Contrail 10



 ≪人の血を……しかし、そなたは人の血をドラゴンと混ぜた事はないと≫


「ああ、そうだね。研究として皿や試験管の中で混ぜた事はないよ。詭弁だけどね」


 ラヴァニは友の考えを知って愕然としていた。ラヴァニは当然のようにドラゴンとしての誇りを持ち、他の生物に憧れた事などない。しかしユースはドラゴンとしての生き方をやめようとしていた。


 人になりたい、その意図が何だったのか。バロン達を見守るため、仄暗い霧の中で生き続けた事と関係があるのか。残念ながら今となっては直接聞く事ができない。


 ≪ユースはどうなったのだ≫


「……結果は、ラヴァニさんも知っての通りさ。ドラゴン本来の治癒能力が弱くなって、ユースの傷口の治りはどんどん遅れていった」


 ≪それを……それを知って何故ユースに人の血を打ったのだ!≫


 ラヴァニは思わず感情を昂らせ、一瞬エゴールの顔にドラゴンの鱗が増えていく。ラヴァニは慌てて気持ちを落ち着かせ、エゴールの答えを待った。


 雲が一瞬光を遮り、エゴールに影が差す。風が吹き抜け短い葉が視界を流れる中、エゴールの声が流されていく。


 ラヴァニの耳は風に乗って消えていきそうな言葉を拾っていた。


 ≪……我の、聞き間違いではないな。もう一度言ってくれぬか≫


「生きる事に、疲れたと。彼はそう言った」


 ≪それが何故、人になりたい事と繋がるのだ≫


「人は老いていく。簡単に死ぬことが出来る。飲まず食わずなんて辛い手段を選ばなくても、自らを傷つけなくても、老衰、病気、怪我、事故、色んな要因で簡単に」


 エゴールの表情を見れば、ユースの考えを歓迎していなかったのは明らかだ。ただ、ユースの考えに理解も示している事も読み取れる。


「彼の心は、生きていながらもう死んでいたのかもしれない。人の力で少しずつ体が弱っていきながら、それでもユースは嬉しそうだったよ。オレはそんな彼を見ていられず、年に2度ほどしか訪れなくなった」


 ≪それを、今我だけに伝えた意味は何だ。後を追うつもりではあるまい≫


「希望を見出したのは本当だ。人にも、ドラゴンにも、元から持っていたものではない血が強い影響を及ぼす。じゃあ、ヴィセくんやバロンくんの血は、俺にどう影響するのか」


 エゴールは自分の体で実験するつもりだった。研究の結果がどうであれ、彼は生き続けようとは考えていなかったのだ。


「オレもね、ヴィセくん達の前では言えなかったけど、生きていく事には疲れたのさ。人として死ねる方法が見つかるかもしれない、それが今の希望だ」


 ヴィセ達を治せるかどうか、彼らの体で実験する事は出来ない。成功しても失敗しても、エゴールは結果を伝える事で役目を終えようとしていた。


 ≪……ヴィセ達には伝えぬ≫


「ああ、そうしてくれ」


 沈黙が続き、エゴールがラヴァニへの鞍の取り付けを再開する。それから15分程経ってヴィセ達が戻って来た時、もうエゴールはいつもの笑顔で微笑んでいた。





 * * * * * * * * *




 1匹のドラゴンが羽ばたきながらゆっくりと青空へ登っていく。その高さから見下ろすナンイエートの町も湖も、指の爪程に小さい。その背には少年が2人楽しそうに座っている。


「なあ、ラヴァニ! 何の話だったんだ?」


 ≪秘密にせよと言われておる。それを易々と話して聞かせる程、我は不誠実ではない≫


「まあ、ユースさんの事が分かったなら良かった!」


「ねえ、もう着く? 山のどのあたり?」


 視線の先にはイエート山が剣のように鋭く高くそびえる。そのどの辺りか、ラヴァニの飛行能力ならすぐに分かるだろう。


 ≪愉快な事を1つ見せてやろう≫


「なに? 面白いこと?」


 バロンの問いかけにグルルと喉を鳴らし、ラヴァニはその場でホバリングする。ヴィセ達が何かと周囲を見渡す中、首を持ち上げ、頭上に大きく炎を吐いた。


 青空の中に炎が上がり、すぐに黒く小さな雲へと変わっていく。


「うおっ、あぶなっ!」


「熱い! 何、何かいた? 見えなかった!」


 ≪これから見せる、しばし息を止めろ≫


 ラヴァニはその場から少し離れ、今度はまだ残る黒煙に向かって一気に飛び込んだ。


「……ぶはっ! おいおい!」


「え、何か捕まえたの?」


 ≪良いから我の後ろを見ろ≫


「何が……おぉっ!」


「ラヴァニすごーい!」


 ヴィセ達が後方へ振り向けば、そこには翼の先からたなびく航跡雲が発生していた。


 周囲の気温が著しく低い中、熱煙を伸ばすように突き進んだ事で、水分が温度差で結晶を作り筋状の雲となったのだ。


 それはラヴァニがドラゴンとして自信を持ち、誇りを持っている事を表したものだった。人になる、死を考える、そんな事を考えず、自らの存在意義に疑問を持たない。


 エゴールは人として生を全うしたいと強く望んでいる。ユースはドラゴンとして生を全うする事をやめた。ラヴァニはエゴールやユースの事を聞いた上で、ドラゴンとして生きる事に覚悟を持たなければと考えたのだ。


 ドラゴンとして空を飛び、その能力を見せつける事で、ラヴァニはそんな自分を肯定したかった。


「飛行艇でもないのに……ラヴァニ、昔はこんな事をして遊んでいたのか」


 ≪ああ、我らは空を駆ける事に誇りを持っていた。飛行艇に出来て我らに出来ぬのは悔しくてな≫


「ラヴァニの勝ちだね!」


 それぞれの声は速度に流され殆ど聞こえない。けれど伝えようとすれば意思が届く。2人と1匹はドラゴンの待つイエート山に向け、もう間もなくの所まで迫ろうとしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る