Innovation 07
数人はドラゴンとヴィセ達の組み合わせに気付いた。出店の子だという声も聞こえ、周囲にドラゴンの襲来ではないと言って安心させようとしてくれる者もいる。
しかし、ドラゴン化となれば話は別だ。後で話せば分かって貰えるとしても、いったんは怖がられてしまう。化け物だと言われるのも、相手に言わせて後で後悔させるのも、良い気がしない。
どんな扱いを受けようが、この場には自分達しかいない。その思いがヴィセにドラゴン化を決断させた。
「ふぅ……」
ヴィセの右半身の皮膚が蠢く。次第に右手が大きくなって作務衣の袖口は裂け、右袖も短冊のように垂れ下がる。腕は赤黒く変色を始め、鱗が浮き上がっていく。
ちょうど鼻を境にして顔の半分がドラゴンへと変化した頃、ヴィセが横転したバスの後方に手をついた。
辺りは暗闇に包まれ、バスの車体の下は崩れかかっている。危険だと判断したバロンが懐中電灯を借り、ヴィセのドラゴン化が見られないよう、ヴィセの足元だけを照らした。
「バロン」
ヴィセのいつもより枯れた声が一段低く響く。ヴィセが発していると知らなければ、およそ人の声とは思えないものだ。
声を出さずとも意思を伝える事は出来る。けれどヴィセは自身の顔がドラゴン化しているのかを声で確かめた。
バロンは呼ばれた後でヴィセの考えを読み取り、そっとヴィセの後ろに回り込んだ。周囲に気付かれないように腕を照らし、ドラゴン化している事を確認させるためだ。
(ラヴァニ、俺が後方を押さえる。前方を思いきり押し込んでくれ)
≪分かった。車体の下に岩でもあるのか、こちらを押せばくるりと水平に回転してしまう≫
(心配ない。ドラゴン化したから、ラヴァニ程じゃないが幾らかマシなはずだ)
バスの車内には15人が取り残されており、右側の窓は全て割れている。特に右前方の窓は覗き込めば崖の下が見える状態。車内の者達が身動きする度にパラパラと斜面が崩れ、一層の恐怖を煽る。
脱出しようにも、バスが横転したせいで窓や乗降口は崖側。そちらに重さが加わればバスごと転落しかねない。真ん中を押したいところだが、バスの重心は前後で異なり、真っ直ぐ押し出せるか分からない。
「な、何! さっき車体が動いたわ!」
「落ちるんじゃないのか、脱出方法はないのかよ!」
車内ではパニックが起きようとしている。ヴィセが今の状態で大声を出せば、周囲の者は震え上がってしまう。バロンは代わりに車体を軽く叩き、とても元気な声で助けに来たのだと呼びかける。
「あのね! 俺とヴィセとラヴァニがね、助けに来た! だからちょっと静かにしてて! バスをね、ちょっと動かす!」
「え、バスを動かす?」
「ヴィセって誰?」
「牽引車でも到着したの?」
「えー? けん……しゃってなにー?」
車内からはヴィセやラヴァニの姿が見えない。バロンの牽引車を知らなそうな発言が不安を煽ったが、車内はいったんおとなしくなった。
≪ヴィセ、合図を≫
(わかった、今だ……おおおっと! 待った待った!)
ヴィセが合図を確認しようとした時、今という言葉でラヴァニが力を入れた。ヴィセは力を入れていなかったため、バスが若干反時計周りで回転してしまう。
(ば、ばっか! 今だって言ったらって言おうとしたんだよ!)
≪それならばそう言わぬか、今と言われたなら押すのが当然だ≫
(ああ、そうだよな、確かに。俺が悪い。俺が押せって伝えたら押してくれ。全力だと俺が耐えられないから、そこそこで頼む)
≪分かった≫
「あのね、今ヴィセとラヴァニがね、バスを一緒に押すって決めた所! 力入れ過ぎたら回るって言ってる」
「だから誰?」
「ラヴァニってどっかで聞いた事があるな」
バロンが親切にも今の状況を乗客に伝える。暗闇の中に少年の能天気な声がこだまし、緊迫した状況だという事を忘れそうになる。
ヴィセは深呼吸をし、再び両腕でバス後方を押さえる。ヴィセがここで力負けしたなら、支点を軸に回転するバスの後方に押され、自身も崖の下へ真っ逆さまだ。
(……押せ!)
