Zinnia 11
ディットの拳に力が入る。当時の事を知っている者もいるのか、数人が寂しそうな顔で視線を逸らした。
「いつか、霧が晴れたらいいなって。あの人は最期にそう言った。助からなかった命が望んだ事、その思い、あたしたちは無駄にするの?」
「だ、だからって、ドラゴンに頼るなんて飛躍し過ぎだわ!」
「そうだ、ドラゴンが嗅ぎつけて襲ってきたら責任取れるのか!」
「他に霧の毒が効かないのは霧の化け物だけ。そっちに頼る? 捕まえて解剖したけど、あたしにはあれが人に役立つとは思えない」
代替案はない。誰も霧の毒を体から取り除く事など出来ない。ディットはそれにも関わらず反対される現状に辟易していた。恋人の死を無駄にしないようにと、ディットは30年霧と戦ってきた。ディットのおかげで日常生活を取り戻した者も多い。
それでも、ディットはドラゴンの研究を煙たがられてきた。ドラゴンに襲われない方法を探る事すら誰も協力しない。どうやら緊張の糸が切れてしまったようだ。
「……もう、いいわ。研究はやめる。霧毒症の治療もしない。それがみんなの望みよね。助かる命を救わず、助からなかった命を無駄にする。それでいいんでしょ」
「ちょっと、ちょっと待って! うちの父の治療はどうなるの!」
「周りに大勢お仲間がいるでしょ。霧毒症の症状緩和はドラゴン研究の賜物よ。それを止めろと言われたんだから、恨むなら周りの人を恨む事ね」
「ディットさん……」
芝居を打つはずだったが、ディットはここぞとばかりに思いをぶちまけた。これではもう協力どころではない。ヴィセは声を掛けたが、それ以上何と言っていいか分からなくなっていた。
「ディットおねーさん、研究やめちゃうの? もう誰も助けないの?」
「そうね、何だか虚しくなっちゃった。誰にも助けられずに助け続けるって、一度自覚するときついのよ」
ディットが悲しそうに答え、庭先に置かれた小物を片付け始める。
「本当に……やめちゃうんですか」
「ええ。あたしには今更ドラゴンの力以外の方法を探す気力なんて残ってないし」
ディットが本気だと分かり、その場にいた数人が慌てて走り去っていく。先程父親の治療について声を上げた若い女性も続いた。
「俺が余計な事を……言ったせいか」
ヴィセは命に対して咄嗟に発言したことを後悔していた。ディットが何故研究をしていたのか、それを知る直前の騒動だった事も仇になった。知っていればヴィセは大人しくリビングで待っていただろう。
≪どうする。協力などと言える状況ではなくなったぞ≫
(どうするって……どうしようか)
ドラゴンの研究をしないのなら、ヴィセ達がここに拘る必要もなくなる。かと言って、この状況の中でホテルに帰ってもどうなるか分からない。
「とにかく、これでいいでしょ? さあ帰って。そこの不倫男と器物損壊女を忘れないようにね。ヴィセくん、バロンくん、取りあえず家の中に」
町長たちはまだ何か言いたそうだったが、ディットは庭の小物を幾つか抱えて扉を閉めた。
* * * * * * * * *
再びリビングのソファーに座り、ヴィセ達はディットに声を掛けられずにいた。ディットは本を片付け、流し台にあった研究道具らしきものを部屋に持っていく。手伝おうにも、もし破いたり壊したりすれば大変だ。
物が少しなくなっただけで、随分と部屋の印象が変わる。白い壁紙は光の反射を取り戻し、薄暗かった室内も明るくなった。
「掃除もあまりしっかりやってなかったから、ごめんね」
「いえ。それで……」
今後どうするのか。ヴィセはその一言を口に出せない。
≪町民の説得は失敗した。上手く行かなければ我もバロンも褒美が貰えぬ。さてどうしたものか≫
「俺おもちゃ我慢してもいいよ、なくても平気だもん」
