Zinnia 10


「協力……」


「はい。ドラゴンが人にとっての害獣ではない事を、大勢の人に知って貰いたいんです。ドラゴン博士と呼ばれるあなたのお墨付きは、影響力が大きい」


 今度はディットが警戒する番だった。ディットはドラゴンへの興味が先行し、怖がる事も嫌悪する事もない。だがこの町の者はドラゴンを恐れ、嫌っている。憎んでいると言ってもいい。


「ちょ、ちょっと待って。さっきも言ったけど、あたしは尊敬されている訳じゃない。むしろ馬鹿にされて煙たがられてるくらい」


「えー? でも、具合の悪い人を助けてあげてるんでしょ? 悪い事してないんだから、嫌われたりしないよ?」


 バロンの問いかけに対し、ディットは苦笑いで答える。


「そりゃそうだけど、ドラゴン研究の部分ではやっぱりね。いつかドラゴンを呼び寄せるんじゃないか、なんて言われてる。霧毒症状の緩和に成功してなかったら、今頃追い出されているかも」


 ≪我らが現れた事、人の子らが悪く捉えなければよいが……≫


 ディット自身はヴィセ達の話を信じてくれた。だがディットの話を信じてくれるかどうかは怪しくなった。ドラゴン博士としての研究成果も芳しくない。ディットが何か、手っ取り早く功績を示す事が先決に思われた。


「何故、この町での研究に拘るんですか。良い事をしても疎まれて、それでもなお……」


 その時、玄関のチャイムが室内に鳴り響いた。


「あ、ごめん来客だ。今日は治療の予約も入ってないはずなんだけど」


 ディットはそう言いつつ玄関へと向かう。急な来客があるのなら、本人が言うほど煙たがられてはいないのではないか。ヴィセ達は念のため、客人に失礼がないようにと背筋を伸ばす。


「ジョーンズさん。やはりご在宅でしたか」


「あら町長、大勢引き連れて何かありました?」


 玄関でのやり取りがリビングまで聞こえてくる。訪ねてきたのはオムスカ町の町長だ。その背後には役人と警備隊、それに町民の姿もある。


「何かあった? はっはっは、あなた、ドラゴンを連れた若者を招いたと」


「招いた? いえ、あたしの存在は町の人が教えてくれたそうですけど」


 ディットの表情が曇る。何を言われるのか察したようだ。ヴィセ達は顔を覗かせることなく身を寄せ合う。


 ≪ドラゴンを嫌う者共が押し寄せてきたようだぞ≫


「ヴィセ、なんか怖い」


「どこかに隠れた方がいいか……でもこの家、何処にどんな危ないもんが置いてあるか分からないんだよな。あの黄緑の液体とか、中身何だ?」


 玄関では何やら軽い言い合いが続いている。ヴィセ達が中にいる事は教えていないようだが、どのみちホテルに帰れば拘束されそうだ。


「あら、あたしを捕まえる気? 噂や言いがかりで町民を捕まえるなんて、まあ誇らしいお仕事をなさるのね。後ろの方々は何? 何かご用?」


「ドラゴン博士、あんたがいつ皆を危険な目に遭わせるか、こっちはビクビクして生きてんだ! 今日こそは研究を止めてもらう!」


「ビクビク? はーん、そりゃあそうでしょうね。あなたバレてないつもり? この家の前の監視カメラが何を捉えてるか、教えてあげましょうか、お隣さん」


 ディットの表情にはまだ余裕があり、町長の後方の1人を指差す。それは隣に住む家の主人で、ドラゴン研究の是非で揉めた事もある男だった。


「監視カメラ? 何を捉えてる……って、まさか!」


 男の表情が驚きに変わり、ディットの言葉を制止しようと半歩踏み出す。


「あなた、よく奥さんじゃない女の方と歩いているわね。夜道だからってバレバレよ。そりゃあ不倫なんてビクビクもするでしょうね」


「なっ、何を言うんだ、俺はそんな……」


「その奥にいらっしゃるのは役場の若い子ね。あたしの家のオブジェ、蹴り壊した人物にそっくりよ」


「ちょっと何を……何を言ってんのよ! 私はそんな事……」


「町長さん、不倫は晒し刑のはずよ。器物損壊はあたしに賠償するべき。噂や憶測で文句を言いに来たのなら、そいつらの事も一緒にどうかしら」


 ディットは本気を出せば随分と口が達者なようだ。町長は2人をジロリと睨む。今日こそディットの研究を止めさせようとやって来たのに、味方が自滅してしまっては意味がない。ヴィセ達は半分呆れながらやり取りを聞いていた。


