Dimension 11
ドラゴンの思惑など知る由もない。この町はドラゴンに襲われないようにと武装を始めたが、元々必要なかったのだ。ボルツでは無意味な兵器を作り、無意味な争いをし、無意味な兵役を強いてきた事になる。
それは対人兵器でも、対人部隊でもない。全ては対ドラゴンとして設けられたものだ。本来、ドラゴン側にそんなつもりなどなかったというのに。
「ひとまず、皆さんだけでも壁の上に出ましょう。もし工場が再度爆発したなら、この場所に留まるのは危ない」
「どうやって……」
「ガスマスクは2つあります。鍵の開いた飛行場への階段まで行きましょう。俺とバロンが護衛しますから」
「わ、分かった」
結局最初に考えていた通り、地道に連れて行くしかなかった。だが幸いにも心配事なら幾つか解決している。まず、資材倉庫との往復の際、化け物と遭遇する事はなかった。それに出歩いている者もいない。歩いていくだけなら大丈夫だろう。
最初に壁の上に向かうのは、ペベスの妻のジュディと、4階のもう1室に住むアンニカという女性だ。防護服は何着もないため、先ほどペベス達が来た防護服を着まわす。
「では、行ってきます」
階段までは1時間。あてもなく歩いた最初の時に比べ、少し時間は縮まるだろう。4人は霧の中を足早に歩いていく。
「こんなに大勢亡くなってるなんて……」
「きゃっ!? うそ、マイナさん……マイナさん!」
ジュディが倒れている知人を見つけ、慌てて駆け寄る。ヴィセはバロンを自身の後ろに隠し、その様子を見せないようにしていた。
つい見つけてしまった事が余程ショックだったのか、それからはジュディもアンニカも口数が少なくなった。道端で苦しみもがいて死んでいった者達を見て、吐き気を催していたせいもあるだろう。ガスマスクを装着しているため、耐えるしかない。
苦しさで血を吐いたのか、乾いた血だまりもある。
「俺が前を歩きます。みんな、周りをあまり見ないように」
先頭をヴィセが歩き、3人を後ろに従える格好で進んでいく。ヴィセも決して見慣れていて平気という訳ではない。小さな子供を連れた母親、寄り添うように倒れた老夫婦。その姿はラヴァニ村を焼かれた日の事を思い出させる。
4人は1時間かからず階段に辿り着いた。鍵は開いていても、霧の化け物がドアノブを回して引いたとは思えない。おまけに中に霧は入っておらず、化け物は呼吸が出来ない。階段まで出たならもう安心だ。
「階段はかなりきついと思いますが、あの中にいるよりマシです」
「ありがとう、本当に、ありがとう」
「主人を、お願いしますね」
「はい」
ガスマスクをビニールの袋に入れ、ヴィセとバロンは引き返す。小走りに戻ってから、今度も女性2人を連れて行く事になった。
* * * * * * * * *
「この通りも大勢死んでるんだな」
「はい……ジュディさんのお知り合いもいたそうです」
「あのおばさん、顔が広いからな。優しい人だし、日頃から色んな人を気にかけてた」
やがて陽が暮れ始めた頃。ヴィセ達は何度も往復して皆の避難を手伝い、最後はドルガを連れて戻るだけとなった。相変わらず生存者と遭遇することはない。
「……ああ、あいつは知ってる。先々月あの建物を出て中央に移った男だ」
「お知り合いでしたか」
「ああ。良い奴ではなかったけど、こんな最期を見せられると気の毒に思うよ」
雨戸が閉まっている家が多い事もあったが、明かりの漏れている家もない。ドルガ曰く発電施設が止まっていて、上下水道用のポンプも使えないのだという。
「ヴィセ、ライト点けていい? 暗くなってきたよ」
「ああ、点けておこうか。しかしこれは……生きている人を探すのは無理だな」
バロンが懐中電灯の明かりを点け、周囲がぼんやり照らされる。凄惨な光景は奥行きを持ち、あまり見たくないものまで見えてしまう。
「電話が繋がった家は幾つかあるんだ。俺の両親には……繋がらなかったけどな。電気と一緒に電話も止まって、今はどうなったか分からない」
