Dimension 07
* * * * * * * * *
ヴィセとバロンの靴音が響く。
石の階段は途中からコンクリートに変わったが、相変わらず視界は暗く、空気の流れを感じない。おまけにエレベーターがあれば、こんな階段を使う者などいない。当然のように誰ともすれ違わず、誰の声も返ってこなかった。
「ヴィセ、俺なんかこわい」
「大丈夫だ、俺は誰もいない山奥の村で3年生活してきた。これくらい何ともない」
≪我が目の前に現れた時は驚いておったが≫
「そりゃあ驚くさ! だけど怖かった訳じゃない」
「う……へえぇぇやだ俺、怖い! ヴィセ、ヴィセもっとゆっくり行こ!」
階段を降りているので、ヴィセにしがみ付く事も、ヴィセの服の裾を握る事もできない。ラヴァニを抱えていては転んでしまう。バロンは視界からヴィセとラヴァニが消えてしまいそうで怖いのだ。
「だいぶ……降りたと思うんだけど。しっかりこれ、足がくたびれるな。バロン、大丈夫か」
「だいじょばない、怖い!」
「疲れてはいないんだな」
ゆっくりゆっくり、1時間ほどひたすら下っただろうか。ヴィセ達は最後の1段を降りて鍵をあけ、鉄の扉を外側に開いた。
「マスクしておけよ、ラヴァニもきつかったら言え」
「あーん待って! ヴィセ手繋いでて!」
バロンが強引にヴィセの右手を掴む。ゆっくりと開いた扉の奥は、予想通り霧に包まれていた。
「霧の厚さはそんなにない、か。随分と明るいし、視界がそこまで悪くない」
「誰か……いる?」
「分からない。マスクしたままじゃ声を出しても響かないし」
≪あの煙が立ち昇っていたところへ行かぬか。この霧がどうであれ、あの煙はこの世界に好ましくない≫
霧は基本的灰色で、光の屈折により緑色に見える事もある。しかし、この霧はどこか黄色い。
町の中には石畳の道路、煉瓦造りの家々。集合住宅が多く、軒先が通りに影を作る。どこも3階建て、4階建てばかりだ。その家々の窓はどこも雨戸が閉まっていて、中を窺い知ることが出来ない。
「あの家、扉が開いてるよ!」
「本当だ。あれ、人……バロン、見るな。下を向いていろ」
「何で?」
「いいから! ……逃げ遅れた人が死んでる」
開いた扉のすぐ手前に男が1人倒れていた。残念ながら息があるようには見えない。視界が悪いせいで気付いていなかったが、注意して見渡せば、あちらこちらに倒れて亡くなった者の姿があった。
「霧の上に出ている階もあったし、モニカみたいに霧対策出来ているなら家の中でも無事に過ごせるはず。生存者が誰もいないなんて事は……」
町の人口は分からないが、モニカと同等だとして3、4万人いる事になる。別の町に逃げるとしても、飛行艇の手配が間に合わない。比較的近いオムスカにも情報が入っていなかったのだから、脱出できた者は多くないはずだ。
霧の中を歩いて更に1時間。ヴィセ達はようやく煙が立ち昇っていた工場付近に辿り着いた。
周囲はいっそう視界が悪くなり、黒煙のせいで陽の光も遮られている。付近には鉄板の破片や型鋼が突き刺さっており、最初に爆発が起きたと予想できた。
この場にもやはり人の気配はない。
「誰も消火活動をしている気配がないな」
「このままだと町が全部燃えちゃう?」
「うーん、消そうにも、この霧じゃなあ……」
敷地が外壁に接しているおかげか、それとも前が広い通りになっているおかげか、幸いにもまだ延焼してはいない。倉庫だったと思われる残骸は所々炭になっていて、むしろもう火は収まっているのかもしれない。
大きな倉庫が並び、配管が絡まったような塔と大きな青色のタンクの残骸が見える。どれも煤で汚れ、火に包まれた後だと分かった。
敷地は広く、大きな機械駆動車が数台停まっている。火球が発生したのか所々焦げているが、入り付近に甚大な被害は見当たらない。
手前にある2階建ての長屋は事務所だろうか。何を作っていたのかは分からないが、明かりは全て消え、火災現場以外からは物音がしない。この工場の者達も逃げたのだろう。
