7・【Zinnia】彼方の祈りに咲く花

Zinnia 01

 7・【Zinnia】彼方の祈りに咲く花



 大陸で一番高いとされるイエート山。その標高は9450メルテ。


 山体は剣のように鋭く、周囲の山々よりも突き抜けて大きく高い。その中腹ともなれば空気もかなり薄くなり、慣れない者は高山病を患う。ラヴァニはちょうどその高度で見かけた岩の斜面に降り立った。


 その地点より上では雪が被っており、ドラゴンが生息しているとは思えないからだ。


「ひえー……断崖絶壁だぞ、こんな所選ばなくても」


 イエート山はこの世界において、人が訪れる事の出来ない場所の1つとなっている。


 世界には標高4000メルテ前後に位置する村もあるが、生憎イエート山は平らな場所が殆どない。勿論なだらかな場所はあり、小さな湖沼も点在するため、少人数なら住めない事もない。しかし麓からそこまで続く道が確保できず、そこまでして住む理由もない。


 霧の発生以降、登山者はいない。飛行艇もドラゴンに見つかる事を恐れ、3000メルテ以上の高度を飛ぶ事がない。中腹にある湖沼の存在など、とうに忘れ去られていた。


「ラヴァニ、何か痕跡はあるか?」


 ≪探しておるところだ。エゴールの話が古かったとしても、嘘を言ったとは思えぬ≫


「じゃあ、何かきっと見つかるよね。でも落ちそうで怖い」


 ≪我の背から降りるでない。滑落すれば命はないぞ≫


 ラヴァニはヴィセとバロンを背に乗せたまま、足場の悪い斜面を器用に歩く。時折小石が灰色の崖の下へと落ちていくも、そのあまりの落差に目で追う事すら叶わない。


「空気が薄いって言うけど、ドラゴンの血のせいか苦しくないな。肺もなんともない」


「空気?」


「高いところでは息がし辛くなるんだ。空気は下の方がいっぱいあるんだよ」


「俺苦しくないよ! まだ山の頂上より低いから、ここ高くない」


「あー……いや、何て言えばいいんだろうな」


 ヴィセとバロンの嚙み合わない会話を聞き流しつつ、ラヴァニはそれらしい場所へと移る。幾ら体が大きいとはいえ、イエート山の規模からすれば豆粒にもならない。ドラゴンのねぐらがあったとして、それを探し当てるのも一苦労だ。


