Innovation 05
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「ツバキの部屋とカエデの部屋に、干しといた布団を持って行っておくれ!」
「はい!」
「バロンちゃん、床の雑巾がけと、ゴミが落ちてたら拾ってくれないかい」
「うん!」
「ラヴァニさん、旅館の上から宿を見下ろして、屋根の悪い所がないか、
≪承知した。ヴィセ、外から我が思念を伝える。この老婆に伝えてくれ≫
昼過ぎになり、ヴィセ達はトメラ屋の作務衣のまま、慌ただしく動きまわっていた。イサヨが近くの服屋でバロン用の作務衣を購入し、子供ながら一人前に見える。
2人と1匹は、結局空き地での呼び込みの後も手伝っていた。
「お義母さん、キクに番台を任せてこっちに来て下さい。魚は足りると思うがもう1品欲しくて」
「はいよ、食材が足るかねえ」
週に1度訪れる客船から降りて来たのは、商人や観光客、それに各地への中継で立ち寄った100名ほど。週5日のバスからやって来た者と合わせたなら150名近い。
それぞれの宿は大忙しだ。何せどこの宿も普段は客が少ない。最低限の人数で回してきたのだから、いつもの2倍の泊り客が来ただけでも大変だ。
全員を都合よく呼び込めた訳ではない。ブロヴニク海浜荘のギルも来て、一番近い自身の宿をアピールしていた。それでも150名中100名、以前からの宿泊客と合わせたなら200名。
各宿が20~30名を受け入れ、親戚などにも手伝いの声を掛け、総出でのおもてなしとなっていた。
≪屋根は異常がない、樋にも悪い所はなさそうだ≫
「良かった、じゃあ俺が布団を運び終わったら、裏で炭作りだ」
≪それならば得意だ。消し炭にしてくれよう≫
「いや、そこそこで頼む」
トメラ屋は10部屋中9部屋が埋まった。もうミナも他の従業員も、ヴィセ達をお客と思っていない。それぞれが必死に自分の仕事をし、なんとか夕食に間に合わせようとしていた。
その甲斐あって、夕刻19時の食事はとても好評だった。魚だけでは足りそうになかったため、鶏肉を炭火焼にしたり、野菜の天ぷらを追加したり、ボリュームにも気を付けた。
豆腐やつみれをさらい、スープだけになった小さな鍋にはアツアツの白飯を入れる。出汁の効いた雑炊に生卵を掛ければ、腹八分を超えてもつい口に運んでしまう。
宿泊客たちはすっかり満足していた。
「食事をお下げするのは私達で。あとは注文が入ればお部屋にお酒を持っていくだけ。ハァ、なんとかなったわ」
「ドラゴンさんの炭作りには驚いたよ。余熱がずっと続いて素晴らしかった。炭焼き職人としてうちで働いて欲しいくらいだ」
≪断ると言ってくれ、我はもう数日分炎を吐いた。ドラゴニアへ向かう≫
「ヴィセくん、バロンくん、ラヴァニさん、本当に有難う。あたしらだけじゃどうなった事やら」
「いえ、履きかかった靴ですから(=乗り掛かった舟)」
「3人共、後は任せて。お風呂に入って来てもいいし、お腹が空いているならお部屋に食事を持っていくわ。女将もあとは私が」
イサヨとノスケがにっこり笑い、ヴィセとバロンを労う。時刻はあっと言う間に20時だ。ミナの娘夫婦はまかないを食べて帰るという。娘のキクと娘婿のトシオは明日の朝にはまた漁に出なければならない。
料理長は、明日の朝の食材以外を全て使い切ってやろうと意気込む。久しぶりに自慢の腕を存分に振舞えたのだから、疲れていても気分が良さそうだ。
「魚市場は大騒ぎさ、魚が全部売れちまったんだからな」
「この町に来るお客の数は変わらんけど、ブロヴニク海浜荘は地元の食材を殆ど使わんからね。今日は漁師も農家も大助かりだよ」
「部屋まで持って来て頂かなくても、厨房横の食堂でいただきます」
「ヴィセ、俺足が疲れた!」
作務衣姿もすっかり板についた2人は、背伸びでもしようと玄関へ向かい、店のスリッパを履いた。
