Landmark 07
「手紙はいつ着くかな」
「そうだなあ、1週間くらいだと思う。いつの話かテレッサやエマさんが分からなくなるといけないから、今日の日付を書いたんだよ」
「そっか、じゃあ姉ちゃんからの手紙は貰えそうにないね」
「うん……そうだな」
ヴィセは金が掛かろうと、エマの声を聞かせてやろうかと悩んでいた。だがたった1分で話がちゃんと終わるだろうか。3分話せば1万イエン。オムスカではラヴァニの働きで随分潤ったが、それでも1万イエンの出費は大きい。
≪ヴィセ。金はどうにでもなろう。しかしこれから霧の海に向かうならば、いよいよ声も手紙も届ける手段はなくなる。金を掛けて良いのではないか≫
「そう……だな」
お金の大切さを教えたい気持ちもあったが、今金を出すのはヴィセだ。バロンは自分の欲しいものを滅多に強請る事もなく、移動費だってラヴァニのおかげで掛からない時もある。バロンのおかげで上手くいった場面もあった。
今の手持ちは、決してヴィセだけで稼いだものではない。必要な時には使うべきだと思い直し、ヴィセは手紙を手に持ったままバロンとラヴァニを連れ公衆電話に向かう。
ホテルのフロアの電話機に金を入れ、メモ帳を頼りにゆっくりとボタンを押す。
「どこに電話してるの?」
「エマさんだよ。ドーンは今頃朝だし、この時間ならもう職場にいるはずだ」
「姉ちゃんと電話していいの!?」
バロンの表情が明るくなった。電話口で職員が名乗り、ヴィセが自身とバロンの名を告げる。エマに代わって欲しいと告げると、20秒ほど待ってエマが出た。ヴィセは1分の追加代金を機械に通す。この時点で既に最初の1分は過ぎていた。
「エマさん、ご無沙汰しています、ヴィセ・ウインドです。バロンが横にいるので声を聞いてやって下さい」
ヴィセはすぐにバロンに受話器を渡した。バロンは嬉し恥ずかしそうに話し始める。
『イワン、元気なの? 今どこにいるの?』
「あのね、デ……」
「ジュミナス・ミデレニスク」
「ジュミナス・ミデレ……遊園地のある町にいる!」
バロンが段々とハキハキ喋りだし、案の定以前電話で話した時から後の事を全て伝え始める。ヴィセは2分の追加料金を機械に通した。
エマは嬉しそうにうんうんと相槌を打ち、良かったね、凄いねと言ってくれる。バロンはそれが嬉しくてますます自分達の行動を細かく話す。更に2分の追加を機械に通し、ヴィセはもう話を短く切り上げろと言うのを諦めた。
「こんなに嬉しそうに話すなら、そのために金を払うのも悪くない」
≪会いたい時に会えぬのだから、このような時くらい良いだろう。その不安は我も暫く経験しておる。時間が許すなら会いに行く方が安上がりかもしれぬが≫
「霧の海から帰ったらドーンに寄るか」
ヴィセがラヴァニと話している間、バロンはずっと喋り続けていた。そしてふとヴィセが何度も機械に金を通している事に気付き、慌てて話を終わらせる。
「あ、あのね、お金がすごく掛かるんだ、電話すごく高い! 話すの今度にする!」
『そっか、そうね。ジュミナス・ミデレニスクはだいぶ遠いし……私も仕事に戻らなくちゃ。私は元気よ、伯父さんからもメーベ村って所から電話があったわ。いつでも戻って来てちょうだい、ヴィセさんにも宜しく伝えて』
「うん!」
バロンが喋り倒したためエマは自身の話を殆ど出来ず、笑いながら簡単にまとめた。幸いにも聞きたい事はバロンが殆ど喋ったようだ。名残惜しそうに受話器を戻し、バロンは寂しさから目元を拭う。
「ヴィセありがと。俺泣かなかった」
「ああ。やっぱり声聞いといてよかったな」
ドーンまでの通話は1分に3000イエン。霧に覆われた世界において、他の町との電話は贅沢な行為だ。結局2万イエン程使ってしまったため、ヴィセはテレッサに電話を掛ける事を断念し、手紙を集配所へと出しに行った。
* * * * * * * * *
ヴィセ達は、手紙を出した翌日にミデレニスク地区を発ち、ブロヴニク地区へと向かった。せっかくだからと機械駆動4輪のバスに乗り込み、海を目指す。
