Innovation 08
基本的にヴィセは困っている善人がいれば放っておけない。善人かどうか分からない場合でも、おおよその場合で放ってはおかないお人好しだ。
ドラゴン化したヴィセなら2人くらいは腕に抱えて山を下りる事も出来る。ラヴァニの背に2人ずつ乗せ、町まで運ぶこともできただろう。
けれど、ヴィセは化け物扱いにグッと耐えてまで、更に手を貸す気にはなれなかった。
感謝されるために駆け付けた訳ではない。けれど感謝されたいとは思っていた。ドラゴン化した姿も認めて貰えたなら、それだけでやりがいになった。
そんなヴィセが救助を切り上げたのだ。バロンはその理由を敏感に察知していた。
「ヴィセ、しょうがないよ。だって俺達……化け物だもん」
「そんな悲しい事を言うな。自分で化け物を名乗るんじゃない、人として生きる事を諦めるな」
ラヴァニが夜風を切り、声は殆ど聞こえない。言葉を口にしていても、それらは殆ど意思での会話だ。だからいっそう心にまで深く響いてしまう。
≪我は……時々思うのだ。人は我らにとって浄化の対象ではないのかと。子を残すためでも食料や縄張りのためでもなく争い、憎み合う。そのような者は浄化後の世界に必要だろうか≫
「必要かと言われたなら、必要ないのかもしれないな。きっと俺も、必要かと言われたらそうでもない」
≪伝え方がまずかったか。我はヴィセやバロンのような心優しい者達だけなら良いのにと思ったまで≫
「いつか優しくいられなくなれば、俺はどうなるんだろうな」
「ヴィセ……大丈夫?」
「ああ、ごめんな。報われなくて、ごめん」
ラヴァニにとって、直線距離20キロメルテなど10分もかからない。町の上に差し掛かった時には、機械駆動四輪が3台連なり、バスの地点へと走り出すところだった。
* * * * * * * * *
「ヴィセ様、バロン様、ラヴァニ様! お戻りでしたか」
「あ、はい。バスは無事です、崖から落ちないように押し戻して、ちゃんと倒れていた車体も起こしました」
「そうですか、重たいバスも、皆で力を合わせたらなんとか動くものなんですね」
「あの、作務衣……破れてしまいました、すみません」
「ああ、いいのいいの! 作業で汚れたり破れたりは当然の事です。気にしないで下さい。お怪我はないようですね、それが何よりです」
出迎えてくれたのはイサヨだった。玄関付近の明かりは半分程に落とされ、とても静かだ。ミナの娘夫婦は帰宅し、料理長も既に帰宅している。特に料理長は明日の朝5時から仕込みを開始し、7時には朝食を出さなければならない。
イサヨはバスやヴィセ達の無事を喜ぶ。本当はヴィセ達だけでやってのけたのだが、ヴィセはそれを主張しなかった。ラヴァニも一番小さい姿になっており、見慣れたものだ。
「お疲れのようですし、大浴場をどうぞ。もう皆さんお部屋にお戻りですし、ゆっくりできると思いますよ。今日は、本当に何から何まで有難うございました」
イサヨは深々と頭を下げ、今日1日宿と町のために働いたヴィセ達に感謝をのべた。
分かってくれる人もいる。それは分かっている。けれどヴィセはイサヨの言葉にも寂しそうに「いいえ」とだけ返した。
「バロン、ラヴァニ。風呂に行こう、疲れたよ。今日はもうヒリヒリしないし、そういえば皮も剥けてないな」
化け物と恐れられたが、この驚異的な治癒力のおかげで日焼けはもう治まっている。嬉しいやら悲しいやら、ヴィセは部屋へと洗面道具を取りに向かう。
階段の踏板が小さく軋み、ヴィセのスリッパが軽快な音を刻む。しかし、もう1つ続くはずの軽い音が聞こえない。
「……バロン?」
ヴィセが振り返り、ついてこないバロンへと視線を落とす。ラヴァニもバロンの足元に座っており、動く気配がない。ヴィセがもう1度呼びかける前に、バロンが口を開いた。
「ねえ、おねえちゃん」
「ん? なあに?」
「……おねえちゃん、ラヴァニの事、怖くない?」
「ええ、最初は驚いたけど、怖くないよ。最初の時はごめんね」
