Dimension 13
バロンは嗚咽を漏らしながら、ナイフで自身の左腕に薄く刃を入れた。赤い血が滴り始め、躊躇うことなくヴィセの腕や肩に塗り込んでいく。
「こ、こんなので、ヴィセ治るの?」
≪バロンもヴィセも、我が友の血を受け継いでいる。我の血を混ぜる事が良いかは分からぬが、同じ血ならば拒絶反応もなかろう≫
「ほんと?」
≪まずは信じてみよ≫
バロンは大きく頷き、ヴィセの傷口をじっと見つめている。血が足りないと思えば自分の血を塗り込み、霧が付かないようにとすぐにタオルで覆う。
そうやって2,3分程経っただろうか。ふいに階段を駆け下りる音がし、扉が押し開かれた。
「なにが……へっ!? な、何があった!」
現れたのはドルガだった。一度は階段を上り始めた彼だったが、微かに聞こえたバロンの絶叫と銃声に、慌てて駆け下りてきたのだ。
「ヴィセが、ヴィセが……霧の化け物に、噛まれて」
「何だって!? とにかく中に! ラヴァニ……さんは」
≪我はここで仲間を待つ。イエート山までは行っておらぬが、声は届いたはずだ≫
「ラヴァニは……ここで、他のドラゴンを待つって」
「そうか。とにかく君達だけでも」
ドルガがヴィセの脇の下に手を回し、階段の下まで引きずって寝かせる。
「傷が……酷いな。クソっ! 目が覚めたとしても、この腕と肩じゃ……。こんな若い子に守られながら先に逃げたなんて。俺は情けない」
バロンはいったん中に入ったが、すぐに外へ出た。転がっていた懐中電灯を掴み、ドルガに渡すためだった。
「ラヴァニ……中に来なくて大丈夫?」
≪我がこうして霧の中に身を置くだけで、僅かでも霧を浄化できる。霧は傷に悪い、壁の中の方がヴィセの治りも良かろう。バロンはヴィセについていてくれぬか≫
「うん……」
≪我の代わりだ、ヴィセを頼むぞ≫
「……うん」
バロンはラヴァニにそっと抱きつき、有難うと呟く。やがてバロンが扉の内側へ消えると、ラヴァニだけが残された。静かな町の中にラヴァニの息遣いが溶けていく。
≪ヴィセがバロンを守り、バロンがヴィセを守ったか。人がこのような生き物だと知っていたら……この町が兵器を備えたのは、人を知ろうとしなかった我らのせいでもあるのだろう≫
ラヴァニはヴィセとバロンに出会い、随分と人の実態を知った。無知であるが故に行った数々の事、ドラゴンを恐れた事で手に入れた武力、それらはドラゴン側にいたなら絶対に分からなかった事だ。
≪我は……人に賭けてみたくなったのかもしれぬ≫
ラヴァニはドラゴンのためではなく、いつしかヴィセ達のために動くようになっていた。そしてそんなラヴァニのため、他のドラゴンまで動こうとしている。
ラヴァニが霧の浄化を始め、1時間。まだヴィセは目覚めていない。そうこうしているうちに、町の上空には1匹、また1匹とドラゴンが旋回するようになっていた。
≪人の子らが救いたい町とは、ここか≫
≪ああ、そうだ。兵器を揃え我らを殺さんとしていた町を説得出来たなら、他の町の協力など得たも同然≫
黒、青、赤、黄……様々なドラゴンが次々と町に降り立ち、ラヴァニと共に霧の中で呼吸を始める。ラヴァニは仲間の説得に成功していたのだ。
≪町の反対で工場が燃えておる。冷気を吐いて火を消してくれぬか≫
≪ああ、その程度なら造作もない≫
ラヴァニは炎を吐くが、冷気を吐くドラゴンもいる。ラヴァニはそれぞれが得意な事を任せ、自身は扉の前で浄化を続けていた。
更にそれから1時間ほど経っただろうか。階段へ通じる扉がゆっくりと開いた。
≪バロンか。ヴィセの様子はどうだ≫
バロンが現れた。ヴィセの容態を伝えるのかと思いきや、その後ろにはガスマスクを被ったペベスが立っていた。扉を閉め、ペベスがラヴァニの前に立つ。
「ラヴァニさん。他のドラゴンを呼んで下さったようで」
≪ああ、確かに≫
バロンはラヴァニの言葉をペベスに伝えている。バロンはドラゴンとペベスの橋渡しのために付き添っていた。ラヴァニが周囲のドラゴンを呼び、その場に見えるだけで7,8匹が集まる。
ペベスは深々と頭を下げ、自らの言葉で話し始めた。
「ドラゴンの皆さん。かつてドラゴンを撃ち落としてきたこの町を救いに来て下さった事、感謝しております」
ドラゴン達はペベスの言葉をじっと聞いている。バロンがいる事で、ドラゴンはペベスの言葉を理解することが出来る。
「我々は……ドラゴンの事を誤解しておりました。ドラゴンに襲われまいと、兵器を作り、備えてきました。ですが、あなた方はそもそも我々を襲うつもりではなかったと」
≪如何にも≫
「そうだよって、言ってる」
ペベスはため息をつき、そして再度頭を下げる。
「それにも関わらず、この町はドラゴンを殺して来た。あなた方にとって我々は憎い存在のはず。それでも生かそうとしてくれる……その思いには、必ず応えます」
ペベスは助けてもらうのであれば、自分達がした事を先に謝らなければならないと考えていた。
まだペベスはドラゴンに反省も後悔も話していない。謝りもせず、許されるための行いは何もしていない。それでいて許されようなど甘すぎる。
許されるに値する人でなければならない。ペベスはそう思い、この場に立っていた。彼は真面目な性格なのだろう。
≪何故我らがこの町を襲ったのか、何故そなたらが我らを襲ったのか。双方理解したからには、今後良い関係を築けよう≫
≪我らの許しが過剰と思うのなら、そなたらの気が済むまで誠実に生きよ。そして我が友、人の友の力になってくれ。我らに出来る事は限られている≫
言葉は難しかったが、バロンは必死にドラゴンの思いを伝える。最後にベペルは何かすぐに出来る恩返しがないかを尋ねた。
≪恩返し、か。なかなか良い言葉だ≫
ドラゴン側は何がいいか、しばし話し合っていた。ただ、ドラゴン側はおおよそ最初から何か見返りを期待していたようだ。
≪そこまで言うのなら、先にこちらから要求しよう≫
≪あのゆでたまごとやらを食してみたい≫
≪あれに勝るものはないと言っていただろう。どうだ、手に入らぬか≫
≪我も一度味わってみたいものだ≫
「バロン君。ドラゴン達は何を言っているかい」
バロンはとても真剣な面持ちで頷きながら、ゆっくりと口を開く。
「あのね、ゆでたまごが食べたいって」
ペベスは一瞬固まった後、ガスマスクの下で笑い声を上げた。
「そうか……ゆでたまご、か。生き残っている鶏がいるかは分からないが、各戸に残っている卵があれば必ず。しかし……我らにとってのドラゴンは、本当に虚像だったんだな」
ペベスの表情は分からない。けれどこもった声は爽やかだ。
「……ドラゴンありきで発展を遂げたこの町は終わった。けれどきっとまた始まる。今度はドラゴンと共に、いがみ合うより寄り添い羽ばたく、そんな町になろう」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます