Zinnia 04
≪ドラゴニアが……≫
ドラゴニアが地に落ちる。ラヴァニはそんな事を想定したことがなかった。破壊されることや奪われることはあったとしても、浮遊する力を失う事などあるのか。一体何が起こっているのか理解が追い付いていない。
≪すまぬ、詳しく教えてはくれぬか。何故高度が下がっている≫
≪原因は定かではない。しかし我らは霧のせいではないかと考えておる≫
霧に覆われた大地の上では、何らかの理由で地上との反発がなくなり、浮遊出来ないのではないか。ドラゴン達はそう考えていた。
実際に霧の上に出た山々や丘の上、海の上などでは高度が持ち直すのだという。ただ、そのような場所に留まれば、今度は人に見つかり易くなってしまう。
また、ドラゴニアは自分達で位置を決められるものでもない。大きな霧の海の上から抜け出せるかどうかは誰にも分からない。
≪この世界の霧を消さねば、我らが大地を守る事もままならぬか。今すぐでもドラゴニアへと帰りたいところだが、どうすれば霧が消える≫
ドラゴンが総出で霧を吸い込み、その空気を浄化していくとしても何千年、何万年掛かるか分からない。この霧が一体どんなもので、どのようにしてここまで広がったのか。それをドラゴン側が知るには限界があった。
ヴィセはドラゴン達に分かってもらう為のチャンスだとばかりに名乗りを上げた。
「俺達に任せて貰えませんか。人がどこまで霧の事を把握できているかは分かりませんが、書物や研究結果など、調べ物をするなら人の方が都合もいいはずです」
「俺も、字勉強してるからちょっと読める!」
「バロン、明日から本気で字の勉強だぞ」
「うん!」
≪こういう者達なのだ。だから我は共に旅をしてきた。そろそろ我らも別の力に頼らぬか。我らは常に世界を救ってきた。そんな我らを救う存在があるとしたら、ヴィセ達だ≫
漆黒のドラゴンは、まだヴィセ達の真意を図りかねていた。人がドラゴンのために動く事などかつてなかったからだ。
≪何故、人のくせに我らのために動こうとする≫
「だって、ラヴァニのおうちなくなったら可哀想だもん」
≪可哀想、それだけか。それだけで我らのために動こうというのか。我らにどのような見返りを求める≫
「えー? 何かくれるの? あっ、それじゃあね、俺ね、えっと……」
漆黒のドラゴンは、バロンが何を欲しがるのかと尋ねられ、咄嗟に出てこない事にも驚いていた。ヴィセとバロンの好意には、何の裏もない。強いて言えば認めてもらうためだけに動こうとしている。
≪褒美は考えておけ。我らは霧の前に成す術もないが、見返りを差し出せぬ程落ちぶれてはおらぬ≫
「そんな難しい事じゃないんだけど。仲間が困っていたら助けるもの。ドラゴンだってそうじゃありませんか」
≪確かに、我らは仲間に見返りを求めたりはせぬ≫
「こやつらは我が友の血を受け継いだのだ。心優しく曇りなき
ラヴァニに諭され、漆黒のドラゴンはしばらく唸っていた。いつか手のひらを返し、ドラゴンを陥れるのではないか。本当は何かにドラゴンを利用するためではないか。
だが幾ら裏を読もうとしても読み取れない。しかも気高き同胞がヴィセ達に全幅の信頼を置いている。悩んでも答えが出ないと分かり、漆黒のドラゴンはラヴァニの意見に賛同した。
≪良かろう。だが我らは人に襲われたなら無抵抗ではおれぬ≫
「はい。ドラゴンの皆さんは今まで通り、出来る事、やるべきと思った事をやって下さい。俺達は今日ラヴァニが500年ぶりに仲間と再会できた、それだけで十分です」
「ねえ、他のドラゴンは近くに全然いないの? せっかくラヴァニが会いに来たのに」
≪良いのだ。我は1体でも同胞と語らえた≫
すっかり陽が落ち、もう見えるのは星と月だけだ。周囲の全てが影になり、それぞれの顔も見えなくなった。
「そろそろ寝よう。あの……ここで休んでもいいですか」
≪ああ。我が友と共にこの場を使うといい≫
