9・【Landmark】彼らに見せたい景色

Landmark 01


9・【Landmark】彼らに見せたい景色



 ドラゴン達がボルツの町に来てから半日が経った。


 ラヴァニの呼びかけに応えたのは17匹。彼らはかつて同胞を打ち落としてきたボルツの町を救うため、霧の浄化を続けていた。


 ドラゴンの呼吸だけで広い町の霧を消すには時間が掛かる。しかし夜が明けた時、その光景は前日までと明らかに違っていた。


「ねえ、町の中が……見えるようになったと思わない?」


「そうね、道路がうっすらと見えているような」


「あんなに霧の上に顔を出した建物が多かったか……?」


 壁の上に逃げ、飛行場にいた者達が町の様子を眺めている。ドラゴンが霧の中を動き回っている姿は異様だが、霧は明らかに薄くなっていた。


「ドラゴンはやっぱり……俺達が考えていたような極悪非道な生物じゃなかったんだ」


「そうとも知らず、俺達はドラゴンから身を守るためと言って工場を立て、兵器を揃え、ドラゴンが襲いに来なければならない状態を作ったんだ」


 皆、ドラゴンへの見方が180度変わっていた。勿論町が霧に覆われてしまい、ヴィセ達の言葉を信じる以外、どうしようもなかったせいでもある。ヴィセ達に見捨てられたなら、ドルガ達は水も食料も尽きて死を待つだけだった。


 この霧はドラゴンを殺すためにかつての人々が撒いたもの。それに苦しめられる自分達を、まさかドラゴンが救ってくれるとは。そんな情けない現状を、ドラゴン達は嘲笑うでもなく対処してくれる。


 もしも自分達と立場が逆だったら。困っているドラゴンを見つけたなら。日頃の恨みと言って石を投げたり、トドメを指そうとすることはあっても、救出しようなどとは思わなかったはずだ。


「数百年前まで、この町は有名な温泉地だった。麓の町や村、遠くからもボルツを目指して観光客が押し寄せていたそうじゃないか。その頃に戻るなら今だ」


「そうね、もう戦いに備える理由もなくなったもの」


「だが、そんなに甘くはないぜ。この町の人口は恐らく激減した。多くの建物や機械、作物、土壌、あらゆるものが汚染された。しばらくは地獄のような日々が待っている」


「壁も補修しなくちゃね」


 町の再生を夢見ながら、ペベスの妻ジュディが飛行場の建物に入っていく。入り口すぐ横の待合室には、長椅子が置かれている。ジュディはそこをチラリと覗き込み、寝落ちているバロンに毛布を掛けてやった。


「呼吸が落ち着いている、それに……肩の傷から血が出ていない」


 長椅子にはヴィセが寝かせられていた。ドルガがヴィセを背負い、1段1段ゆっくりと階段を上って連れてきたのだ。その後、ジュディがバロンから話を聞き、傷口の手当てをした。


 だが血に直接触れさせるわけにはいかない。バロンは考えに考えた結果、傷口は霧に汚染されていると告げた。ジュディにニトリル製の手袋をはめさせるためだ。


 なんとか自分達の血の秘密を喋らずにやり過ごした後、包帯でぐるぐる巻きになったヴィセの看病を続けて数時間。バロンは睡魔に勝てず、つい10分ほど前に寝入ってしまった。


 ヴィセの呼吸は落ち着き、傷は治り始めている。ヴィセだけでなく、バロンも特殊だ。2人は霧の中でもガスマスク要らずで、ドラゴンと会話が出来る。


「本当に、不思議な子たち。この子たちはもしかして、ドラゴンなのかも」


 ジュディは首を小さく横に振り、笑みを浮かべて給湯室へ消えていく。それから更に2時間後、ヴィセがゆっくりと目を覚ました。





 * * * * * * * * *




「痛たたた……」


「ヴィセ、大丈夫?」


「大丈夫? じゃねえよ、転寝ですら寝相が悪いなんて初めて聞いたぞ」


 目覚めたヴィセは、まず肩の痛みに顔をしかめた。それから体が妙に重い事にも気が付いた。その原因は霧の化け物に傷つけられたせい……ではなかった。


 ヴィセの足元に座っていたバロンが、転寝の間にヴィセにのしかかり、肩を思いきり蹴り上げていたのだ。


「だって、寝てる時わかんないもん」


「そうだよな。しかしバロンが無事でよかった。ラヴァニは?」


「町の中で仲間のドラゴンと一緒に霧を消してくれてる」


「ラヴァニ……やってくれたのか」


 良く鍛えられた体を包帯でぐるぐると巻かれ、ヴィセは見るからに痛々しい。しかし本人はもう治り始めているせいで元気だ。むしろバロンの寝相の悪さで蹴られた方が痛むらしい。


