Innovation 09



 バロンは安心したのか、声を抑えきれずに泣き出す。イサヨもこんな子供がどんな覚悟で自分に伝えようとしたのかを知って、可哀想にと泣いている。


「こんな……怖くないかって聞かなくちゃいけない方が間違ってるよね。きっと、その姿でみんなを助けてきたんだね。頑張ったんだよね」


「おねえちゃん、有難う」


「ううん、勇気を出して、見せてくれたんだよね。こっちこそ有難う。私を信じてくれたんだよね」


 イサヨは怖がった人達を悪く言うのでもなく、ただバロンの頑張りと優しさを認め、褒めた。バロンはそれが嬉しくてイサヨに縋りつく。


 まだ、10歳。その大半の時間を楽しむことなく、ずっと厳しい生活を続け、甘えなど許されないまま生きていた。ヴィセは優しいが、それでもバロンはヴィセの邪魔にならないように頑張ってきた。


 本当の意味で甘えられる相手は姉のエマだけ。その姉にも心配させてはいけないという気持ちが働く。自分の弱い部分をずっと出せずに来て、こうして優しさで包み込んでくれる者が現れて、思いが一気に溢れたのだ。


「イサヨさん。ドラゴン化はバロンだけじゃないんです。俺も……」


「ヴィセさんも?」


 ヴィセは自身もドラゴン化出来るのだと打ち明ける。その時、階段の上から声がした。イサヨとバロンの声に、客の何人かが何事かと下りて来たのだ。


「あんたら、まだ働いてたのか?」


「もう休んだらどうだい、寛いでるこっちがいたたまれねえ」


 彼らはヴィセ達が今日、宿泊客であるにも関わらず町と宿のために働いた事を知っている。


「何かあったのか? 騒ぎ声がしたが」


「どうし……お、おいどうしたんだ! その腕、顔も! 火傷でもしたのか!」


「大変、泣いてる場合じゃないですよ! すぐにお医者を呼ばないと!」


 バロンの半身が赤黒くなっているのを見て、客たちは慌てて部屋にタオルや水を取りに戻ろうとする。火傷だと勘違いし、とにかく冷やそうと考えたのだ。


「あの、大丈夫です、落ち着いて下さい!」


「大丈夫な訳あるか! にいちゃん、火傷ってのは酷けりゃ痕が残っちまうんだ! 死んじまうことだってあるんだぞ!」


「違うんです! バロン、ドラゴン化を解いてくれ、みんなが火傷だと思って慌ててる」


 バロンのおかげでイサヨは理解してくれた。けれど今度は別の誤解を生み、その場が騒然としている。バロンは深呼吸をしながらドラゴン化を解き、いつもの姿に戻った。


「……へ、治った? あ、あんなに酷い火傷が一瞬で……」


「からくりなの? 一体、何?」


 宿泊客たちは驚きながらも事態が飲み込めない。本当は真実を知らせる必要などないのだが、ヴィセはバロンの心意気を無駄にしないためにも覚悟を決めた。


 思い返せばドラゴン化を怖がらずにいてくれた者は、旅の中で何人もいた。目の前で恐れられ、嫌われ、化け物扱いされたとしても、分かってくれる者はいた。


 ドラゴン化が治らずにいずれ進行した時、一生全身を覆ってフードを被り、人目を避けて生きていくのか。悪いやつだと勘違いされ、良い事をする機会も手放して生きるのか。


 分かってもらう機会を、自分で手放すのか。


「……俺とバロンは……体がドラゴン化するんです」


「ドラゴン化?」


「ヴィセ……」


「大丈夫。バロンが支えてくれたから、もう大丈夫。有難うな」


 ヴィセは穏やかな笑みのまま、ゆっくりとドラゴン化を始めた。右腕、右足、そして顔の右半分。現れた竜状斑を見て、その場の皆が固まった。


「あ、あんた……」


「さっきの坊やの顔と一緒よ、どうなってるの?」


「これが……ドラゴン化です」


 ドラゴン化によって低く掠れた声が地を這うように伝う。怖がって足がすくんだ者もいたが、イサヨはそっとヴィセを抱きしめ、大丈夫と囁く。


「皆さん、どうか怖がらないであげて。彼らがこうなった理由は、私にも分かりません。でもこの子達の優しさ、健気さは皆さんもお気づきだと思います」


「ま、まあ、そうねえ。男前だし、接客も上手だし、従業員さんじゃなくてただ手伝っているだけと聞いた時には驚いたわ」


