Zinnia 02



 周囲は薄暗く、どの方向から何が近づいているのかは分からない。ラヴァニはじっと闇へ目を凝らしている。ヴィセ達には聞こえないが、呼び掛けているのだろう。数秒たち、ヴィセよりも先に気付いたのはバロンだった。


「ラヴァニの翼のバタバタって音と同じだ」


「え、って事はドラゴンか!」


 ヴィセとバロンがラヴァニの陰に隠れる。間もなく崖の下から大きな影が現れて視界を遮った。


 ≪……これはまた懐かしい。生きていたか≫


 ≪ああ、実に久しい。こうして再開する日をどれだけ待ちわびていたか≫


 目の前に現れたのは漆黒のドラゴンだった。ラヴァニよりも少し太く、翼も大きい。星明りが金色の目を光らせるも、その目は真ん丸でどこか愛らしくもあった。


 ドラゴンは己に名を持たない。イメージを送り合うことが出来るため、それで事足りるのだ。


 漆黒のドラゴンはラヴァニのすぐ横で翼をたたむ。寄り添う訳でもなく、何か身振りで伝えるような事もない。2体は500年以上の空白などなかったかのように、思念での会話をやりとりしていた。


 ≪人の事を、どう見ているか≫


 ≪どう、とは≫


 ≪我は長い間眠りについておった。その間に毒霧が大地を覆い、同胞も見かけぬ。人との争いは止んでいるのだろうか≫


 ヴィセとバロンはラヴァニの陰で息を潜め、ラヴァニの言葉を拾っていた。ラヴァニはヴィセやバロンを紹介してもいいかどうか、探っているのだ。


 何故ラヴァニがそう問いかけたのか、相手は分かっていた。


 ≪我の答えは、その背に乗せている鞍に関係があるようだ≫


 ≪……如何にも≫


 漆黒のドラゴンは目を閉じ、ラヴァニの記憶を共有する。ラヴァニが封印された経緯、ここまでどうやってやって来たのか。その記憶にはヴィセやラヴァニだけでなくユースの亡骸も含まれている。


 その全てを見せ終えた後、ラヴァニは漆黒のドラゴンの出方を窺っていた。どうやら負の感情は持っていないらしい。やはり人だからという理由で襲う訳ではないらしい。


 ≪2人を連れてきている。ヴィセ、バロン、大丈夫だ≫


 ヴィセとバロンは恐る恐るラヴァニの背後から顔を覗かせた。真っ暗な中に金色の瞳だけが浮かび、じっと見つめている。怒りを抱えていればヴィセ達にも伝わるはずだ。という事は、この時点ではまだ敵だと認識されていない。


「は、初めまして……ヴィセ・ウインドです。ラヴァニ……ああ、俺はそう名を呼んでいるんですが、ラヴァニが封印されていた村から来ました」


「バロン・バレクです……あ、えっと、ヴィセとラヴァニと一緒に来た、です」


 ≪ほう、我に意思が伝わるか。我が同胞の血が体に流れているというのは真実のようだな≫


 頭の中に響く声は、ラヴァニよりもやや低い。ドラゴンは興味を持ったのか、ヴィセとバロンの匂いを嗅いで確認し始める。感情の読み取れない瞳は、2人を試そうとしているかのようだ。


 ラヴァニが認めた者達に対し、おそらく無下にする気はない。


 ≪そなたらは何故ここまで来た≫


「それは……ラヴァニを仲間と再会させたかったからです」


 ≪こやつ1体でも来れよう。同胞を導いてくれた事には感謝する。だが深入りは無用だ≫


 敵ではないが、味方と呼ぶ気もないらしい。歓迎されていないと分かると、ヴィセは少しガッカリした。このままドラゴン達と会話し、人との共存を目指そうなど気が早過ぎたのか。


「俺達はいずれ全身が竜状斑という鱗で覆われていきます。ドラゴンに変身する事もできるようになります。そんな俺達だから、人の立場で人の事を、ドラゴンの立場でドラゴンの事を皆に伝える事ができます」


