14・【Advent】起こり得た災厄

Advent-01



 14・【Advent】起こりえた災厄



 ドーンに滞在して5日目の事だった。


 昨日から大雨が降り続け、仄暗い上に今日は風も強い。飛行場は閉鎖、殆どの店は臨時休業となっている。職業紹介所も休みとなり、エマはバロンと家でゆったりと過ごしていた。


 本来なら、今日はバロンがモニカへと旅立つ日だった。しかし移動手段がなければどうにもならない。世界のため、ドラゴニアのため、急がないといけない事は分かっている。それでもエマは弟と過ごせる時間が1日増えた事で嬉しそうだ。


「イワン、お昼のご飯はどうする?」


「あのね、目玉焼き! 俺ね、白身だけ最初に食べてね、最後に黄身を一気に食うのが好き!」


「私もそうだったなー、姉弟って似るのね」


「ヴィセはね、白身を折り畳んでね、包んだみたいにして食べる。ラヴァニはゆでたまごが好き」


 好物を食べさせ、バロンの読み書き帳を手伝い、お気に入りのドーンファイブの写真が多い演劇本を読んでやり、小物を縫ってやる。エマは姉としてやりたかった事を全てやるつもりでいた。


 バロンの手にはドーンキャロルの人形が握りしめられている。着ている服の胸元にもドーンキャロルのお面がプリントされていた。


 キャロルのモデルがバロンだと知り、バロンはそれはもう熱狂的なキャロルファンになった。おまけにヴィセと2人で劇を見に行った日、受付の者がバロンの顔を知っていたため、最後の挨拶の際にバロンを壇上に呼んでくれたのだ。


『俺はキャロル。君の勇気だ』


 そう告げられた時、バロンの大きな目は輝き、耳はピンと立ち、尻尾は大きく振れた。同じくキールの横に立ったヴィセは恥ずかしそうにしていたものの、バロンはキャロルと決めポーズを取りながら感激で大泣きしていた。


 何か一言、と言われ、バロンは泣きながら「キャロルかっこいい、俺ね、キャロル好き」と必死に告げた。大きくなったらキャロルになるとまで言い出す始末。鶏が先か、卵が先か。バロンが先か、キャロルが先か。


 どちらが本人か分かったものではない。その日は4番人気のキャロルのグッズが完売したという。


「おまえのような悪人は許さない! おとなしく捕まれ! ……キールは高利貸しのベンズを追いかけます」


「キャロル! もうすぐキャロルが出る!」


 エマの朗読に、バロンはキャロルの登場を今か今かと待っていた。何度も読んでもらった次のページで、キャロルが悪人の前に立ち塞がる事は知っている。


 しかし、そのページは捲られなかった。


 ≪バロン、聞こえるか≫


「あ、待って! ラヴァニの声がする!」


「ラヴァニさん? こんな嵐の中で近くを飛んでるの?」


「ドラゴンは嵐になんか負けないよ。キャロルよりちょっと強いと思う」


「そ、そう……随分と強いのね、じゃあ平気かな」


 バロンがラヴァニの声に耳をすませる。ラヴァニの声は穏やかではなく、どこか急かすようだった。


 ≪間もなくヴィセが迎えに来る。力を貸せ≫


「えー? 何ー? 今日は飛行場お休みだからどこにも行けないよ?」


「町の外れで土砂崩れが起きておる。気付いた者が殆どおらず、台地の淵に建っていた数軒の家が飲み込まれた」


「イワン、ラヴァニさんは何て言ってるの?」


「えっと、えっと……町のね、気付いた人がいなくてね、起きて家で何か飲んでる」


「……何のこと?」


 聞きなれない言葉が多いせいか、バロンは何を言われたのか分かっていない。ラヴァニは少し考えた後、言葉を復唱しろと伝えた。


 だがそれも「ふくしょーって何?」と言われたため、ラヴァニはまたしばし考えた後、言う事を真似しろと伝えた。


 ≪町の北で≫


「町の北で」


 ≪土砂崩れが起きておる≫


「どしゃくれが生きておる」


 ≪土砂崩れ≫


「あ、間違った、どしゃくずれ」


 ≪数軒の家が≫


「スーケンさんって誰?」


 ≪そのまま繰り返せ、疑問は後だ。数軒の家が≫


「スーケンの家が」


 ≪飲み込まれた≫


「のみこまれた」


 バロンは繰り返しながら、ようやく土砂崩れが起き、人が巻き添えになっている事を理解していた。ただ、土砂崩れも気になっていたが、バロンの頭にはスーケンという名の謎の男が浮かんでいる。


