Advent-02



「ヴィセはね、俺の仲間が霧の中で帰れなくなった時、探しに行ってくれた。どこにいるか分からなくても、生きてるか分からなくても助けに行ってくれた」


「……イワンは、ちゃんと追える背中があるんだね。ちゃんと、生き方を示してくれる人がいるんだ。……そっか、うん」


 エマが知らない間に、イワンは昔の病弱で病院から出た事もないような子供ではなくなっていた。幼少期はスラムの仲間達が、今では親ではなく、姉でもなく、1人の青年がお手本になっている。


 エマはそれを寂しく思っていた。


「俺、だから行かなくちゃ。ヴィセは自分が危険でも、嫌われる事になっても、誰かがやらなくちゃいけない事をする。俺もヴィセに全部任せない」


「うん、それがイワンの決めた生き方ならそうしなさい。でも、自分の命もヴィセくんの命も大切。自分が犠牲になればいいなんて……思わないで」


 エマはバロンの成長に殆ど関われていない。エマはそんな自身の境遇を振り返ってもいた。


 当時13歳、学生の時に災禍で親と弟と伯父を失った。


 故郷に帰っても小さな家と僅かな農地が遺されただけ。畑の耕し方も知らなければ、作物の収穫の仕方も分からなかった。


 それ以降、エマは誰の助けも借りずに必死に生きて来た。


 大切な人を失う事を恐れ、1年の始まりの祝祭も、星祭りの夜も、たった1人で過ごしてきた。エマには背中を見せてくれる者も、手を引いてくれる者もいなかった。


「怪我するかもしれないけど、死なないよ」


「私は……もう1人になりたくないの」


「もう1人には戻れないよ。俺が生きてるって分かったから」


 ヴィセの前では無邪気な子供でいても、エマの前で弟を演じていても、バロンはしっかりした子供だった。スラムを逞しく生きた日々は伊達ではない。


 エマは涙を浮かべながらバロンを抱きしめ、震える声でも少しおどけた口調で「怪我も駄目」と付け加える。バロンが「分かった」と返事をした時、玄関のノッカーが響いた。





 * * * * * * * * *





「姉ちゃん泣いてたけど、知り合いでも巻き込まれたのか?」


「ううん、えっとね、危ないから死ぬって泣いた」


「……誰が」


「俺が」


「ああ、バロンの事が心配だったって事か」


 ヴィセはエマからバロンを託され、ラヴァニが誘導する方へと走っていた。ドラゴンの血のおかげか息切れもしない。バロンもしっかりと後に続いている。


 大雨の中、湿度が高く視界は霞んでいる。毒霧が上がって来た訳ではないが、これでは捜索も難航するだろう。


 レンガ敷きやアスファルトの道が途切れ、土を均しただけの道が始まる。足首ほどまで水に浸かりながら、2人はようやくがけ崩れの現場までたどり着いた。


「おわっ!? これは……酷い」


「すっごい穴!」


「おい、あんまり先に行くな」


 大雨が降る前、家々は道の両側に建っていた。しかし、今ははっきりと真下に広がる霧を眺めることが出来る。道は大きく崩れ、道沿いの家々も数十メルテに渡って飲み込まれてしまった。


 辛うじて崩落を免れた家々も、基礎の下まで露出している。いつ足元が弛んで崩落するか分からない。


 着の身着のまま家から飛び出した者、次は自分の家だと泣き崩れる者、隣の家が崖下に落ちたと泣き叫ぶ者、現場は大混乱だ。


「これ、ラヴァニが降り立ったら更に被害が広がりそうだ」


 ≪霧の下に潜った所、いくつかの家の姿があった。崩れてはいたが、まだ息のある者もいよう≫


 ラヴァニがヴィセ達より少し離れた位置に現れた。その場の皆が驚き、短く悲鳴を上げる。


 かつてドラゴンが襲ったのは兵器工場と、排水処理のずさんな鉱山だけ。町を焼き払ったのはドラゴンではない。真実が分かったとは言っても7年もの間、ドラゴンは恐ろしい存在として記憶され、語られてきた。


 怖いものは怖い。頭では分かっていても、心が拒否反応を示してしまう。


「状況を教えて下さい! 巻き込まれた家は何軒ですか! 巻き込まれたと思われる人数は!」


「な、何あなた達!」


「他所のもんが野次馬か? それとも新聞のネタにするつもりか」


「違います、何人助けなければならないのかを知りたいんです」


 ヴィセは野次馬扱いされた事に言い返すことなく、冷静に尋ねる。周囲の者にムッとしたとしても、助けを待っている者を見捨てる事は出来ないからだ。


「ラヴァニは大丈夫だよ! 俺の友達! キャロルよりちょっと強い!」


 バロンはポケットからお気に入りのキャロル人形を取り出し、拳を作り両手を顔の前で交差させる。キャロルの決めポーズだ。


「ラヴァニって何だ、キャロル? あの演劇屋の?」


「やだ、観光客? 危険な状況なのが分かるでしょ? あたし達を怒らせに来たの?」


「助けるって、誰が助けられるんだよ、次に落ちるのは俺の家だぞ!」


「私はおばあちゃんの家が飲み込まれたの!」


「もしかしてあのドラゴンの仕業?」


 現場はパニックになっていて、どうする事も出来ない住民の心配と苛々は募っていく。捌け口はヴィセ達に向かおうとしていた。


 ≪この者らは助けられることに不満でもあるのか、意味が分からぬ≫


 この状況なら混乱も仕方がない。だがここで意味のない言い合いや弁解をしている暇はない。ヴィセは手っ取り早く正体を明かす。


「ドラゴンと共にドナートを捕らえ、悪事を暴いた旅人だと言えば分かってもらえるか! ドーンキャロルのモデルはこの子だ!」


 ドナートの悪事を知らない者はいない。そして、それを暴いた者がドラゴン連れの旅人である事も知れ渡っている。言葉にならないのか、1人の若い男が崖のすぐ先で羽ばたくラヴァニを指差す。


 ヴィセは頷き、再度助けに来たのだと伝えた。


「あ、あんた達が来てくれたのは有難いが、相手は悪人じゃねえ、崖崩れだ」


「そうだ、いくらドラゴン連れで機転が利くニイチャンだとしても、これは……」


 家々は土砂に埋まり、もう息絶えた者もいるだろう。皆、救い出せるとは思っていない。警備隊が駆け付けたとしても、恐らく出来る事は何もない。


 こうして心配し、悲しみ、いつしかそれは追悼の意へと変わっていく。今はそれを割り切って考えられないだけだ。


 ヴィセもここにいる者達に成す術がない事は分かっている。悲しむ暇があったら何かしろと言うつもりもない。ただ、自分なら救えるかもしれない、だから情報が欲しい、そう思っていた。


「理由は明かせないけど、俺とバロン、それにドラゴンのラヴァニも霧の中で呼吸が出来る! ラヴァニの背に乗って霧の下に行き、生きている人がいれば救出する!」


「霧の毒もラヴァニが治せるよ!」


「霧の毒を、治せる?」


 ドラゴンが持つ治癒能力に関しては、まだ全ての町で情報共有出来た訳ではないようだ。これからそれが広まれば、もっとドラゴンと人との距離は縮まるだろう。


「勿論、救えなかった人も、最後の1人まで霧の上に運ぶつもりだ。だから、正確な情報を教えて欲しい!」


 皆は悲観しているが、万が一の可能性に縋りたくもあった。奇跡が起きるとすれば、偶然居合わせてくれた目の前の旅人以外に成し遂げられる者はいない。


「家は、あっちに見える家まで崖側に……7、内側に4軒」


「えっと、あそこにはお婆ちゃん、その隣が……2,3,1……」


「ゼムスさんの家、確か今日は留守だったよな」


「ジミーさんはここにいる! アメノの爺さんの家はみんな無事だ」


「多分よ、多分だけど、全部で21人!」


 次第に皆が協力的になっていき、ようやく被害状況を把握することが出来た。ヴィセは感謝を述べ、もう1つだけ尋ねる。


「ラヴァニが降り立てる場所を教えて欲しい!」


 地盤のしっかりした場所を探していると分かり、数人が一斉に路地の先を指し示す。ヴィセ達が走り去り、ラヴァニが頭上を飛んで行く。


 それを目で追う皆の不安と絶望は、いつしかヴィセ達や被害に遭った者達の無事を願うものに変わっていた。

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