Landmark 09



 * * * * * * * * *




「暗くなってきたね」


「ああ、そうだな……」


 ヴィセとバロンは夕暮れまではしゃぎ倒し、全身ずぶ濡れになろうがお構いなしに楽しんだ。高緯度にあるため日射しは然程ないものの、途中でタンクトップを脱いだ2人は肩や背中、頬まで赤い。


 元々色白だったせいか、途中まで着ていたタンクトップの形もうっすら残っている。当然、2人は日焼けの事など全く考えていなかった。


「ヴィセ、なんかヒリヒリする」


「ああ、なんか肌がちょっと赤い気がする。日に焼けたかな」


 ≪人は脱皮をせぬようだが、何故だ。赤い皮膚を剥がせばよいのではないか≫


「いや、やろうと思って出来る事じゃないんだけど。治るのを待つしかない」


「えー! 服が擦れるとこが痛い!」


 後先など何も考えずにいたせいで、2人共微かにヒリヒリとする肌に上着を羽織れない。岩場で引き潮に取り残された魚をつかみ取りし、焼いて丸かじりしたため腹は減っていない。しかしこの恰好のまま夜を明かすのは躊躇われた。


 おまけに海水がベタベタと体に纏わりつき、何日も歩き続けた時より不快だ。


「川なんてないよな……あってもこんな低地に注ぐなら霧の毒も溶けているだろうし。水筒の水くらいでは洗い流せそうにないか……」


 ≪我が水場を探してやろう。町があるという事は、水場くらいあるはずだ≫


「明日でいいよ、今日はもう暗い。霧の中で野宿するよりはマシさ」


 ヴィセは砂浜から少し離れたところで乾いた木の枝を拾い、ラヴァニの幾分上手くなった火加減で焚火を始める。仕方なしに地面へとブランケットを敷き、その上に寝そべった。


「明日の朝になったらラヴァニに頼んで川を探そう。ミデレニスクに戻ってもいいし」


「うん……」


 痛がるバロンに優しくブランケットを掛け、夜空の星を見上げる。焚火の中で木片が弾け、静かな砂浜にパチパチと音を立てる。その音を子守唄に、ヴィセ達がうとうとし始めた時だった。


 遠くから砂を踏みしめる音が近づいてくる。最初に気付いたのはバロンだった。


「ヴィセ、誰か来る」


「えっ」


 ≪我にも聞こえた。物盗りだろうか、足音は1人のようだが≫


 ヴィセ達は体を起こし、痛む肌を押さえながら上着を羽織る。星と焚火に照らされる中、現れたのは1人の老婆だった。グレート白の髪をお団子型にまとめ、頭にはバロンと同じ猫の耳がある。


 老婆は薄い青のカーディガンを羽織り、赤紫のスカートを穿いている。編み籠を抱えており、その様子はおよそ物盗りには思えない。こんな所で焚火をするなと文句を言いに来たのだろう。


 だがヴィセ達はこの場を追い出されたなら、今夜はいよいよ行く場所がない。


 ≪この老婆、敵意はないようだ。我らに文句を言うにしても、年老いた者が1人で来るだろうか≫


「ああ、確かに……」


「あんたら、こんな所で何ばしとるとね」


 老婆が突然話しかけてきた。ヴィセは咄嗟に身構え、姿勢を正す。


「あ、その……今夜はここで夜を明かそうかと」


「だってどこも泊めてくれないんだもん! みんな意地悪する!」


 怪しむヴィセ達を他所に、老婆は焚火をチラリと見てすぐヴィセに向き直った。


「焚火をするのはまずかったのでしょうか、すぐ消しますんで」


「えー消したら怖い!」


 ヴィセが海水を汲みに行こうとする。老婆はそんなヴィセを引き留めた。


「消さんでも勝手に消えるがね。あんたら潮が満ちて来たらどげんするつもりね」


「あ、え? 塩がみちる?」


「海しょっぱいよね」


「ああ、あんたら他所の人やね。海は満ち引きがあると。時間が経ったらこの辺全部海に沈むけん、寝かぶっとったら溺れるばい」


「海が来たままになる?」


 海についての知識が全くない事を察し、老婆はため息をついた。このような無知な者が毎年何人も死んでいるのだ。


「海の水はね、増えたり減ったりを繰り返すと。今はだんだん増えてきとる。あんたら昼間からおったのかい」


「ええ、昼間からずっといました」


「そん時、あの岩はどれくらい海から顔出しとったかね」


「えっと……あれ」


 暗い中で目を凝らし、先ほど魚を捕まえた岩場に目をやる。背の低い岩はみな見えなくなり、焚火の数メルテ手前まで波の泡が押し寄せている。ヴィセはようやく砂浜が狭くなっている事に気付いた。


