Landmark 08
海辺の通りを歩けば水面が輝き、内陸部では見かける事のない砂浜が広がる。打ち寄せては引いていく波も、道を横切っていく虫達も、何もかもが新鮮だ。
砂浜の数十メルテ沖は深く掘り下げられ、港が設けられていた。コンクリートで固められた埋め立ての道を歩けば、何千人も乗り込めそうなコンテナ船が間近に迫る。クレーンがコンテナを何十と吊り上げては、接岸したコンテナ船へと積み込んでいく。
「近くで見たら大きい! 凄いね、あんなにいっぱい乗せてる!」
「あの荷物、どこに運ぶんだろう。どこか他の場所にも機能してる港があるって事だよな」
≪我が封印に入る以前は各地に港があった。この地のように山を越える必要はあったが、海の上を幾つもの船が行き来していた。煙を吐かぬ帆船であれば我も好感が持てる≫
ラヴァニが一番小さくなるサイズまで封印を作用させ、ドラゴン連れである事が目立たないように歩く。ドラゴンが益獣だと分かって貰うタイミングがないからだ。
先程の宿の者のように、無意味に怖がられて野宿になるのは辛い。かといって、ドラゴンが活躍できるような状況を積極的に作っては本末転倒だ。
バロンとヴィセは鋼鉄製のコンテナ船に感動し、ラヴァニは帆船ばかりが並んでいた頃を懐かしむ。海をしばし眺めた後、ヴィセ達はまだ宿を決めていなかった事を思い出した。
「さ、宿探しだ」
「どこに泊まるの?」
「ラヴァニを少し小さくしたから、多分ちょっと怖がるくらいで泊めてくれるさ」
≪我はどこか別の場所で夜を明かしても良いぞ≫
「そうなるなら俺達も野宿する」
≪そ、そうか……我は別に良いのだが≫
ヴィセとラヴァニの絆はあと一歩のようだ。ラヴァニはヴィセ達が宿に泊まれば、そこで出たゆでたまごを貰えると期待していた。ヴィセ達が野宿をするなら、朝食あるいは夕食のゆでたまごは手に入らない。
「ヴィセ、あっちにやどって書いてある!」
「食事処もあるな」
≪野宿をするとしても、食事だけでも摂るといい。我が店に入れずとも……何か、その、持ち帰ってくれさえすれば≫
「まあ、状況によるな。とりあえず頼み込んでみよう」
≪そうか……健闘を祈っておる≫
ゆでたまごを食べたいから、むしろそれさえあれば他はいらないから、とは言いたくないのだろう。ラヴァニは諦め、大人しくバロンの腕に抱かれている。
「うおっ!? なんだあいつ、ドラゴンの赤ちゃん抱っこしてるぞ」
「親が探しに来たらどうする気!?」
「ひえええドラゴン!」
子供が抱えているというのに、すれ違う者はみな恐怖に顔を引き攣らせ、ドラゴンが来たと大騒ぎする。石壁の家々は窓や入り口の木製の扉が閉まり、まるで霧の化け物が来たかのような反応だ。
「こんな反応しなくても……」
≪我を……ドラゴンの赤子だと言いよった。こやつらは我を愚弄したのか≫
「怒るとこはそこかよ」
「ヴィセ、宿の方まで大騒ぎだよ? 食事する所もこっちにシッシッってやってる」
「参ったな……」
この様子では、ミデレニスク地区の方がまだ寛容だった。驚かれ、嫌がられたりはしたものの、店を閉めて追い出そうとまではしなかった。遊園地でもせいぜい驚かれたくらいだ。
「ヴィセ、野宿? 俺お腹すいた」
「だよな。こうなるとは思ってなかったから、飯も殆ど買ってねえんだよなあ」
≪ミデレニスク地区まで我が連れ帰っても良いぞ≫
「そうだな、この町の端っこで野宿するとしても、石を投げつけられそうだ」
ヴィセとバロンは道を外れ、砂浜へと下りた。通り沿いの店はヴィセ達を警戒し、宿はこれ見よがしに満室や予約客のみの看板を出している。
「ラヴァニ、鞄の中に入っていてくれ」
≪ああ、このまま宿に入っても良かったが≫
「騙すと後が面倒だろ。それに砂浜からも追い出されると行くところがない」
まばらではあるが、周囲の男性は上半身の服を脱ぎ、短い丈の半ズボンを穿いている。女性は半袖やノースリーブに短パン姿が多い。波打ち際で水を掛け合ったり、浮き輪で浮かんだり、泳いでいる者もいる。