イサヨはバロンと視線を合わせるようにしゃがみ、優しく微笑む。ラヴァニが元の大きさに戻って救出に向かったのは、イサヨも見ている。大きなドラゴンが現れた事で、心無い言葉を投げられたのではないかと察したのだ。
「……ねえ、もし、俺が本当はドラゴンだったら、怖い?」
「え? ドラゴン? バロンくんが?」
「俺がね、ドラゴンにね、変身出来たら、怖い?」
バロンはぐっと気持ちを抑え、俯き加減で言葉を絞り出す。
「あいつ、まさか」
ヴィセはバロンが何をしようとしているのか気付いた。慌てて階段を駆け下りるも、バロンは作務衣の左腕をめくり、深呼吸をしたところだった。
「バロン!」
「……ねえ、怖くないって、言ってくれる?」
「え、ええ……でも、どういう事?」
バロンの言いたい事が理解できないまま、イサヨは様子がおかしいバロンを心配している。明らかに雰囲気が変わり、どこからかひんやりとした空気が流れて来た。
「バロン、駄目だ!」
ヴィセがバロンの姿を見せまいと、慌ててイサヨとバロンの間に割って入った。バロンを抱きしめてドラゴン化を始めた腕を押さえ付け、駄目だと繰り返す。
「ど、どうしたんです? まさかバロンくんはドラゴンなの? どこか具合が悪いんですか?」
「違います、そうじゃない! バロン!」
ヴィセが呼びかけてもバロンはドラゴン化を解かない。顔の左半分は子供ながらドラゴンそのもので、手足も片方だけ赤黒い鱗を纏っている。よく見れば尻尾の先もドラゴンのように変化していた。
「バロン、何でだ! こんな所でお前……どんな目に遭うか、分かっているだろう!」
≪ヴィセ。なぜバロンがドラゴン化を見せようとしたのか、分かっているか≫
(そんなの、そんなの……)
≪バロンは、ドラゴン化を恐れぬ者をヴィセに見せたかったのだ。ヴィセが変身し、ヴィセが怖がられるくらいなら、バロンは自分が怖がられたらいいと≫
(バロン……分かった、分かったから!)
バロンは意気消沈したヴィセを元気づけたかったのだ。普段は優しさが先行し、人助けを苦とも思っていない。そんなヴィセがあの場に残した者への心配も口にしない。
バロンはヴィセがそれほどまでに傷付いたのだと思い、心配していた。どうすればヴィセの気持ちが浮上するか、まだ10歳ながら彼なりに必死に考えたのだ。
≪ヴィセ。そなたにバロンの覚悟を止める権利があるか≫
「……ごめん、ごめんな」
10歳の少年は今、親しくした者から「化け物」と言われる覚悟で立っている。
「イサヨさん」
「は、はい」
「これが、俺達です。この宿のために、町のために、出来る事を何でもやり尽くしてまで……認めてもらいたかった姿です」
ヴィセは目を真っ赤にし、今にも泣きそうな顔でイサヨへ振り向く。そしてそっとバロンの左手を支え、イサヨへと見せた。
「え、えっ……? この腕は、バロンくん……なの?」
イサヨは驚き、何が起こったのか理解できていなかった。目の前にあるのは普段のバロンよりも一回り太い腕、そしてその表面はラヴァニと同じ鱗に覆われている。
数秒見つめ、イサヨはそれがドラゴンのものであるとようやく理解できた。
「バロンくん……あなた」
「おねえ、ちゃん。怖い?」
掠れた声と共に黒く鋭い鉤爪がそっと差し出され、ヴィセの影から半身をドラゴン化させたバロンが現れる。ドラゴン化した部分は勇ましくも恐ろしいが、半身のバロンは涙目だ。
差し出した手は、イサヨの握手を待っていた。怖くない、せめてその一言に代わる何かが欲しかったのだ。
「バロンくん……」
イサヨはバロンの左手を取らなかった。その代わり、ヴィセを押しのけてバロンに抱きつき、バロンの頭をあやすように撫でた。
泣いているのか明らかに声が震えていたが、イサヨはバロンをぎゅっと抱いて、何度も鼻をすする。
「怖くない! 怖くないよ! だからもう泣かないで。あなたは優しい子、姿なんてどんなでも、それはちゃんと分かってるから!」
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