「……あれって、ドラゴン研究じゃなくて、返り討ちを恐れられているんじゃないかな。探偵でもやった方が良さそうだ」


「おねーさん強いね!」


 ≪しかし、これでは好かれる事も難儀だろう。何故そこまでしてドラゴンにこだわる≫


 玄関口ではまだ何か言い合いが続いている。自分達はどうするべきか、そう考えながら、ヴィセは1つの案を閃いた。


「なあ、要するにあいつらってドラゴンが怖いんだよな。一方でディットさんは町の人や近隣の町や村の霧毒患者を治療している」


「お医者さんって事?」


「うん、多分この町の中では霧の毒に一番詳しいと思う。そんなディットさんが好感度と信頼度を上げたら、町の人はディットさんの話を聞いてくれると思うんだ」


 ≪その2つが難儀だからこそ、このような騒ぎなのではないか。あの者、好かれる気がまるでないぞ≫


「ドラゴンには好かれたいはずさ」


 ヴィセはニヤリと笑みを浮かべ、ラヴァニを腕に抱える。


「ヴィセ、どこ行くの? 隠れる?」


「いや、ラヴァニの出番だ。実際に危害を加えられた訳でもなく、むしろドラゴンに体を治される。それでもなお敵意を向けるような恩知らずはいないさ」


「あっ! テレッサねえちゃんにやってあげた事と一緒だ! 毒吸い込んだ人を治してあげる!」


 ≪ふむ……しかし、そう上手く行くだろうか。町の者はドラゴンの研究を止めさせる事しか頭にないようだが≫


 簡単に行くかどうか。ヴィセには勝算があった。100%ではないにしろ、高い確率で上手くと考えている。少し卑怯だとは思いつつ、ヴィセはラヴァニを抱えて玄関へと向かう。


「ディットさん」


「あ、ちょっと出て来ちゃ駄目だよ! こいつらドラゴンを殺したくてウズウズしてんのに!」


「キャッ! ほら、ほら! やっぱりドラゴン連れの奴らを……」


 ヴィセがニッコリと微笑むと、声を上げた女性の声が小さくなる。


(バロン。不安そうな、泣きそうな顔をしていろ。ちゃんと可哀想だと思われたら、後で何でも好きなおもちゃ買ってやる)


 バロンはヴィセのズボンを掴み、大きな目を潤ませて群衆をじっと見つめる。


 ≪我はどうすればいい≫


(怒らずに従順な様子を見せつけてくれたらゆでたまご、どうだ)


 ≪お替りは可能か≫


(ディットさんにも懐いて見せたら、お替りの後で目玉焼きも付ける)


 ≪承知した≫


 安上がりなドラゴンはまずヴィセの肩に乗り、頬を摺り寄せる。ヴィセは多少鱗が擦れて痛かったが、しろと言ったのはヴィセ自身だ。


「ディットさん。あなたのお陰でせっかく霧の毒に苦しむ方々が救われるのに……どういう騒ぎです?」


「えっ?」


「……話を合わせて下さい、ラヴァニの浄化能力を見せ、信用を取り付けるチャンスです」


 ヴィセの耳打ちを怪しむ者もいたが、ラヴァニがディットに懐く様子を見せた事で注意が逸れる。


「毒に侵された程度なら完全に治るのに、助かる人がいるのに、邪魔をされては仕方がない。助かる命、いりませんか」


 ヴィセの言葉に、一瞬ディットが言葉を飲み込む。


「……ディットさん?」


「……恋人を奪った霧の毒を、あたしはずっとあの人を想いながら研究してきた」


 ディットは俯き、悔しそうに声を絞り出す。


「ドラゴンの浄化能力に目を付けた後、ドラゴンを何とかして説得できないか、襲われない法則を探らないか……呼びかけても誰も協力してくれず30年。ジニアの死から、30年が経ったのよ」

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