 ≪……あちらの味方、こちらの味方、そのような思惑が小狡いと思わぬか≫


「それは……」


 漆黒のドラゴンには、あまり聞こえが良くなかったらしい。ヴィセがどう言い直すべきかと考えあぐねる中、口を開いたのはバロンだった。


「狡くないもん!」


 ≪ほう、理由を言ってみよ≫


「え、だって、みんな仲良しがいいもん」


 バロンの答えは至って単純明快だった。敵など作らない方がいいに決まっている。それをあからさまに主張されては、ドラゴン側も言葉に詰まる。


 ≪人は毒霧を撒き散らし、生けるものの大地を奪った。今なお破壊と汚染にいそしむ。そのような者とどう仲を取り持つつもりか≫


 やはり、ドラゴン側に人の考えは伝わっていない。ヴィセは漆黒のドラゴンに対し、人は気づいていないだけで、破壊や汚染をやめる用意があるのだと伝えた。





 * * * * * * * * *





 ≪そうか、人々に我らの意思は通じていなかったのだな≫


「はい。何故襲われているのか、もしかしたらと考える者もいましたが」


 ≪だがそれは人に対して都合が良過ぎぬか。知らないからこの空と大地を汚し続ける? 事態に事情など意味を持たぬ。その罪は他の命が償うべきなのか≫


「勿論、おっしゃる通りです。人が奪ったものはあまりにも多い。でも、これから止めさせる事は無意味ではありません」


 ≪確かにどう罪を償わせるかより、この世界の救済が先決だ。しかし……≫


 漆黒のドラゴンは目を伏せ、少し間を置いた。視界の端で流れ星が空の果てへと降り注ぐ。その瞬間、漆黒のドラゴンの意思がヴィセ達に伝わってきた。


 目を閉じると、頭の中で巨大なドラゴンが何体も飛び交い始めた。大空を悠々と駆けるその姿は畏れをも抱かせる。


 しかし、そのドラゴン達の様子がおかしい。飛び交っているというよりは、何かから逃げているようだ。時を折り炎を吐き、急旋回したり、急降下したり、とにかく動きが慌ただしい。


「飛行艇が……ドラゴンを追っている?」


「あっ、何か、何か撃った!」


「砲弾……いや、あれは戦闘機ってやつか! 飛行艇の機関銃でドラゴンを撃ち落とそうとしている!」


 ドラゴンはそれぞれ庇い合うように飛び回る。飛行艇を炎に包んだり上に乗ってバランスを崩させたり、反撃方法も様々だ。


 数機が濃紺の機体から黒煙を上げ、地上へと墜落していく。またドラゴンも1体、2体と力尽きて羽ばたきをやめ死んでいく。


 どこか視界が開けていて、とても遠くまで見渡すことが出来る。見えているだけでもドラゴンの数は100体程いるだろうか。一方、飛行艇の数はその倍ほどあるようだ。


「なんて惨い……」


 ≪これが、我の知らぬ500年の間に起きた争いか≫


「ねえヴィセ、ラヴァニ! 霧がないよ! 空からすっごく広い草原が見える! 川も、湖も! 何で? これどこなの?」


 バロンに言われ、ヴィセも視界が開けている理由に気が付いた。確かに霧が一切なく、大地が剥き出しだ。ヴィセとバロンは霧が発生してからの世界しか知らない。驚きを隠せない中、ふと漆黒のドラゴンの視界がくるりと旋回し、真後ろにいた飛行艇が炎に包まれた。


 その後方、はるか上空には何故か大地の底が見える。


 ≪ドラゴニア……ああ、我が求めているドラゴニアだ≫


「ドラゴニア……いつかラヴァニに見せて貰ったあの」


 ≪これはいつの頃なのか≫


 ≪愚かな人が毒の霧を世界中にまき散らした頃だ。ドラゴニアを渡すまいと、我らは必死の抵抗を行った。この場におらぬ個体は人の町を襲っている≫


「これが、戦争……」


 飛行艇が上昇し、ドラゴニアへ攻撃弾を撃ち込もうとする。ドラゴン達は機体の背後から体当たりや炎を浴びせ、全力で阻止しようとしていた。


 その時、ドラゴンの1体が口を大きく広げた。その顔のすぐ前にまばゆい光が発生する。次の瞬間、光は砲弾のように物凄い速度で地上へ放たれ……下方に見えていた町が一瞬で吹き飛んだ。


「なっ……!?」


「今の、なに?」


 ≪分かるか。我々は人を憎んでいる。こやつが信ずる貴様らを攻撃はせぬ、ただそれだけだ≫

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