ヴィセは鞄からブランケットを取り出し、鞄を枕代わりにして体を包む。が、すぐに起き上がった。その横ではバロンが当然のように真似をして横になろうとしている。
「……待てバロン。壁側に行け、お前の寝相は不安がある」
「え?」
「え? じゃねえよ。お前は寝返りで崖の下に落ちる」
バロンの寝相の悪さはお墨付きだ。朝に枕に足を置いて目覚めるのは当たり前、ヴィセが横にいても乗り越えてベッドから落ちる。部屋の中なら笑いごとで済むが、この場では命に関わる。
「ラヴァニ、バロンが崖に落ちないように壁になってくれ」
≪承知した。寝ている時くらい全力で休めぬか≫
「えーだってちゃんと寝てるもん」
ヴィセとバロンは壁に背を預けるようにして横になる。その前をラヴァニが塞げば落ちる心配はない。ラヴァニが風除けになって寒さも和らぐ。
漆黒のドラゴンはやる事があると言って飛び立ち、その場に残ったのはヴィセ達だけだ。人の生活音は勿論、飛行艇の行き交う音も、虫の音も、風の音すらもない。
音のない世界で夢に身を任せ、静かに夜は更けていった。
* * * * * * * * *
陽が昇り、最初に目を覚ましたのはラヴァニだった。
ラヴァニがゆっくりと起き上がり、ヴィセやバロンも朝の光に晒される。ヴィセは眩しそうに顔をしかめ、光を背にしようと寝返りをした。が、ぱちりと目を開けて周囲を見回した。
「バロン……は、無事、といえば無事か」
≪起きたか。今夜は地上で寝る事を提案しよう≫
ラヴァニが壁となったおかげでバロンが地上へ落ちるような事はなかった。だが、その寝相もなかなかに酷かった。枕代わりの鞄など勿論意味を成していない。岩の壁に足を掛けるようにして上げ、頭を下にしたままスヤスヤ寝ているのだ。
「……これ、わざとだよな」
≪紐で括りつけておくべきだったか≫
「考えておく。ほらバロン、起きろ」
ヴィセが揺さぶり、壁の凸凹に引っ掛かっていた足がずり落ちる。だが全く起きない。
≪いつもの方法が良いのではないか≫
「ああ、そうだな」
ヴィセは深呼吸をし、そして囁きのように小さな声で呟く。
「朝ごはん食うぞ」
それは本当に小さい呟きだった。しかしその声はバロンの大きな猫耳の奥にしっかり届いていた。
「はっ」
「はっ、じゃねえよ。おはよう。朝飯にするぞ」
「おはよ! ごはん!」
「日頃何も食わせてないみたいに思われるから、いい加減食い意地を抑えてくれ」
ヴィセは鞄からパンと水を取り出す。バロンのために林檎のジャムを塗ってやり、ラヴァニには干し肉だ。体の大きさから足りそうにはないが、食べないよりは良いだろう。
「いただきまーす! ヴィセ、これ何のジャム?」
「林檎だ、お前が選んだやつだよ。食ったら……って、ラヴァニの仲間はまだ戻っていないのか」
≪ああ、そのようだ。何処に向かったのかは分からぬが……いや、待て。何か騒がしい≫
ラヴァニが窪みから身を乗り出す。ヴィセ達もつられて崖の下へと視線を落とした時、食事に何よりの幸福を感じるバロンさえもその光景に固まった。
「ドラゴンが……いっぱいいる!」
≪我の……ああ、我の仲間だ! この光景をどれ程待ち焦がれていたか≫
崖のすぐ下で、10体以上のドラゴンが飛び交っていたのだ。ドラゴンは渡り鳥の群れを捕らえようと、それぞれ連携して追い込んでいる。
「すげえ……」
≪ヴィセ、そこで待っていてくれ≫
「え? ちょっと!」
ラヴァニは翼を広げ、窪みから飛び立つ。仲間の許へ一直線に飛んで行き、喜びを表すかのように旋回やきりもみ飛行、急上昇などを繰り返す。
ドラゴンの群れが高度を上げ、青空の中で踊っている。ヴィセは改めてこの空が誰の物かを思い知った。
「ドラゴンが何を守りたいのか、漠然と理解できた気がする」
「ラヴァニ嬉しそう。やっぱり大きな空が似合うね」
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