remedy-06


 ヴィセはふと、バロンが一緒に来る理由が分からなくなった。


 当たり前のように一緒に行動しているが、ドラゴン化とは向き合うしかないと言われた後だ。もうバロンに姉と離れて生きる動機はないと思えた。


 対して、ヴィセはバロンのお陰でちゃんとしなければならない。バロンがいるから踏ん張れる。毎日が寂しくなく、誰かを守っているという自負がヴィセ自身を成長させてきた。


「何で一緒に行くのかってこと?」


「ああ、そう聞いたつもりだけど」


 この期に及んで、ヴィセは自分こそバロンに頼っていると気付いた。そして願わくば旅を続ける限り、いつまでも共に行動できればと考え始めた。


 ドラゴン化としっかり向き合い、怒りを制御できるようになったなら、バロンは大勢の友人知人に囲まれて生きていくことが出来る。


 ドラゴンの血がある以上、結婚する事もできないし、いずれは歳を取らない事に疑問を持たれ始める。その秘密を暴こうと、検査したいと言われるかもしれない。


 それでも、これから10年や20年は人として変わりない生活を送れるだろう。


「ん~とね」


 バロンはヴィセの真面目な問いかけにしばし考え込む。バロンにとって、これからの旅は何のためなのか。読み書きも同じ歳の子達より遅れており、一般常識もやはり足りていないだろう。


 一番多感な時期に同年代の子供と離れ、大人の庇護下にも置かれずヴィセ達と旅をする必要があるのか。


「えっとね、俺ね、ヴィセとラヴァニと一緒にいるのが好き」


「それだけか」


「うん!」


 バロンは元気よく頷いた。バロンはあまり考える事が得意ではない。スラムで培った機械いじりなどは得意だが、物事に対し熟慮するより先に体が動く。


 今の旅も、ドラゴン化を治したいという動機だけでなく、ただヴィセとラヴァニと共に旅をするのが楽しいだけだ。そして、それで十分だと思っている。


 どんなに仲間が多かろうと、スラムでの生活は人生のどん底だった。そこから救い出してくれたヴィセを親よりも慕っている。子供が親と過ごすように、兄弟と過ごすように、バロンはヴィセ達と一緒に暮らしたいだけだ。深く考えてなどいない。


「同じ年の友達とか、いらないのか」


「ユジノクに戻ったらいっぱいいるよ」


「みんなと……一緒に毎日楽しく過ごしたいとは思わないのか」


「俺今が楽しいよ。俺ね、みんなにお土産とかあげたい」


 楽しい、それだけで一緒に旅をさせていいのか。ヴィセは右も左も分からないバロンから、普通の生活を奪ってしまったのではないか。それが心配だった。


「ヴィセ、やっぱり俺がついてくるの、嫌?」


「嫌じゃない、バロンがいてくれたら俺は頼もしいと思ってる。寂しくない」


「楽しい?」


「ああ、楽しいよ」


 ヴィセは責任を感じていた。今まで10歳の少年を養っている自覚はなかった。いつか、自分との旅を後悔するのではないか、他人に養われていたならもっと賢い大人になれるのではないか。