「なんつうか、どうしようもねえな、これ」
「水かけたら消える?」
「もう鎮火しそうだし、これを消すならバケツやホースくらいじゃ全然足りない」
≪我は炎なら吐く事が出来るが、水は吐けぬのだ。霧に水を撒けば増長すると言っていなかったか≫
「ああ、大雨の後は要注意だと聞いているよ。だけど同時に霧が水に溶け、毒はゆっくり消えていく。長期的に見れば水は霧を浄化するのに役立つんだけど」
何故このような事態になったのか、皆は何処に行ったのか、何もかも謎だらけだ。
「ヴィセ、ここ臭い! 何かなこれ」
「兵器工場……か? それとも化学工場か。何だか卵が腐ったような臭いだ」
≪ほう、卵の工場だったか。我としては少し惜しいが、この世界を穢すものなら許す訳にはいかぬな≫
ヴィセ達は硫黄の存在を知らない。ここは旧火口で採れる硫黄を精製する工場だった。霧が流れ込んだせいか、それとも偶然か、工場が何らかの原因で爆発し、霧のせいで消火活動も出来ずに皆がどこかへ避難した。
その行き先は何処なのか。この町をこれからどうするつもりなのか。
≪ヴィセ、この付近だけ風が流れておらぬか≫
「そう言えば……どこからだ?」
風がないのなら、煙は真上へと立ち昇るはずだ。しかし工場の煙は町の内部へと流れ込んでいる。外壁の上から覗き込んだ時、爆発地点の煙は外壁を越えていなかった。
「煙は押し流されて……風は工場の裏側から吹いている……まさか!」
ヴィセは閉じられていない門から敷地内へと侵入し、アスファルトの上を駆けていく。
「あー! ヴィセ! 置いてかないで!」
≪バロン、我とゆっくり向かうのだ。不安なら我の封印を解くがいい≫
「じゃあ、1個だけ解いていい?」
≪ああ≫
「うええどうしよう、何かいたらどうしよう。ラヴァニ、絶対離れたら駄目だからね!」
≪案ずるでない。我に勝てる者などそうはおらぬ≫
ラヴァニがひとまわり大きくなり、バロンに寄り添うように低空を飛ぶ。マスクの中で声がこもっているものの、どうやら半泣き状態らしい。
そのうちヴィセがまた走って戻って来た。バロンはその姿を見るや否や、タックルを喰らわせるかのようにヴィセへと突進した。
「ヴィセぇ、おれ、俺を置いて、いがないっで、言っだのにぃ……!」
「ごめんごめん。もう走ったりしないよ。つか、マスクにこの格好って、なかなかしんどい」
「ごめん、は、1回じゃないと、本気じゃないって、言ったあぁ」
「ごめんなさい! もう置いて行かない、手も放さない!」
≪ヴィセ、何故走ったのかを教えてはくれぬか。考えを読んでもいいが≫
ヴィセはため息をついた後、バロンとラヴァニに手招きをした。もっとも、バロンはヴィセの防護服にしがみ付いており、手招きをするまでもないのだが。
燃える工場を横目に、ヴィセ達は裏手へと回る。外壁沿いにしばらく歩いていると、ラヴァニとバロンにもヴィセが手招きした理由が分かった。
「壁、見て! 穴が空いてる!」
≪この工場の爆発で外壁の一部が吹き飛んだか。それでこの町に霧が流れ込んだのだな≫
「ああ。地面や壁に黄色い何かがこびりついているのが気になるけど、ここの外壁はいつ崩れてもおかしくない。穴の上から今もボロボロと壁の破片が落ちてきている」
外壁には人の背の数倍はありそうな直径の穴が空いていた。
「化け物が入って来るかな、ねえ、危ないから離れようよ」
「上がって来ることはないと思うけど、この町が霧に覆われた原因は分かった。次は誰か生存者がいないか探してみよう」
ヴィセ達は工場の敷地を出ようと歩き出した。そのまま門を出て道をまっすぐ進もうとした時、ふと視界の端に光が見えた。
「ヴィセ、何か……光ったよ」
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