Dimension 08



「なんだろう、誰かいるのか」


 煙が立ち込める中を歩き、ヴィセとバロンは通りを挟んで左手にある建物の2階を見上げた。窓の外に飾られた鉢は、毒霧で枯れた花が垂れ下がっている。


「この辺りで光った! 光ったよね?」


「俺は見てないんだけど。誰か、いませんか!」


 1階の玄関をノックしても、誰も出てくる気配はない。例え生きていたとしても、玄関を開けたなら霧が入って来てしまう。呼びかけに応えてくれる者がいても、顔を見る事は叶いそうにない。


「誰かいませんかー!」


 ガスマスク越しでは声が通らない。ヴィセは少し考えた後で近くに転がっていた鉄板の破片を拾った。


「バロン、鉄の棒きれがないか探してくれ」


「何するの?」


「音を鳴らして、俺達が生きてる人を探しに来たって知らせるんだ。ガスマスクをしていると声が通らない」


 ≪ガスマスクを外して叫んでも、ヴィセらは呼吸が出来よう。それではいかぬか≫


 ヴィセはラヴァニの言葉に首を振った。バロンはヴィセの防護服の裾を掴んだまま、出来るだけ広範囲を見ないようにしている。亡くなった人を発見してしまったり、はぐれてしまうのが怖いのだ。