ヴィセは困っていた。勝算があるからこそ、褒美を渡すつもりでバロンやラヴァニに指示を出した。我慢させる事になると分かれば、最初から期待などさせていない。
協力者を失い、この町ではドラゴンを嫌悪する方針が揺るぎないものになりつつある。しかもホテルに向かえば拘束されるかもしれない。荷物を無事に持ち出せる保証もなくなった。
その時、再び玄関のチャイムが鳴った。
「また誰か来た!」
「ええ、やっぱり来たわね。もう1回鳴るまで出ないから、あなた達は警戒を解かないでね」
「はい」
ディットは相手が誰か分かっているようだ。気配を窺ううちに2度目のチャイムが鳴る。ディットが玄関へと向かい、不機嫌そうに返事をする。
「……はい」
「あの、お願いです! 父の治療を続けていただけませんか!」
「悪いけど、この町の町長まで来て止めろと言われたのよ。出来ないわ」
「そんな……」
ディットは玄関の扉を開けようともしない。この声は先程の群衆の中で、父親の治療について声を上げた女性のものだ。
「そんなって、ドラゴンは駄目、力も貸さない。でも助けて欲しいなんて、調子がいいと思わない?」
「……それは」
「助けた相手から非難されるなんて、あたしにそんな惨い仕打ちを受け入れる義務はないわ」
ディットはため息をつく。まだ扉を開けるつもりはないらしい。扉の外の女性は何かを悩んでいる。
「ドラゴンの力の研究の件、私は支持します! 町長や他の人がどう思っても、私は支持します! 助けてくれない周りより、助けてくれる博士を信じます!」
女性の声が家の外で大きく響く。この町において、容認派に回る事は覚悟がいることだ。ディットはようやく口元に笑みを浮かべ、扉を開けた。
「覚悟してくれたようね。さあ入って」
女性は父親の車椅子を押して戻って来たようだ。父親と思われる男性はぐったりとしている。短い白髪に瘦せこけた頬、首のシワも深い。女性の年恰好にしては随分更けて見えた。
「さあラヴァニさん! ヴィセくん、バロンくん、お願いね!」
ディットに続き、若い女性が父親の車椅子を押しながらリビングに入って来る。先程協力しないと言っていたのは何だったのか。ヴィセは躊躇いつつ尋ねる。
「あの、研究は止めないってことですか?」
「ええ、最初から止める気なんかないわ。ただ、認められないのに助けるような事はしない、それだけよ。この子はあたし側に付く事を覚悟した。だから手を貸す」
先ほどのディットの行動は芝居だったようだ。女性はラヴァニに怯えているが、父親は驚く気力もないらしい。
「ドラゴンが人の力になれる。それを証明できる。そしてあたし達はドラゴンに借りが出来る」
「最初から、そのつもりで……」
「ええ。さあ、お父さんをソファーに寝かせて! ヴィセくん、その後はどうすればいいのか分からないから、お願いしていい?」
「分かりました。ラヴァニ、頼んだぞ」
≪承知した。これで協力者を得られ、我らの考えが伝わるなら易いものだ≫
痩せ衰えた男性の顔の横にラヴァニが座る。男性は目を瞑っているが、ラヴァニの存在には気づいているだろう。
「父を説得してきました。どんなことがあっても、助かるためなら従うと」
「分かりました。見ての通り、ドラゴンは人を無差別に襲ったりしません。ディット博士の研究によって、ドラゴンの吐く息に浄化作用があると分かったんです」
ヴィセはディットのお陰であると伝えた。協力者であるディットの言葉に力を与えるためだ。
「出来るだけ大きく息をして下さい。ドラゴンの吐く息をしっかり肺に取り入れて」
男が苦しみながらも深呼吸をする。ラヴァニはその口元に自身の吐く息を当て、男の吐く息を吸い込んでいく。
「おねーちゃん、大丈夫だよ。ラヴァニは優しいもん。分かってくれたらみんなの味方だよ」
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