ヴィセは余計な事を言わず、合図だけを送った。ラヴァニは大きく羽ばたいて車体前方を押し、ヴィセが反対に崖側へ出ようとする後方を押し戻す。上手く力が作用したのか、僅かにバスが動き、崖から離れていく。
だが、ラヴァニとドラゴン化しただけのヴィセでは力が違い過ぎた。バスは少し道へと動いたが、ヴィセの片足だけのドラゴン化では踏ん張りが利いていない。おまけにバスの動力は後方にあり、重い。
ヴィセの足元が沈み、少しずつ踵が崖へと近づく。
「ヴィセ、危ない! 落ちちゃう!」
「くっそ、でもラヴァニが力を抑えたら……バスが……動かないんだ……よ!」
ヴィセは意思での会話も忘れ、掠れた低い声を絞り出す。歯を食いしばり、必死に耐えようとするも、バスは少しずつ反時計周りに動いてしまう。
ヴィセはバスの車体によって、少しずつ崖へと追い詰められていく。
≪ヴィセ、まずいぞ。崖の縁が崩壊しそうだ、我の力をもってしても、この機械駆動車を背に乗せる訳にはいかぬ≫
「わ、かってる……! うぉぉぉっ!」
ヴィセの踵は崖の縁まであと数十セルテ。掛け声代わりの不気味な重低音も気にせず、ヴィセは力の限りバスを押し戻す。そしてまた少し、また少しつま先が地面を削り、踵が崖へと引き寄せられる。
「くっそ、助けに来たって言った、くせに、ドラゴンの力借りてこれか……!」
ヴィセが悔しそうに呟く。その瞬間、何かがガサッと地面に落ちた音がし、同時に両腕がバスを僅かに押し戻した。
「う、動いた!」
「ふんぬ……ぅ!」
一瞬力を抜きそうになったが、ヴィセはもう一度と全力でバスを押した。先程までとは違い、バスは明らかに道へと押し戻されている。
「ふんっ……ぬぁっ!」
「……バロン?」
ヴィセが視線だけで左を向く。先程の音は懐中電灯が道へと放り投げられた音だった。その光は半身をドラゴン化させたバロンを照らしている。バロンが左半身をドラゴン化し、ヴィセの加勢に入ったのだ。
「俺……が、ヴィセ、を、助ける……ふんっ!」
「バロン……ああ、ありがとな! ラヴァニ、押せ!」
≪承知した、押し負けるでないぞ≫
ヴィセ程ではなくとも、ドラゴン化したバロンの力は頼りになった。ヴィセは踏ん張りの利かないバロンの後ろに立って支え、バロンを安心させる。
それぞれが完全なドラゴンになるつもりで力を込め、ラヴァニも少しずつ力を強めていく。
「うご……けぇぇ!」
「ふんぬううぅぅ!」
車体は大きく動き、やがて崖からはみ出していた車体は完全に道へと押し戻された。暗闇の中に大きな歓声が湧き、見守っていた者達が急いで車内の者達を引っ張り出す。
「ハァ、ハァ……きっつ」
「ハァハァハァ、ヴィセ、俺腕痛い」
「あんたら大丈夫か!」
ラヴァニが道に降り立ち、バスから救出された者達が飛び上がって驚く。見守っていた者達はバロンとラヴァニに駆け寄り、無事を確かめようとした。
しかし、その容姿を見た途端、声のない悲鳴と共に尻餅をついた。
「ひっ……ば、化け物……」
「ひゃああっ! こ、こいつの顔、ど、ドラゴンだ!」
ヴィセもバロンも疲れ果て、言い返す気力も落ち込む気力もない。目の前にいるのは危機を救った者達だというのに、周囲の者は驚きで労う気も吹っ飛んでいるようだ。
≪ヴィセ、バロン、このバスを起こさねば≫
「ああ、そうだな。……悔しいのは分かるが、最後までやろう」
「……うん」
バロンは化け物扱いに涙を流しながらも歯を食いしばり、ヴィセとラヴァニの合図でバスを起こした。周囲の者達は驚きの声を上げるも、遠巻きで手を貸す素振りもない。礼を口にする者もいない。
ヴィセとバロンはそれ以上何もすることなくドラゴン化を解き、ラヴァニの背に乗る。
「……トメラ屋に帰ろう。俺達は人を助けに来たんだ、別に感謝されるために来たんじゃない」
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