていた。


「あれ、あんたの弟か!?」


「ええ、ドラゴンと友達なの」


 エマは返事をしつつ、穏やかで力強い眼差しのままバロンを見つめていた。


「まったく。私との別れだけは泣かないんだから」

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