Zinnia 08



 ドラゴン博士という通り名がそもそも怪しいが、ドラゴン連れを警戒するどころか、笑顔で招き入れるのも怪しい。ヴィセ達は緊張しながら扉を閉める。


「お、お邪魔します……」


「ヴィセ、あの人って何する人? ドラゴンが好きなの?」


「さあな、ドラゴンを大歓迎されると逆に警戒しちまう」


 ≪我を捕らえて腸でも取り出そうというのだろうか。その場合は遠慮なく抵抗する≫


 建物自体はただの民家だ。コンクリート打ちっぱなしの壁や廊下は生活感に欠けるものの、まだ分からなくもない。分からないのはチラリと見えた部屋の中の様子だ。


 怪しげな液体がずらりと並び、分析結果がホワイトボードに書き殴られている。注射針、調理器具なのか医療器具なのか分からないボウルやナイフ、とにかく置いてあるもの全てが怪しい。


「あの……」


「こっち、さあこっち! そこに座って! 寛いで、ちょっと散らかってるけど」


 通されたのはリビング……だったと思われる部屋だ。流し台には乾いたビーカーが並び、試験管が数十本散乱している。机の上にはドラゴンの模型、それに大量の本。床にも模型や医学書が置かれ、くつろげる場所がない。


「散らかってるって言われて、本当に散らかってるってあんまりないよな」


「あ! すごーい! ドラゴンのおもちゃだ!」


 ≪……我はこのような不細工ではない≫


 ドラゴンを模した人形や、付け爪を張り合わせて作られた見事なドラゴンの翼など、とにかくどこを見てもドラゴンに関連するものが視界に入る。ヴィセは質問攻めに遭う前に、先攻で尋ねた。


「あの、すみません。ここは……何をしている場所なんですか? ドラゴン一筋30年って、どういう事です?」


「いいから座って! ソファーにあるぬいぐるみとか本は、ざーっと横に押しやって! 何か飲む? 大丈夫よ、こう見えてちゃんと人が飲めるものくらいあるから!」


「ヴィセ、あのおばちゃん何か怖い」


「……薬とか入れられてねえよな、出されても飲むなよ」


 ≪我もこの女は苦手だ。早々に退散せぬか≫


「ごめーん、水しかなかったわ。まあ飲んでよ」


 ドラゴン博士はニッコリ笑い、ローテーブルにコップを3つ、皿を1つ置いた。無色透明の液体は恐らく言われた通りの水だと思われたが、この空間ではむしろ水を出された方が驚きだ。


「ねえ、お耳のぼく。おばちゃんは……ちょっと傷付くかなあ? お姉さんと呼びなさいって言ってる訳じゃないんだけどね? でも、おばちゃんって」


「えーっ? でも何歳……」


「あーあの、お姉さん! えっと……」


「あら何? ハンサムなお兄さん」


 ヴィセは素直なバロンの言葉を遮るように、博士のご機嫌を取る。30年研究をやっているという発言も踏まえ、見た目から考えると40代後半だろうか。まだ何か言いたそうなバロンを抑え、ヴィセは先程の質問を繰り返した。


「ここで何をしているんですか? ドラゴン博士って、ドラゴン一筋30年って、どういう事です?」


「ああ、みんなあたしをドラゴン博士って言うんだよね。いや、尊敬されて言われてる訳じゃないの、実のところ。ここはあたしの家。実はね、ドラゴンについて研究しているの」


「……でしょうね」


 わざとズレた会話にしているのか、それとも本当にズレているのか。招き入れた割に、ドラゴン博士は何かを始めようという素振りもない。


「それで、俺達を家に上げて下さった目的は何でしょうか。実験台にというのなら協力は出来ません」


「え、あー……うーん、解剖とか、そんな事を考えている訳じゃないの。そうね、あたしはドラゴンの伝説から興味を持って、そこから研究を始めた。浄化って何? そもそもドラゴンとは何? そういうところから」


 ≪この女、我を見てドラゴンとは何か分からぬのか≫


(存在意義の話だろ)


 ドラゴン博士はようやく警戒されている事に気付いた。水まで警戒されているとは思っていないのか、当然のように一気に飲み干す。


「ふうっ。ドラゴンを連れている理由や、あなた達がドラゴンと接して気付いた事、色々教えて欲しいの」


「それはただの好奇心……ですか」


「それもだいぶあるけどね。不思議と思わない? ドラゴンにとって、あたし達はあまりにも無力。なのにドラゴンは町や村を積極的には襲っていない」


 ドラゴン博士は傍にあった地図を拾い、テーブルの上に広げようとする。


「水は飲んじゃって、地図を広げられないから」


「あ~……水は後でいただきます」


「そう。じゃあ流しに置いてて。ほらほら! それでね、このバツ印が……」


 ドラゴン博士はどうやら研究モードに入ったらしい。ヴィセが流しから戻るのを待たずに説明を続ける。大きな広げた地図には、十数カ所のバツ印があった。ヴィセ達がまだ知らない南の大陸の地図もある。


「これは全部ドラゴンが襲った町や村。丸印は目撃情報はあるけど素通りされた場所。共通点が何なのか、襲われた前後で何が変わったか、それが鍵になるはず」


 ドラゴン博士はラヴァニへと視線を向ける。


「例えばここからそう遠くないドーンの町。あの場所はドラゴンに襲われ、町の一部分が焼失したわ。兵器工場が壊滅、鉱山も細々と続いている程度」


「えっと……あの、ドーンの火災は放火なんです。この子の両親を殺したドナートという男がドラゴンの仕業に見せかけて」


「えっ?」


 まだドーンから最新情報が伝わっていないらしい。博士は目を丸くし、それから眉尻を下げた。


「坊や、お父さんとお母さんを亡くしたの?」


「……うん」


「そう……お悔やみを申し上げます。その男が放火したというのは確かな情報なの?」


「はい。1カ月前くらいの話ですが、俺達が捕まえたんです。そいつは警備隊の前で堂々と犯行をバラしました」


「1カ月前、か。私の情報更新が追いついていないわ」


 ヴィセの話を聞き、博士はじっと地図を見つめている。その視線の先にあるのはドーンだ。どこかの町と線を結んだ跡、何かを書き込んだ跡もある。


「何か、分かったんですか」


「うーん、そうとも言えないかな。木造の家々が立ち並ぶ町や村は、村が丸ごと燃え尽きた。そうじゃない町は工場だけが狙われた。ドーンだけ事情が違っていたから、これで法則が出来たけど……」


「ドラゴンは空気とか水を汚されたくないんだよ」


「ん? あら、誰にそんな話を聞いたの?」


 お姉さんと呼んでいないからか、心なしか博士の笑みが引き攣っている。バロンは当然のようにラヴァニを抱き上げ、自信満々に答える。


「ラヴァニに聞いた!」


「……ラヴァニって、ドラゴン信仰の村ね。焼き払われたと聞いたけど」


「ラヴァニというのは、このドラゴンの名前です。俺はヴィセ、ラヴァニ村の生き残りです。こっちはバロン」


「ラヴァニ村の生き残り……」


 博士はラヴァニ村がなくなった事も把握していた。ラヴァニ村の位置には横線が一本引いてある。


「もしかして、ラヴァニ村がなくなった原因は、ドラゴンじゃないの?」


「はい。隣のデリング村が火を放ちました」


「なるほどね、デリングは鉱山があってドラゴンに襲われた。でもラヴァニ村は襲われる理由が分からなかったの。ドーン、ラヴァニ、この2つについては分かった。それで、そのドラゴンからどうやって聞いたの?」


 ドラゴン化の事はまだ話すべきではないだろう。ヴィセは信じて貰えないだろうがと前置きし、ラヴァニを撫でる。


「俺達はドラゴンの言葉が分かるんです。同時に、ラヴァニは俺達と一緒にいれば人の言葉を理解します。ラヴァニ、博士に向かって口を大きく開けて」


 ラヴァニがバロンの膝の上で大きく口を開ける。


「ラヴァニ、俺の膝に」


 ラヴァニはヴィセの膝へと移る。それを見て博士は口を開けたまま頷いた。


「わお。これで……あたしが30年知りたかったことが分かるかもしれない」

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