「ラヴァニ、意識で呼びかけてみたか」


 ≪……やっておる。だが返事がない。数キルテ程なら我が意思を拾ってもおかしくないのだが≫


「えー? じゃあもうドラゴンはいないってこと?」


「寝てんのかな」


 自分達が住むとしたらどんな所が良いか。そんな話をしているうち、ふと小さな池が視界に入った。その周囲はやや拓けており、水場のおかげで背の低い草が生い茂っている。


 自分達がねぐらにするとして、岩がゴツゴツした急斜面より水場が近い草地の方が快適だ。ドラゴンにもそれが当てはまると思われた。


「ラヴァニ、あんな場所はどうだ」


 ≪雨風を凌げぬが、まどろむには丁度いい≫


 ラヴァニは見事な翡翠色の池の畔に降り立つ。足場が良い事を確認してから、ヴィセ達を背から降ろした。


 背の低い草は長年の堆積で柔らかな土になっている。ドラゴンがその身を横たえるには絶好の場所だ。


「ふわーすげえや! ここだけ草原のようだ。バロン、写真だ写真!」


「わー高い! 怖い!」


 ≪あまり端へ行くな、写真なら我の背からでも撮れよう≫


「あ、そうか。んじゃあその池の前で! 町に着いたらテレッサに送ってやろう」


「姉ちゃんにも送る!」


 目的はドラゴンの仲間を探す事だ。しかしヴィセとバロンはこの場所を気に入ったようで、ドラゴンの痕跡と言うよりはこの場所そのものを探索しているように見える。


「どことなく……草が踏み潰れたような感じだ。風のせいかもしれないけど……」


 見渡せば北、東、西の3方向は遮るもののない空が広がっている。足元には草が生い茂り、空気も澄んでいる。低い雲が眼下に浮かび、風の音以外一切の音がない。


 ラヴァニ村も良い場所だったが、この場所では自然の畏怖を感じる。空に浮くドラゴニアは、このような場所なのだろうか。ヴィセは目指す地を想像しながら開放感に浸る。


「ドラゴンが高い所に棲む気持ち、今なら分かるな」


 ≪我も封印に入っていなければ、今頃このような場所を好んでねぐらにした。水場も近い良い場所だ≫


「いつでも水を飲めるのは重要だよな。でもこの池……川もないし、雨が溜まって出来たのか?」


 山肌は赤茶けた岩と土で覆われている場所もあれば、灰色の岩が剥き出しの場所もある。この池は岩場に出来たようで、澄んだ水の底にもゴツゴツとした岩が見える。


 2人が何気なく水辺を歩き、何か落ちていないかと探している時だった。


「ねえ、ヴィセ! 水の中、あれって動物の骨?」


「え? 岩がそう見えるだけだろ。こんな所に棲みつく動物なんていないさ。だいたい……あれは、骨だな」


 バロンがキラキラと光る水面を指差している。その先には確かにうっすらと白く細い動物のあばら骨のようなものが見えた。


「ラヴァニ! 何かの動物の骨がある!」


 ≪どこだ!≫


「水の中だ、こんな所に動物がいるとは思えない」


 ラヴァニがじっと水の中を睨む。ラヴァニの目にも、それは確かに骨のように見えた。


 ≪我の仲間が喰らった跡かもしれぬ≫


「なあ、この池って、雨が降って出来たにしては……草木が水に沈んでもいないよな」


「ずっと水があるってこと?」


「ああ。雪解け水か、雨か……それが滲み出しているにしても、周囲にそれらしい場所がない」


 よく見れば脇の方へと流れていく小さな流れがある。それは岩の隙間へと消えていき、おそらくもっと下の池か、麓まで滲みていくのだろう。溢れる水があるという事は、この池に継続的に水が流れ込んでいる事になる。


 ラヴァニはヴィセの考えを理解し、池の反対側の淵を見据える。


 ≪ヴィセ、バロン、我が背に乗れ≫


 ヴィセとバロンが背に乗った後、ラヴァニは周囲500メルテ程の浅い池を飛び越えた。そのなだらかな山肌を北へ回り込むと、そこには雨風を凌ぐのに丁度いい窪みがあり、僅かな水の流れが出来ていた。池に続いていると思われる。


「ラヴァニ、あれだ、あそこにも骨がある」


「ほんとだ! 何か、えっと、何かの動物! でも……食べかけ?」


「いや、標高が高過ぎて雑菌が少ないから腐りにくいんだ。でも……」


 ≪我の仲間がここをねぐらにしているのかもしれぬ≫


 人に見つからない高度で、水場があり、雨風も凌げてドラゴンが2,3匹いても十分な広さがある。そんな場所に食べかけの鹿の死骸が転がっている。それをただの偶然で片付けられるはずもない。


 ラヴァニが再度周囲へと呼びかける。もしまだこのねぐらが使われているのなら、近くにいるかもしれない。


「……返事はないな。でも確かにここに何かがいた」


「ねえ、待ってたら帰ってくるかな」


 ≪ああ。だが我の仲間がヴィセとバロンを認めるかどうか、それは分からぬ。出来るだけ我から離れぬよう≫


「分かった!」


 ヴィセとバロンはラヴァニの傍を離れないようにして夕暮れを待つ。ラヴァニに干し肉などをたっぷり分け与えると、ヴィセとバロンは乾パンを齧った。


 やがて霧の果てに橙色の陽が沈み始める。東の空は紺色に染まり、星の輝きがヴィセ達に届き始める。


 今夜はこの場所で野宿だとして、火を使えばドラゴンを怒らせるか、遠ざける結果となる。急に冷え込んできた岩陰で、ヴィセとバロンはブランケットを羽織って寒さに耐えていた。


「……今日は戻ってこないのかもしれない。明日は一度食べ物を取りに戻らないとな。ラヴァニは俺達の食糧じゃ足りない」


「あ! 小さくなったら沢山食べられ……」


 ≪待て、少し声を出さずにいてくれぬか。何か……聞こえる≫

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