Innovation 04



「こんな美味しい魚や貝なんて出てきませんでしたけど! 話を聞いたら、ここに出店している宿ではいつもこんな料理を出しているそうじゃないですか」


「え? ウチもブロヴニク海浜荘に泊まってるけど、今日のこれってお祭りだから特別な料理を振舞っているんじゃないの?」


「どこよりも料理とサービスが良くて、町で一番人気の宿だと聞いたから泊まったんだが」


「そう言われると、どこにでもあるような宿だった気がするな。わざわざこの町に来てまで泊まる程でもなかった」


 昨日呼び込まれた者達は、女性の抗議に続いて不信感をあらわにする。呼び込まれたはいいが、あまり満足度は高くないようだ。


 ブロヴニク海浜荘は、他所の町で経営していた宿をそのまま移したようなもの。


 海が見える、海が近い、繁華街に近い、そのような環境を前面に押し出してはいるが、宿ならではの強みがない。経営者であるギルが気にしているのは売り上げと利益だけ。


 この町の良さを活かした海産物のメニューや、観光に関するアドバイス、来館者へのもてなしなどにそもそも興味がないのだ。


「ミデレニスク地区の自動化されたホテルの方が良かったかも」


「手を抜いてるような感じするのよね、値段なりでいいだろみたいな」


「そ、そんな事はないですよ! うちは一番人気! そりゃあ贅沢な食事や人手を掛けたおもてなしが出来ない訳じゃないですよ。でも、そうすればその分宿泊代金も跳ね上がります。困るのはお客様でしょう」


 ブロヴニク海浜荘の宿泊客は、決して満足している訳ではない。しかし、料金を考えた時、そんなもんだろうとも思っていた。高級であることを求めていない観光客もいる。


 ギルの言葉に納得しそうな者もいる。美味しい、楽しい、でも高い。それでいいかと言われると頷けない。


「高級宿でもないくせに、こんな見栄えのいいものばかり揃えて。魚を焼いた? 生で出した? そんなので良ければ、うちの宿で今日から提供させていただきますよ」


 ギルはもちろん値段据え置きでと言って微笑む。


「あんたんところが1晩幾らかは知らんけどね。うちは1万イエンだよ。うちの料理を食べて、温泉に入って、部屋で休んでごらん。その値段を高いとは絶対に思わせない。海浜荘の大将、あんた今の旬が何か、答えられるかい」


「え?」


 勝ち誇ったようなギルの背後で声がした。ギルが振り向くと、ヴィセ達と別れ、買い物に行ったはずのミナがいる。


「今の時期、源泉が何度になるか知ってるかい」


「な、なんだ?」


 ミナが買い物かごを下げ、ギルを見上げている。観光客の前で宿同士が火花を散らすのは好ましくないが、ミナは見ていられなかったようだ。


「あたしの質問が何か、理解出来とらんようだね」


「旬がどうとか、源泉がどうとか、急にそんな質問をして何のつもりだ」


「ハァ。やっぱり、あんたの認識はその程度やったんかね。今の時期で言えばアジ、タチウオ、岩ガキ、アワビ、ウニ。野菜ならキュウリ、カボチャ、トマト、インゲン。源泉の今日の温度は48度」


「それが何だ!」


 ギルはピンと来ていなかった。ヴィセ達や一部観光客もぽかんとしていたものの、他の出店者はミナが何を言いたいのか分かったようだ。


「この時期に何が美味いのか。それを把握してお客さんに食べてもらうのは当たり前やろが。源泉の温度が変われば貯水槽で冷ます時間も変わるし湯量も変える」


「美味い飯ならいつも出しているさ、何を偉そうに。風呂だって一定の温度に保つのは当たり前……」


「あんた、昨晩お客様にお出しした食事は何だったね。源泉かけ流しを謳っておきながら水で薄めとらんかろうねえ」


「そ、そんなの……」


 ミナが何を言いたいのか。ヴィセや観光客もようやく分かった。ギルは客を泊める事だけを考え、提供するサービスの事は何もかも関心がなかった。指示している事と言えば、コストを抑えて利益を出すこと。


 食材は安いものを安い地域で大量に買い溜める。手間と源泉の使用料を節約するため、一定の温度までは加水で冷ます。それらしく料理や温泉を整え、及第点以上の事はしていない。