 ヴィセの服は手当のため、やむなくハサミで切られてしまった。荷物を預けていたロッカーから着替えを取り出すと、包帯を外すことなく半袖のシャツを着る。そこでヴィセはハッと気づいてしまった。


「バロン……」


「なに?」


「俺のズボンは……どうした」


「血でドロドロになったから、捨てた方がいいって」


 ヴィセはボクサータイプのパンツ1枚の姿だった。ズボンが無残な状態だったなら仕方がない。けれどヴィセは他にもまだ気になる事があったようだ。


「俺……何穿いてる?」


「え? パンツ」


「これ、俺のパンツだっけ」


「えっとね、売店にあったやつ!」


 ヴィセはこの町に着いた時、黒いパンツを穿いていた。今は穿いているのは、紺色で少し丈の長いボクサーパンツだ。それが売店で売っていたものというのは分かった。


 ひとまず他人のパンツではない。それは安心するポイントの1つだ。だが、まだある。


「これ、誰が穿かせたんだ」


「ジュディおばさん」


「……なんだって?」


「見てないから大丈夫って、言ってた」


 ヴィセは意識がなかったのだから、当然誰かが穿かせたことになる。バロンはその犯人をあっさりと喋った。


「……見てないと穿かせられないだろ。ハァ……なんか気まずい」


「人のお世話をしてたから、下着を穿かせるのは慣れてるって言ってた。見なくても穿かせられるって」


「本当か?」


「ちょっとは見ないといけないけど、殆ど見てないって言ってた」


「見てんだよそれ」


 大浴場で裸になるのとは訳が違う。ヴィセは大きくため息をついて、別のズボンをバックパックから取り出す。


「あら、目が覚めたのね」


「うっ……げ。あ、はい……すみません、心配をおかけしました」


 丁度その時、ジュディが給湯室から戻って来た。手には大きなボウルを持っている。


「服が汚れていたから処分させて貰ったわ。下着は新しいものだし、大丈夫と思うけど」


「……はい」


 悪気のない笑顔を向けられ、ヴィセは恥ずかしそうに俯く。


「あのね、ヴィセね、ジュディおばさんにチン……」


「あーっ! あー言うな馬鹿!」


「えー? でも見られて恥ずかしいって言った」


 ヴィセが何を気にしているのか、ジュディは察したようだ。年頃の男の子にとって、とてもデリケートな問題だ。ジュディも子育ての経験があり、その辺りの事は分かっているつもりだった。


 だが、気の使い方は斜め上を突き抜けていた。


「大丈夫大丈夫! あたしは慣れてるもの。立派なものを持ってるんだし、堂々としていなさい、ほほほほ」


「……有難う、ございます」


 立派なものだとか、そんな気遣いはいらないのだ。暗闇で一切見ずに穿き替えさせた、ヴィセはジュディに嘘でもそう言って欲しかった。


「ドラゴン達が夜通し頑張ってくれていたの。随分霧も軽くなっているし、ドラゴン達に差し入れをもっていきたいんだけど、喜ぶかしら」


 そう言いながら、ジュディはボウルの中にあるものを見せた。


「あ、ゆでたまご」


「そう。ドラゴンからの要望だっていうから、この建物にあるレストランの貯蔵庫にあるたまごを使わせてもらったの。ヴィセくんはまだ動けないでしょうから、バロンくん、下まで運ぶのを手伝ってくれる?」


「うん!」


「ジュディさん、俺は大丈夫です。それにどうせなら霧の中で食べてもらうんじゃなくて、壁の上で食べてもらいましょう」

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