ラヴァニのサイズを1つ落とし、可愛くておとなしくてお利口なドラゴンを印象付ける事も忘れていない。
切り立った崖や山々を右手に見ながら、3台のバスが1時間ほど無舗装の道をゆっくり進む。やがて道が右に大きく回り込み、その瞬間ヴィセ達の視界が青くなった。
「うわぁ!」
「あれが、海か」
「すごーい! 水がすっごく青いよ、空の先までずっと水たまり!」
≪久しく見ていない光景だ。世界の空がどこまでもこのようだった頃を思い出す≫
山を回り込んだ後、バスは右手に山々や崖を見上げ、左手に海を見下ろす形で下っていく。標高1500メルテから一気に海抜10メルテ付近まで下るため、時折バスは道が折り畳まれたような急カーブを曲がる。先程は左手に海があったが、今度は右手に海が広がる。
「写真撮っておこう」
この海の写真もテレッサやエマに送ればよかったと後悔しつつ、ヴィセは車窓から数枚の写真を撮った。他にも10数人の乗客がおり、海を初めて見る者の反応はヴィセやバロンと変わらない。
乗客たちも、遥か下方にある町が見えてきた頃には満面の笑みを浮かべていた。町は海沿いに細長く、こじんまりとしている。標高1000メルテ以下で霧が晴れている状況など、ヴィセにとって夢のような場所だ。
「本当に霧がないんだね!」
「でも、なんで海の上だけ霧が晴れたんだろう」
≪不味い海の水に理由があるのかもしれぬ≫
「海に溶けたとか? そしたら海が毒だらけになる」
やがてバスがブロヴニク地区に辿り着いた頃、ヴィセ達は意気揚々とバスから降りて行った。
しかし。
「ヴィセ、なんか臭い!」
「ああ、何の匂いだ? 硫黄じゃないし……」
ブロヴニクに初めて来た者達は、みな一様に「臭い」と言って鼻をつまんでいる。潮風の香りを嗅いだことがなく、本当は霧が消えていないのではと疑い始める始末だ。
そんな一行の前に、体格の良い笑顔の男がやってきた。
「こんにちは皆さん。ミデレニスクからの長旅、お疲れ様でした。臭いに驚かれたようですが、これは海や海産物の香りなのですよ」
「海の匂い……?」
「ええ、海には色々な栄養素が溶け込んでいます。塩、ミネラル、それらが乾いた匂いですよ」
「体に害はないのかしら。私達、ガスマスクを持って来ていないの」
老婦人が心配そうに周囲を見て、人々の様子を伺っている。男は笑いながら大丈夫だと伝えた。
「慣れればどうってことないんですよ、遥か昔から海とはこのようなものです。さあ、お泊り先が決まっていないようでしたら、是非とも民宿ブロヴニク海浜荘へ!」
男はどうやら宿の者らしい。バスの到着に合わせ、客引きに来たのだ。数名はその場を去り、ヴィセ達と他に3組が残った。
「ヴィセ、どうする?」
「せっかくだからその宿にしようか。2人と1匹ですが、いいですか」
「1匹……うわっ、ドラゴン!」
男は案の定驚き、ドラゴンは駄目だと告げる。他の乗客たちも文句は言わなかったが、内心怖がっていたのだろう。誰も味方についてはくれない。
「あの、おとなしいですし、この通り小さい子が腕に抱いても大丈夫なんです」
「駄目駄目! 他のお客さんが怖がってしまう! もし火でも吐いちまって火事になれば、あんたらに弁償出来るとも思えない!」
男は再度お断りだと言い、先ほどの老夫婦を含めた他の客たちを連れて去っていく。
≪我はどこかに身を隠しても良いが、今更だろうか≫
「ああいう人は、認めるしかない状況が来ないと分かってくれないよ。他を探そう」
「あのおじさんきらーい! ラヴァニはすっごくいっぱい人を助けて来たのに」
「この町には、まだ人助けドラゴンの話は伝わってなさそうだな」
客引きに来たくらいだから、宿も1軒だけという事はないだろう。ヴィセ達は海の方へのんびりと歩き始めた。
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