Innovation 10


 * * * * * * * * *




「ありがとうございました、また是非お越し下さいませ」


「ああ、ここの宿は雰囲気もいいし、飯も美味くて最高だった! また寄らせてもらいますよ」


「ヴィセくん、バロンくん! またね、また会いましょう!」


「ドラゴンさん、やっぱあんたの迫力はすげえよ、ドラゴンちゃんなんて言って悪かった!」


「あはは、元の姿に戻ったら全然可愛くねえんだもん、やっぱり怖いぜあれは。まあ嫌いじゃねえけどな! ラヴァニさん、またな!」


 翌日8時30分。前日に宿泊していた客達がチェックアウトし、それぞれの目的に向かって移動を始めた。昨日大宴会を開いてくれた7人も、それぞれ船で別の町に向かったり、ミデレニスク地区へ向かったりとバラバラになる。


「皆さん本当に有難うございました!」


「またねー!」


 ≪可愛いを取り消してくれたか、我はそれだけで良しとしよう≫


 ヴィセ達は皆を見送り、自分達も出発の準備をしようと部屋に戻る。まだ館内の浴衣着のまま。2人がこんなにゆったりとした朝を迎えた事はなかったかもしれない。


「ヴィセ様、バロン様、ラヴァニ様」


「あ、女将さん」


 ヴィセ達が部屋に戻る途中、廊下でミナとすれ違った。2組が連泊してくれるらしく、布団を換えに行くのだという。


「俺達が持ちますよ、どこの部屋ですか」


「これはあたしの仕事やけん、今日は手伝わんで大丈夫よ。力仕事ならノスケもおるけんね」


「そうですか……。それじゃあ、俺達も着替えたら出発しようか」


「うん、もっと泊まりたかった」


「いつでも来られるさ」


 ヴィセ達はミナにお辞儀を返し、部屋に入る。朝食は終えているため、後は布団を畳んで着替えて出発するだけだ。外の陽気を考えると、長袖は着られない。コートはもう先月から丸めて鞄の中だ。


 浴衣を脱いで、洗濯してもらった服を着る。薄手の白いタンクトップに、半袖の黒いシャツ。体つきを逞しいと感心され、顔を男前だと褒められたからか、ヴィセはやや見栄えを気にしているようでもある。


「服、新調しようかな」


 今までは勧められたままを着て、それで満足だった。動きやすい事、ストレスがない事を優先し、見栄えなど考えた事もない。


「俺浴衣と作務衣好きだった!」


「そうだなあ。旅の帰りになら、土産物として買ってもいいかもな」


 窓の外の海を眺めながら、ヴィセ達は慌ただしかった昨日を振り返る。色々な事があり過ぎて、もう何日もいたような気分だった。それは重い荷物を背負い、何か月も旅をしてきた事の方が新鮮に思える程だ。


「行こうか」


「なんか、寂しいね」


 ≪我がいつでも連れて来てやろう。どこにいてもひとっ飛びだ≫


「有難う。今はドラゴニアを目指すのが先だ。霧の中やドラゴニアで俺達の格好なんて誰も見ない」


 階段を下り、番台の呼び鈴を鳴らす。この鈴の涼し気な音も、しばらくは聞けなくなる。


「はーい! あ、ヴィセくん。やっぱり旅立ってしまうんだね。料理長が昨日の夕食を食べさせてやれなかったってずっと嘆いてるよ」


「いつになるか分からないけど、必ずまた寄ります。ノスケさん、お元気で」


「ああ!」


 ヴィセは昨日の宿泊代をノスケに手渡す。ノスケはそれを受け取り、番台の下から1つの封筒を差し出した。


「これは……」


「昨日の給金だ。ミナさんから預かっていた」


「え、そんな、受け取れませんよ!」


「ヴィセくん達はお客としてでなく、従業員として活躍してくれた。大金は出せないが、タダ働きさせたなんて末代までの恥だと」


 トメラ屋に客を満室まで呼び込み、大宴会で宿の酒がなくなるまで飲み尽くし、急ぐ旅ではないからと、連泊を希望する客まで現れた。


 町の印象も良くなり、この2、3日で町はとても潤った。土産物の魚の干物、酒、野菜、そして浴衣などの工芸品は飛ぶように売れた。砂浜では朝から海水浴を楽しむ若者の姿がある。