「美味い物を出せば高くなるだの、値段据え置きだの、その程度の関心でよう言うてくれるねえ。旬のものは手に入りやすい。美味しいもんを安く提供できるし、うちの料理は自信がある。源泉は冷ましても薄めとらん」


「宿によってそれぞれ得意なもんが違うけん、値段もバラバラたい。俺んとこはトメラ屋さんに比べたらちょっと高い方やね。でも部屋とサービスは負けてない」


「とら屋さんの所の部屋は雰囲気がええよね。でもうちの大浴場は広いよー! 掃除する昼間以外、夜中でも自由に入れる!」


「なぎさ館さんの風呂には負けるけど、サクラ旅館にもぜひ! うちは元々が酒造やし、酒に関しては絶対負けない」


 それぞれの宿が観光客に長所をアピールする。美味いものを振舞われ、源泉から汲んできた足湯を堪能した観光客たちは、それぞれどこにしようかと悩んでいる最中だ。


「急ぐ旅じゃなかったし、もう1泊しようかしら。何だか話を聞いていると広い部屋でのんびりしたくなっちゃった。数千イエンの差でくつろげるなら、そっちの方がいいわ」


「私も、今日は別の宿にしようかな」


「あの、どちらに泊まっているんですか?」


 ブロヴニク海浜荘に泊まっていた客たちは、口々にチェックアウトして他所に泊まると言い出す。新規に訪れた者達も、もうブロヴニク海浜荘を選択肢に入れていない。


「きょ、今日は宿泊料金を50%引きにしましょう! 元々うちは料金を安く抑えて頑張っているんですが、今日はこの場でおもてなし出来なかったお詫びとして……」


「あなた、私美味しい夕食が食べたいわ。トメラ屋さんに移りましょうよ」


「じゃあうちはサクラ旅館さんかしら。旦那がもう酔っちゃってるの。私も気兼ねなくお酒を楽しみたいわ」


「温泉だ、俺は温泉を楽しみにして来たんだ。なぎさ館にしよう! 今日の部屋は空いていますか?」


 割引の提案も虚しく、ギルの許には誰も来ない。客の多い少ないはあれど、それぞれの宿が今日の宿泊客を獲得し、案内の者がそれぞれ予約を取って場所を伝える。


 どの宿も昨日の宿泊者数は5人に満たない。0人だった宿もある。今日は一番少ないなぎさ館でも今の時点で2組7人だから、まずまずだ。


 トメラ屋も今日はヴィセ達の他に、4組13人が泊まる事となった。ミナはヴィセ達に深々と頭を下げた。


「ありがとうございます、ヴィセ様、バロン様。5組様に泊まって頂くのは半年ぶりの事です」


「え、そうなんですか?」


「どの宿も、本当に苦しみながら耐えとったんよ。けど、きっとうちらにも原因はあった。どこの旅館も体力がなくて、守りに入っとった」


「ミナ婆さん、あんた面白いお客さんを捕まえたなあ! 婆さんさえ良ければ毎週やりましょうや!」


「ここなら港も近いし、船がもう1時間もしないで着くはずよ。船が着いたらあたしここに案内してくる!」


「それなら俺も行こう。台車を用意するから、重いもん持ってる人がいれば俺が運んで向かう」


 トメラ屋、とら屋、なぎさ館、サクラ旅館、しおさい、ふねのや。どこの旅館もライバルだが、それぞれ仲が良い。協力関係にあり、特にサクラ旅館はトメラ屋や他の宿にも一部の酒を卸している。観光客たちもその雰囲気に安心しているようだ。


 客は宿が、チップは全て食堂の者へ。もちろん昼から飲み食いしたい者は、宿に着いてから食堂に向かうだろう。


 だが、ブロヴニク海浜荘だけは面白くない。いつもならここで10組以上を引き連れて宿に向かうが、今日は0組で、泊っている者でさえ他所に移ると言い出す始末。


「きょ、今日のチェックアウト時間は過ぎていますからね! 今日の料金は払ってもらいますよ!」


「あら、いいわよ? 確かさっき、今日は50%引きって言いましたよね。きっちりお支払するわ」

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