「そのうち波がその焚火ごと、あんたらを海にさらってしまうよ。はよ砂浜から出なさい」


「は、はい!」


「海が来るやつって、波って言うの?」


「そうみたいだ」


 老婆は砂浜に打ち上げられた海藻を拾い、籠の中に入れていく。どうやら文句を言いに来たのではなく、海藻を集めに来た際にヴィセ達を発見したようだ。


 海水でベタベタする上から服を着るのは気持ち悪いが、半裸で歩き回る訳にもいかない。ヴィセ達は荷物をまとめ、老婆に礼を言った。


「ヴィセ、どこで寝るの?」


「さあな……どうしようか。草むらに入ると虫に刺されそうだし」


「ヒリヒリする、肩が痛い!」


 ぼやくヴィセ達の頭上をラヴァニがゆっくり羽ばたく。老婆はその様子でようやくドラゴン連れの者達であると気付いたようだ。


「あ、あんたら……町が大騒ぎしとったドラゴン連れかね!」


「はい、そうです。すみません、驚かせるつもりはなかったんです」


「ひええ……」


 老婆はその場で腰を抜かして座り込む。ヴィセ達はそのまま立ち去ろうとしたが、老婆が逃げようともしない事を不審に思い、振り返った。


「あの、大丈夫ですか」


「だ、大丈夫……大丈夫」


「おばーちゃん、立てる?」


「あ、あ、こ、腰が抜けて……」


 老婆は立ち上がる事が出来ない。驚かれていい気はしないが、自分達を助けてくれた人を放置する事もできない。ヴィセはバックパックを前に抱え、老婆に背中に乗るよう伝える。


 ≪ヴィセ、鞍も抱えて老婆を背負うのは無理だ。我が背に乗せよう。バロン、我の封印を全て解いてくれるか≫


「え、いいの? おばーちゃん驚いちゃうよ」


 ≪もう驚いておるだろう≫


 このまま放っておけば老婆も波にさらわれてしまう。かといって砂浜の先まで老婆を背負うには荷物が多く、遠過ぎる。ヴィセは老婆と同じ目線にしゃがみこみ、ゆっくりと自分の考えを伝えた。


「俺達のせいで驚かせてしまいました。あなたをここに残してはいけません。でも俺達も荷物が多くて……だからこのドラゴンを信じて貰えませんか」


「信じるって、何がね? ドラゴンは恐ろしか生き物ばい、あんたらに懐いとるかもしれんけど、あたしは……」


 老婆はラヴァニにとても怯えている。だが、老婆を連れて行くには仕方がない。


「このドラゴンは人を襲いません。とても優しいんです。もしあなたを襲うなら、周囲に誰もいない暗闇に乗じてとっくに襲っています」


「真っ暗で誰も見てないもんね。でもラヴァニはそんなことしないよ!」


「そりゃ、そうかもしれんけど」


「バロン、封印を」


「うん」


 バロンが鞄からキューブを取り出し、1つずつ封印を解いていく。ラヴァニが段々と大きくなり、すっかり元の大きさに戻った。


「ひえええ!」


「ほら、襲わないでしょう? 怖いのは分かりますけど、とりあえず家まで送り届けます」


 ヴィセは鞍を取り出してラヴァニの背に取り付け、ゆっくりと老婆を抱える。その間にも、足元には波が迫っていた。


「あ、ああぁぁ……か、勘弁してくれえ……ひえええ……」


 怖いと言いながら、ここで放置される訳にもいかない。老婆は震えながらも鞍に座らされた。ヴィセが後ろの席に乗り、バロンをしっかりと抱える。


「ラヴァニ、とりあえず町の中心まで! もうみんな驚けばいいさ、みんな腰を抜かせばいい。お婆さんを送り届けたらミデレニスクまで戻ってくれ」


 ≪承知した≫


 ラヴァニがその場から飛び立ち、町へと飛んで行く。


「ひええええぇ!」


 ≪こやつ、うるさいぞ≫


 夜空を老婆の声がこだまする。1分も経たずして足元には町の明かりが見え始めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る