「もしガスマスクなしで歩く奴らを事前情報なしで見かけてみろ。化け物扱いだぞ」


「あ、ヴィセ! あれあった! ねじねじあった!」


「ねじねじ?」


「あのね、棒がね、全部ねじになってるやつ。スラムに来るおじさんは寸切りって言ってた」


 バロンはヴィセの防護服を掴んだ手を放さず、ヴィセを引っ張りながら崩れた壁へと近寄る。そこには長さ50センチメルテ程の寸切りボルトが転がっていた。


「お、丁度いい。これで叩けば家の中にも聞こえるはず」


 ヴィセは右手に鉄板を、左手に寸切りボルトを持って打ち鳴らし始めた。鳴り響くほどではないものの、工場が焼け落ちる音には負けていない。


「何か反応がないか、注意してくれ」


 ヴィセが音を鳴らしながら歩き始める。その時、2人と1匹の頭上から大きな声が聞こえてきた。


「誰か……いるのか!」


「ヴィセ、誰かの声!」


「ああ。この町が霧に覆われていると知って、様子を見に来た者です!」


「待っていろ!」


 それは男の声だった。声の感じからしてまだ若い。1,2分その場で待機した後、すぐ目の先にあった家の扉が内側からノックされた。


「扉を開ける! 開いたらすぐに入ってくれ!」


「はい!」


 茶色く重そうな鉄の扉が内側に開き、ヴィセとバロンとラヴァニはすぐに滑り込んだ。招き入れてくれたのは褐色の肌に黒い髪の青年だった。


「有難うございます、もう誰も生き残っていないのかと……」


「うわあああ! そ、それ、それ!」


 招き入れてくれた男がハンカチで口を押えたまま尻もちをついた。目を見開きながら後ずさりし、ラヴァニを指差す。


「落ち着いて下さい、こいつはラヴァニ。訳あって一緒に旅をしています。俺達の言葉を理解し、人を襲いません」


「こ、この町が何度ドラゴンに襲われたか知っているのか!」


 ≪話によれば我らこそこやつらに襲われているようなものだ。助けずこのまま滅ぼすのが良いだろう≫


「そうはいかないだろ。あの、このドラゴンは封印から目覚めたばかりの子供で、そういうのは分からないんです」


 ≪……後で訂正するのなら、今は堪えよう≫


 ドラゴンを憎み、せっせと兵器を配備してきた町なだけの事はある。男はラヴァニに怯えながらも睨む事を忘れない。


「ニイチャンかっこ悪い! ラヴァニも他のドラゴンも、俺怖くないもん」


 バロンが少しサイズの大きくなったラヴァニを抱きかかえる。霧がやや鱗に張り付いているが、バロンは気にせず撫でる。


「こんな小さい子でも大丈夫なんですから、ひとまず落ち着いて下さい。この町の状況を何か知っていたら教えて欲しいんです。外では……大勢亡くなっているようです」


 青年は廊下の壁に手を添えながら立ち上がり、少しだけ距離を取る。ドラゴンを連れた訪問者を警戒するなと言うのも無理な話だ。ヴィセは無理に歩み寄らず、扉の前で尋ねた。


「その通りのすぐ先にある工場が爆発して、それで壁に穴が空いて、霧が入って来た……そうですね」


「やっぱり壁に穴が空いていたのか。夜中に工場が爆発して、その音で目が覚めたんだ。消防隊が駆け付けるまで様子を眺めていたんだけど」


「どうして逃げなかったんですか?」


「夜中だぞ? 霧か工場の煙なのかなんて見分けが付かない。煙が入らないよう、俺は窓を閉めて見ていたんだ。そのうち、炎の明かりに照らされた野次馬が大勢苦しみはじめて……」


 この町の多くは、夜中の爆発によって状況が分からず、火災の煙が立ち込めているのだと思い込んでしまった。そのせいで逃げ遅れたのだ。


 煙の中なら短時間口に湿ったハンカチを押し当て、姿勢を低くして逃げることが出来る。けれど霧には逆効果だ。道端で亡くなっていた者達は、漂っているのが霧だと気付かないまま肺を腐らせ、亡くなったのだろう。


「ガスマスクを着けていれば、外壁の上に登れたと思いますけど」


「ガスマスクなんて常備している家はない。勿論、うちにもない。だいたい、霧だと気付いたのだって、夜が明けて窓の外の鉢に何か汚いヘドロのようなものが溜まり始めたからだ」


「ヴィセ、階段を降りた後、鍵を開けたよね」


「あっ……そうか。外壁の上に逃げようにも、階段は使えなかったのか」


 ≪飛行場から助けに下りようにも、皆ガスマスクを持っておらぬ。鍵を開けたなら、どれだけの者が押し寄せるかも分からぬ≫


「霧で苦しい時だったら、きつくて階段を上がれないよ」


 エレベーターは壁の中のホールから乗ればいい。しかしそのホールに人が押し寄せたなら、たちまち霧が充満してしまう。夜のうちに町中が霧で満たされてしまえば、大勢が気付かないまま亡くなってもおかしくない。


「一応役場の当直が、工場の火災で煙が流れてくるから、窓や雨戸を閉めろと放送を流したんだ。そのまま家に籠っている人達はまだ生きていると思うけど、放送はそれきりだ」


「放送を流した後で霧に飲まれたか……。夜中なら飛行場の職員も数人だろうし、施錠されていてもおかしくない」


「外壁の上で事態を知った者だけが打つ手もなく逃げた、か」


「飛行艇が置いたままだったのは、操縦士が町の中にいて、身動きが取れないからかなあ?」


 男は入り口の扉の下に布を敷き詰めて隙間を塞ぎ、ヴィセ達を上の階へと案内する。


「うちは5階だ。ギリギリ霧が窓の縁のすぐ下で止まってる。この建物には10部屋あって、8部屋に人が住んでる。でも生きているのが確認できたのは4部屋だけだ」


「その人達は、それぞれの部屋に?」


「いや。5階の部屋にそれぞれ身を寄せている。そこの扉は鋼鉄だし、君達が入ってくるまでふきんを詰めて隙間を埋められたけど、家の窓の隙間や通気口を完全にふさぐのは難しい」


 男のように家から出ず、窓を開けて様子を見る事もなく、高層に避難した者だけが生きている。この様子だと避難シェルターのようなものもなさそうだ。


「みなさん、どうするつもりなんですか」


「どうするっつったって、助けが来るのを祈って待つだけさ。あんたらがもし町の外に出られるなら、助けを呼んで欲しいが……。爆発から3日、外を眺めても引き返す飛行艇が見えるだけ」


「この霧をなんとかしない限り、いずれ食料も尽きてしまう……」


「じゃあ、壁の穴を塞ぐ? 俺板とか打ち付けるの得意だよ」


「簡単に言うなよ、結構穴もでかかったぞ」


 軋む木の階段を上り、男は5階の各部屋をノックして回った。それからヴィセ達に防護服を脱ぐように言い、それぞれの部屋から住人が出てくるのを待った。

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