底が木製で良い音が鳴るが、その気持ちの良い音は数歩で止まった。
「あの……」
「あ、はい?」
ヴィセが外に出ると、すっかり暗くなった中に老夫婦が立っていた。荷物が入ったキャリーケースを牽いている。地元の者ではない。
「あ、昨日ガスマスク持ってないって言ったおばさん!」
「あなた達は……まさかあのドラゴン連れの」
「おばさんラヴァニに味方してくれなかった!」
2人は昨日一緒のバスでやって来た者だった。ブロヴニク海浜荘に泊まっていたはずだが、何故この時間にここにいるのだろうか。
「ごめんなさい、私たちはドラゴンが怖かったの」
「この宿の人はいるかい、部屋にまだ空きがあるなら泊めてもらいたいんだ」
「……ドラゴンもいますけど、大丈夫ですか」
ヴィセの肩にラヴァニが乗る。ヴィセの言葉はやや棘があるものだったが、老夫婦はヴィセが何を言いたいのか、理解したようだ。
「申し訳ない、ドラゴンさん。あんたがえらく人に懐いていると聞いた。失礼な事をした」
≪今回は許すと伝えてくれ。だが、それと宿がこの時間から客を取るかは別の話だ≫
ヴィセとバロンが玄関先で話し込んでいるのを見て、ミナが来客に気付いた。丁寧にお辞儀をし、後の話はミナが引き継ぐ。
「いらっしゃいませ、2名様でしたらお部屋をご準備いたしますが、生憎通常のお食事はもう……」
「やっぱり、そうですか」
老夫婦の夫の方がガッカリして肩を落とす。ミナは何か事情があると察し、ひとまず中へと言って2人を案内した。
「失礼ですが、この時間にお越しになるという事は、何か事情がおありと」
「え、ええ。実は昨日バスでこの町に着いたんです。呼び込みの男に声を掛けられてその宿に泊まったんですが」
「そちらの宿では、何か」
「はい……ロビーで他のお客さんが店の人と揉めていて、話を聞いたら今日は半額にする、と言ったじゃないかと」
ブロヴニク海浜荘では、啖呵を切った大将の言葉が広まっていた。会場で聞いていない客達も半額を希望し、他所の宿に移る者はキャンセル料は半額のはずだと騒ぐ。
そのいざこざのせいで客は減り、宿泊されても半額。今日の客は35の部屋があるのに僅か5組で、今日のブロヴニク海浜荘は大赤字。その結果、サービスが悪くなったのだという。
「私達も半額にはして貰ったけれど、出て来た夕食は昨日と同じ。量も減っていたし、部屋のお菓子やお茶は有料に。温泉も20時までになって流石に酷いと」
「そこまで馬鹿にされて泊まりたいとは思わない。飯も旨くない。それで思い出したんだ。昼過ぎに騒いでいた人たちが、他所の宿は出店で美味しい食べ物を振舞っていたと」
「なるほど、そういう事でしたか」
ブロヴニク海浜荘の大将ギルは分かっていなかった。その魂胆はすぐに見破られ、ついにこの夫婦のような客を発生させてしまったのだ。
老夫婦の気持ちは理解でき、是非ともと言いたいところだが、この宿はなんとか今日を凌いだところ。
宿泊している客たちから代金を貰わなければ、明日の食事を出せないくらいのギリギリな状態。食材を余分に買ったりはしていない。
ヴィセはため息をついて、バロンを呼びよせた。
「……あのお爺さんたちに俺達の食事を譲ろう」
「えっ、俺お腹すいた」
「分かってる。ミナさん、この時間にまだ空いている食事処はありますか」
「え? ああ、港の向かいなら、船員が遅くまで飲んでいるからね、開いてるよ」
「バロン、好きなもの何でも食っていい、俺達はそっちで食ってこよう」
「お腹いっぱい食べられる?」
「ああ。何でも食え」
「じゃあ……分かった」
「ありがとう」
ヴィセはバロンの頭を撫でてやり、部屋に財布を取りに戻る。作務衣はそのままだ。
「ミナさん、俺とバロンの分をお2人に。俺とバロンは外で食べてきますよ、さあ行こう」
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