「何処の家にまだ人がいるのか、いないのか。これじゃ分からない」
30分程歩き、ペースも順調だ。バロンも疲れているはずなのに、文句を言わず歩いている。ドラゴンの血のおかげで体力があるといっても、ヴィセと同じペースで歩き続けて平気なはずがない。
「バロン、大丈夫か」
「うん」
「……5分だけ足を休めろ。おんぶしてやるから」
「いいよ、ヴィセがきつくなる」
「もしもの時、疲れたら走れないぞ。階段も上がらないといけないし」
人前でおんぶされるのはカッコ悪いと思ったのだろう。しかし、階段をこのまま上っていくのは無理だと分かっていたのか、渋々ヴィセに負ぶわれる。
バロンが先を照らし、ヴィセとドルガが光の先へと向かう。途中まではそれも順調だったが、そう長くは続かなかった。
「ヴィセ、なんかおかしいよ。死んじゃってる人が……」
「どうした?」
「なんか、血が……」
バロンが照らす先に、1人の遺体が転がっている。遺体なら他にも見かけているが、その遺体は明らかに様子が異なっていた。
「おいおい……嘘だろ」
「食い荒らされてる……?」
うつ伏せで倒れている男の胴体の部分が抉れ、周囲に肉片が散らばっている。内臓が引きずり出されていて、事故で吹き飛ばされたとも考え難い。
「さっきまでなかったよな」
「という事は、君達が戻って来てからここを通るまでに、誰かが……」
「見て、向こうから引きずって来たみたい!」
路地の奥に続く血の痕を見つけ、ヴィセ達の背筋は凍り付いた。
「何かは分からないけど、離れた方がいい。この1時間程の間に現れたのなら、周辺にいてもおかしくない」
ヴィセはバロンを負ぶったまま走り出し、ドルガが後に続く。やがて階段に通じる扉が見えてきた。
「あの中に逃げ込んだら大丈夫です! 念のため鍵を掛け……」
ヴィセがドルガを先に行かせ、バロンを背中から降ろす。その時、後方すぐのところで何かの音が聞こえた。
「ヴィセ、何か来る!」
「ドルガさん! そのまま階段へ!」
獣らしき足音が近づいてくる。ドルガはもう階段の扉の前にいるが、ヴィセとバロンは間に合いそうにない。
「霧の、化け物だ」
振り向けば、そこには黒い大型の犬がいた。ただしその目は黒目まで血走り、全身から黒い霧が立ち昇っている。不気味な程真っ赤な口を開け、鋭く大きな牙は剥き出し。
霧の化け物だ。
「くっそ、さっきまでいなかったのに」
「もしかしたら、ラヴァニがいたから出て来なかったのかも」
「なるほどな。ドラゴンの気配が消えて、安心して出て来たか」
「早く、早く来い!」
ドルガのガスマスク越しのこもった声がヴィセ達を呼ぶ。しかし、もう霧の化け物はヴィセ達に飛び掛かろうとしていた。
「ドルガさん! 閉めて!」
ヴィセが叫び、ドルガが扉を閉める。その瞬間、霧の化け物はバロンへと襲い掛かった。獣の本能でか弱い子供から狙ったのだ。
「バロン!」
ヴィセが間に入り、バロンは間一髪のところで噛みつかれずに済んだ。しかし、間に入ったヴィセは無事とは言えなかった。
「ヴィセ! 大丈夫!?」
「くっ……いてえ! ハァ、ハァ……痛っ」
ヴィセは右腕を噛みつかれ、化け物を振りほどけずにいた。腕を噛む力はどんどん強くなる。鋭い牙は肉を裂き、骨まで達しようとしている。バロンにもヴィセの骨の悲鳴が聞こえているくらいだ。
「このやろう!」
バロンがヴィセを助けようと、飛び上がって化け物の尻尾を思いきり踏みつけた。化け物は痛みと驚きで吠え、その隙にヴィセの腕が解放される。
「ヴィセ、腕が……」
「大丈夫……じゃねえけど、前に出るなよ」
ヴィセは鞄から銃を出す時間を稼ごうとしていた。が、待ってくれといって聞いてくれる相手ではない。
「バロン」
「な、なに」
「俺がドラゴン化して戦う。鞄を地面に置くから、その隙にリボルバーを取り出してくれ」
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