 一方、たどたどしい復唱に首を傾げていたものの、エマはラヴァニが何を伝えたいのかを読み取ることができた。


「え、土砂崩れで家が巻き込まれてるの!? 町の北って、平地のギリギリまで家が……まさか、土砂崩れで家々が霧の下に」


 ≪バロン。姉にその通りだと伝えろ≫


「バロン、姉にその通りだと伝えろ」


「やっぱり……」


 エマは大慌てで服を着替え、外に出る支度を始める。防災無線はまだ鳴っていない。誰も助けを呼べていないという事だ。


 ≪真似は終わりだ。ヴィセは役場に連絡を取り、これから助けに行くと言っておる、そなたも我も力になれと≫


「分かった! 姉ちゃん、あのね、ヴィセが助けに行くって、俺も行かなくちゃ」


「えっ!? 外は大雨よ? 危ないから家にいて。そうだ、紹介所に電話しなくちゃ」


 エマは慌てて電話に駆け寄り、紹介所の番号を押す。その間、バロンはお気に入りのキャロルシャツの上に長袖の服を着始めた。


「イワン! 土砂崩れが起きて家が飲み込まれてるの、そんな危険な所に行かせられない!」


 エマはかけようとした電話を慌てて切り、バロンを行かせまいと立ちはだかる。


「あなたまで巻き込まれたらどうするの!」


「俺、ヴィセとラヴァニがいるから大丈夫だよ」


「町のみんなでなんとかするから、お願い、いい子にして」


「良い子は困ってる人を助けるんだよ。俺、キャロルと約束した」


「でも、本当に危険なの! 家ごと霧の下に落ちちゃったかもしれない。あなたまで失ったら、私……」


 エマは涙目で行かないでくれと懇願する。10歳の子供が向かうような場所ではないし、行ったところで何が出来るわけでもない。何より、万が一足場が崩れてしまったら、土砂と共に霧の中へ真っ逆さまだ。


 けれど、バロンは引かなかった。勿論、姉の気持ちが分からないのではない。


「霧の中は危ない。変な生き物がいるし、霧は体にすっごく悪い」


「そう、そうよ、だから……」


「俺は霧の中でも息できる。ドラゴン化したら負けない。助けられるのに助けないのは駄目だよ」


 人助けをしたいという気持ちは尊重したい。けれど、弟を危険な目には遭わせられない。エマはドーンキャロルの存在を教えた事を悔やんだが、ため息をついて条件を付けた。


「土砂崩れは分かるよね」


「分かるよ」


「家ごと押し流されたら、みんな無事でいるか分からない。分かるよね」


「うん」


「じゃあ、どうやって助けるのか、それを教えて。助ける方法が分からないのにとりあえず行くなんて駄目」


 バロンはそこまで深く考えていない。エマはそう思っていた。ヴィセに事情を話せば、エマの気持ちを考えて留守番していろと言ってくれるはずだ。


 そんなエマの思いに反し、バロンは自分の考えを語り始めた。


「耳を澄まして音を聞くでしょ、そしたら手をドラゴン化させて掘るんだ。助けたらラヴァニの背中に人を乗せて上まで運ぶ」


「そんな事が……出来るとは思えない」


「出来るか分からないからやらない、ヴィセはそんな情けない事言わないよ。助けられないかもしれないけど、助けられるかもしれない。だから俺は行く」


 バロンの意志は固い。その目は力強く、思わずエマが目を逸らすほどだ。


 バロンはヴィセを慕っている。それは憧れのキャロルと同等か、それ以上にも思えた。バロンにとって、ヴィセは友達でありヒーローだった。


「ヴィセはそうやっていーっぱい色んな人を助けて来たよ。俺もヴィセみたいになりたい。ヴィセはキャロルよりずっと強い」


 バロンは幼さを残しつつも、ヴィセの背中を見ながら確実に成長している。エマはヴィセを羨ましく思いつつ、ため息交じりに「分かった」と伝えた。


「……勝てないかもしれないから戦わない、そんな英雄はいない、か」

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