 ヴィセは思慮深いが、決して教養がある方ではない。ラヴァニはなおさらだ。


 バロンはヴィセが何か悩んでいると気付き、心配そうに声を掛ける。


「ヴィセ、大丈夫?」


「……バロン。正直に言う、俺は知識や教養が満足だとは言えない。町の皆が学校で勉強している頃、俺は簡単な読み書きと計算、それに昔話だけで育った」


「俺も学校行ってない!」


「3年間誰とも会わない生活を送ったせいで、人との付き合いも一歩引いてしまう。同年代の奴らより知らない事が多いし、出来ない事も多い」


「ヴィセのこと、俺凄いと思うもん」


 バロンが大きくなった時、ヴィセはそのまま慕うに値する人物でいられるのか。いつか、ヴィセがバロンから見放されないか。そんな不安がこみ上げてくる。


「……俺についてきて、本当にいいのか。俺のせいでみんなより馬鹿に育つかもしれないんだぞ」


「……」


「俺より賢くなったら……俺なんか、要らないんだぞ」


「俺ヴィセより馬鹿だもん。でもヴィセは俺のこと要らないって言わないよ、何で?」


 バロンの純粋な疑問を受け、ヴィセはハッと気が付いた。バロンやラヴァニにも、ヴィセと旅をする動機がない。それぞれが一緒に旅をしたいから旅をしている。


 賢い者から知識を得るためではないし、金銭的に利用するためでもない。もちろん、ただ暇だったのかもしれない。


 目的が何であれ、集まって何時間も喋り、経験を共有し、しょうもない発見で騒げる。どこに行くにも一緒。それは友達だ。


 友を全員失くしたヴィセは、その感覚を忘れていたのだ。


「……バロンが、友達だから」


「俺ね、ヴィセは友達だけど兄ちゃんと思ってる!」


「そっか、それで良かったんだ。俺、ちょっと自信がなかったのかもしれない」


「地図とか見てさ、いっぱい考えてさ、いっぱい分かってさ、霧の事とか詳しくなったよね」


「……それは、そうなるようになっただけで」


「じゃあさ、ヴィセより頭良い人が霧の事とか何もしないの、何で? ヴィセの方が凄いって俺思うけど」


 バロンは出来なかった事ではなく、出来た事をどんどん挙げていく。どんなに落ち込もう、自信をなくそうと考えても、バロンはその逃げ道を塞いでいく。


「俺、楽しい」


「そっか。俺は目的ばっかり求めてたのかもな。次は何をしないといけない、その次はあれが残ってるって。楽しく生きる事を忘れてた」


 楽しむのが難しい場面も多かった。命を狙われた事もあり、怖がられた事もある。他人に憎悪の感情を向けられ、人の死体も数えきれないくらい見て来た。


 だが、楽しめる時はなかったのか。ジュミナス・ブロヴニクの海で日が暮れるまではしゃいだのは何だったのか。


「嫌な事もいっぱいあったけど、楽しい事もいっぱいあったな」


「うん」


 ヴィセは抱え込んでいたものを少し捨てようと決心した。知識や教養が足りないのなら、自分から学べばいい。出来ない理由を考えるよりも、やろうとすればいい。


「俺、勉強しなくちゃな」


「学校に行くの?」


「行ってみたかったけどな。自分から色々調べて、人の話を沢山聞いて、そうして学ぶんだ。バロンも一緒にするんだぞ」


「えーやだ」


「同じ年の子に勝ちたいと思わないのか?」


「……負けるのは、やだ」


 いつの間にか2人の会話はいつもの調子に戻っていた。トメラ村はもうすぐだ。早くドーンに着きたい2人は真っ先に飛行場に向かい、午後の便のチケットを購入した。





 * * * * * * * * *




「ねーちゃぁーん!」


「えっ、イワン!? イワンなの……おっと!」


 2時間のフライトの後、乗り物に弱いバロンは30分程ぐったりしていた。久しぶりのドーンは生憎の曇り空で、風が吹けば肌寒いくらいだ。


 極寒の高緯度ではないものの、標高は1500メルテ程。秋になれば寒くて当然の環境だった。


 紹介所の中にはもうストーブが置かれていて、職員達は制服の上にもう1枚羽織って業務に従事している。バロンはその中から真っ先に姉を見つけ、弾丸のように駆け寄った。


「ちょ、ちょっとしがみ付いたら動けない! イワン、ああ……よく顔を見せて」


 姉のエマは驚きながらも嬉しそうに微笑み、突進してきたバロンをしっかりと抱きしめる。


「お久しぶりです、エマさん」


「あっ! えっと……ヴィセさん! 旅は終わったんですか?」


「いや、まだ途中なんですけど、近くまで寄ったから」


 まだ旅が終わっていない、それはすなわちバロンが猫人族の体に戻れた訳ではないという事。そして帰って来た訳ではないという事。


 またすぐに旅立ってしまうと悟り、エマは少し残念そうにため息をついた。

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