「それより、本当に大丈夫なの? 痛くないの?」


 イサヨのおかげで、皆はドラゴンの化け物だと騒ぐ気持ちになっていなかった。それどころかヴィセとバロンを心配し、近寄って来る者までいる。


「怖く……ないんですか」


「あ? そりゃ怖いさ、見た目はな。ドラゴンを見て怖いと思わねえ奴はいない。でも俺達はあんたらの中身を知ってる」


「さ、触っても大丈夫か? 痛くないのか? 元に戻せるなら戻ってくれ、そんな姿をわざわざ見せてくれなくていいんだよ。兄ちゃんがお人好しなのはよーく分かってる」


 怪我じゃないのかと心配され、このような姿を見せなければならない事を哀れんでくれる。そして口々に見た目だけでなく中身も認めてくれる。


 ヴィセの左目から涙が頬を伝う。ヴィセもまた、自分がこんなにも認められたかったのだと分かって静かに泣いていた。





 * * * * * * * * *





「なーんだ、そいつら礼も言わなかったのか! はっ、人でなしったあまさにこの事だぜ」


「どっちが化け物だってんだ、なあ? 自分達が助けられといて、なんつう恩知らずだ」


「それにしても本当にイイ男! やだ、すっごくいい体してるじゃない! ほら筋肉! そっちのぼくも、将来が楽しみねえ、ほんと可愛い顔しちゃって!」


「あんた、旦那の前で若いのひっかけてんじゃないわよ、もう。でも私があと20歳若かったらなあ……おばさんだけど、私なんてどうかしら!」


「あんたこそ旦那の前で何言ってんの。ねえ? うふふ……」


 騒動の後で皆が部屋に戻り、ヴィセ達は大浴場に向かった。ゆっくりした後で部屋に戻ろうとすると、2人と1匹は食堂に強引に引きずり込まれてしまった。


 その場にいたのは7人。先程集まって来た者達だ。


 何かと思えば頑張ったヴィセ達を労うと言いだし、イサヨに宿のビールと酒を全て用意しろと言いつけ、そのまま大宴会が始まる。


「ほらこいつの胸筋! 見てみろよ、力こぶもほら!」


「あ、あの……ちょ、ちょっと!」


「減るもんじゃないし、ほら、ちょっと腕曲げてみ。ほら、ほらすげえ!」


 ヴィセは父親程の年齢の男達から「気持ちの良い男だ」と褒められ、母親程の年齢の女達からは、嘘か本当か分からない程べた褒めのイイ男扱いを受ける。バロンは可愛い可愛いと抱きしめられ、その度に尻尾がブワッと膨らむ。


 ラヴァニはもうドラゴンとして見られてすらいない。お手は出来るのか、何を食べるのかとしきりに聞かれ、意地でもお手をするまいと顔を背けている。


 ≪確かに理解される事は良いことだ。だが我は威厳まで手放したつもりはない≫


「まあ、いいじゃないか。こうやって親しくして貰えて、ドラゴンの味方になってくれるなんて有難い事だ」


 ≪それは分かる、分かるのだ。だがドラゴンちゃんなどと言われては≫


「あはは! ラヴァニがね、ドラゴンちゃんはいやって言ってる!」


「明日、大きくなった姿を見せてくれないか! それよりドラゴン化ってやつ、もう一度見せてくれ! かっこいいじゃないか、なあ!」


 最初はヴィセ達を気の毒に思い、同情心で盛り上げようとしてくれたのかもしれない。それでもこうして大人達が認めてくれ、味方になってくれた事は、ヴィセ達の心を救ってくれた。


 もう23時近いというのに食堂から楽しげな声が聞こえてくる。ここ数年のトメラ屋ではなかった事だ。


「あら、女将さん。起きていらしたのですか」


「ああ、目が覚めたんだ」


 イサヨが最後のビールを運んでいると、ミナが起きてきてそっと食堂を覗き込む。


「あたしはこんな日がもう一度来んかと、ずっと思っとった」


「そうですね……こんな活気、しばらくぶりかも。どうしましょう、お酒が全部出ちゃいましたけど」


「はっはっは、ええ事やないの。あの子達は神童なんかねえ。前を向いて、頑張って、正しい事をしていれば、いつか、いつか報われる。腐る必要はない。そう伝えに来てくれたんやないかねえ」

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