「受け取っておくれ。あんたらのおかげでね、ノスケやイサヨにやっとしっかり給金が払えたんだ。満室なんて何年ぶりだろうねえ。あたしがもう一度でええからと願っとった事だよ」


 ミナが奥の部屋から出て来た。手に持っているのは白いシーツ。先程運んだ布団のものだろう。


「でも……」


「その代わり、本当にもう一度寄っておくれ。ドラゴニアに向かうっち、さっきそう話しとったのを聞いた」


「ドラゴニアを、ご存じなんですか」


 ミナはゆっくり頷き、急がないのならと食堂へ手招きした。宿は1泊2食付き。昼食は出していない。料理長は一度帰宅しており、15時頃にまた来るという。


「ノスケ、風呂と空いた部屋を頼んだよ。あたしは食材と酒を頼んでくるけん。食べ物も飲み物も、きれいさっぱりなくなったわ」


「はい。女将さん、張り切り過ぎて疲れが出ても知りませんよ」


「お客もおらんでな~んもせんでおる方が疲れるわ」


 ヴィセ達は椅子に座り、ミナは2本だけ残っていた瓶入りのみかんジュースを出してくれた。ヴィセはそれを少しだけ皿に垂らし、ラヴァニにも飲ませる。


「さて。あんたら、ドラゴニアがどんな所か知っとるんかね」


「おおよそは。ラヴァニが過去のドラゴニアを教えてくれました。今は霧の海に浮かんでいるようです」


「……何も知らずに向かう訳やない、そういう事やね」


 ミナは安堵のため息をつき、自身の湯のみにお茶を注ぐ。立ち昇る湯気をそのままに、もう一度深くため息をついた。


「ドラゴニアを目指して、戻って来たもんはおらんっち、聞いた事はあるかね」


「はい。内陸にあるモニカの町で」


「ドラゴニアの事を調べ上げ、辿り着こうと旅をするお客を何百人と見送って来た。それから、見つけたら知らせると言ったきり、誰一人として戻って来ん」


 モニカでテレッサに言われた事と同じだ。大陸の中では一番霧の海に近いジュミナス・ブロヴニクであっても、やはり帰って来た者はいなかった。


「でもね、俺達は大丈夫だよ! 霧も平気だし、ラヴァニがいるもん」


「あんたらの不思議な体の事は、昨日の夜にイサヨから聞いた。ったく、イサヨのやつは昼まで休みをくれといって寝かぶっとる。お別れを言うのが寂しいのさ」


「必ず戻ってきます。ただ、ドラゴニアの場所は秘密にしていて下さい。もうドラゴニアの争いの種にしたくないんです。霧を晴らし、ドラゴンと人が共生できるまでそっとしておきたい」


 ミナはヴィセの言葉に少し驚いていた。ドラゴニアを探す者は、例外なく自分の物にするだの、ドラゴニアの発見者として名を残すだのと勇む者ばかりだった。


「あんたらは、何でドラゴニアに行きたいんね」


「ラヴァニが行きたいと言っているから。それに、俺も行ってみたくなったんです。その下の大地には、最初に霧を作った町が沈んでいます。霧を消す手がかりがあるかも」


「行くのに燃料もいらんし、霧の中でも呼吸が出来る、か。それならなんとかなるかもしれん」


「はい?」


 ミナが途中から独り言のようにつぶやく。


「……急いどらんなら、少し遠回りなさい」


「遠回り?」


「ああ、もう20年くらい前の事やけどね。霧を発生させた町の生き残りが逃れた里があるっち、教えてくれた旅人がおった」


「えっ!?」


 ≪……我らを駆逐せんとした者の末裔か≫


 エゴールですらそんな話をしなかった。信憑性があるとは思えないが、ミナは真剣だ。


「ねえおばーちゃん、その人は何で知ってたの?」


「……その旅人が里の出身だと言った。その旅人は先祖が造り出した霧を消すために、浮遊鉱石が必要だと」


 ≪興味がある。ヴィセ、我はその地に寄ってからでも構わん」


「分かった。詳しく教えていただけませんか」


「ああ、そのためにあんたらを引き留めた」


 ミナは昼前までその旅人の話をしてくれた。


 ドラゴニアが狙われた理由は、人による空の支配以外に何かがありそうだ。ヴィセはそんな気がしていた。

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