「あんまり服を濡らさずに入るんだな」
ヴィセもバロンも、水着という恰好を知らない。女性の薄着姿に思わず目が行くものの、ヴィセは恥ずかしそうに進行方向へと視線を戻す。
「楽しそう、いいなあ」
「とりあえず周りに誰もいない所まで行こう」
足が少し沈む乾いた砂浜に、2人足跡が続く。次第に海沿いの通りは草が生い茂って見えなくなり、いつしか建物も見えなくなった。町の外れにまでやってきてしまったようだ。
砂浜の先には岩場が現れ、その先には行けそうにない。
「ヴィセ、ちょっとだけ海触ってみたい!」
「ん? ああ、どうせ暇だし、この辺りなら町の人にも嫌がられないだろうから、時間を潰すか」
≪我は濡れたくない。その辺で荷物の番でもしていよう」
バロンとヴィセは靴を脱ぎ、濡れるからと上着とズボンも脱いでタンクトップ姿になった。あいにく水着などという洒落たものは持っていない。
「流石に外でパンツって訳にもいかねえし、霧の汚れが落ちないズボンを切るか」
「あー俺も!」
ヴィセがハサミで強引にズボンを太もも付近まで裁断する。バロンの分はやや丈が長くなったが、この際海に入れたら何でもいい。バロンが勢い勇んで波打ち際まで掛けていき、寸前で立ち止まる。
「ぎゃー!」
「どうした!」
「冷たい!」
バロンが尻尾を2倍ほどに膨らませ、慌てて走って戻って来る。まだくるぶしまで濡れただけだが、余程驚いたのだろう。
波は沖から何層にもなって押し寄せ、波打ち際の十数メルテ先で捲れ上がる。そこから砂浜へと薄く広く広がっていく海水に、ヴィセもバロンもおそるおそる手を浸す。
「うわっ、ほんとだ」
「あああ海きた! 海また来た!」
「何で海って揺れてんだろう。遠くに大きな船が行き交ってるからか」
ヴィセとバロンは潮の満ち引きどころか、波という表現も知らない。バロンは波が来るたびに海が来たと大騒ぎだ。ヴィセも少し怖いのか、足を膝以上の深さまで浸そうとしない。
「ヴィセ、そこ大丈夫?」
「膝まで濡れてるけど、大丈夫だ」
「あっちの人みたいに泳げる?」
「いや、泳ぎは無理だ。村にも小さな川と池があったけど、俺は泳いだことがない……うわっ!?」
「ぎゃー濡れた!」
油断していたヴィセの背後から、ひと際大きな波が襲った。思わずヴィセが押し倒されそうになり、耐えたものの服はびしょ濡れになってしまった。バロンも半ズボンの裾が少し濡れてまた大騒ぎしている。
「なんだこれ、さっきまで大丈夫だったのに……うわー、ズボンの中気持ち悪い」
「あはは! お漏らしと一緒! ヴィセがパンツ濡らしたー! ……ぎゃー! 濡れた!」
「ははは! こけてやんの! あーあ、お前全身びしょびしょ……ぶっ」
≪何をしておる≫
「ラヴァニも来るか?」
≪我は濡れたくはない、見ているだけで十分だ≫
ヴィセの事を笑っていたバロンが、次の波に油断して後ろから押された。細い足では耐えきれず、バロンはそのまま砂浜に倒されてしまう。顔からタンクトップ、それに膝まで砂まみれだ。
「うえぇ、砂気持ち悪い」
「海の中で払ってしまえよ」
「え、やだ怖い!」
「手持っててやるから」
ヴィセがバロンの手を引き、波が大きくない浅瀬で頭から海水を掛けてやる。バロンは口から砂を吐きつつ、なんとか目を開けられるようになった。と、今度はその場に漂っていた海藻を掴み、振り回しながら砂浜を走り始める。
「あははは! この草気持ちわるーい!」
「なんで気持ち悪いって言いながら楽しそうなんだよ」
初めての霧のない低地、初めての海。遠浅のエメラルドは、2人の心まで同じ色に染めていく。
泊まる場所も食事を摂る場所も決まっていない。ヴィセとバロンはそんな事も忘れ、肩までの深さを歩いたり、岩場を探検したり、思う存分海を満喫していた。
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