4.【Discovered】隠者の里から
Discovered 01
4.【Discovered】隠者の里から
薄暗く緑がかった霧の大地の上に、2人分の足跡が続いている。足元は毒霧が湿気を逃がさないせいでぬかるみ、クチャクチャと粘着質な音を立てる。
150年前、ドーンの北には平坦な草原が続いていた。
小さな集落が点在し、牛や羊が草を食む。川がいくつも集まって大河となり、東の山の麓をくりぬくように流れて海へと続く。冬の寒さは厳しくとも、工業化の波から取り残された豊かな土地だった。
ヴィセが持っている地図は、当然その頃のものだ。150年の時を経た今、丘や池の位置、川の流れ、様々な面で地図は当てにならなくなっていた。
「いつの間にか湿地に入ってんだけど、こんなところ地図にないぞ。集落の跡が見えてもいい頃なんだが、まさか水没したか? となれば今日の晩はどこで休むか……」
「ヴィセ、俺くつの中が冷たい!」
「ビニールを巻いているから、冷たくても足は濡れてないはずだ。我慢してくれ」
≪我が先を見てきても良いぞ。ライトの明かりで合図してくれ≫
「助かる、あんまり遠くまで行かなくていい」
暗くなれば移動は出来ない。もしぬかるみにでもはまれば命を落としかねない。使い物にならない地図、僅か十数メーテ先も分からない視界。こんな時にはラヴァニの存在が頼もしい。
「またドラゴン見つけて怒り狂ったりしねえよな……」
「ねえねえ、空気が綺麗なところじゃないと、ご飯食べられない?」
「そうだなあ、幾ら霧がなんともないと言っても、この霧が付着した食べ物は流石に」
霧は下方に溜まりやすいが、清潔な空気が残っている洞窟や、密閉されたまま放置された部屋なども僅かに残っている。そのような場所が見つかれば、普通の人であっても一時的にマスク無しでも過ごせる。
裏を返せば、そのような場所を見つけない限り、手と顔を洗う事も、食べ物を口にする事もできない。
既に歩き始めて3日目。
昨日は清潔な場所が見つからず、ヴィセ達はマスク装着のまま野宿をしていた。やむを得ず水は飲んだが、昨日の昼からは何も食べていない。広大な平原において、清浄な空気が残った空間などあるはずがない。
肌を出せないため、トイレだって一苦労だ。
「お腹空いた……俺、毒ついててもいい。死なないならいい」
「おい、マスクは極力外すな、もう少し我慢してくれ」
マスクの中が蒸れてきて視界も悪い。どこかで一度休みたいと呟いた時、前方からラヴァニが戻って来た。
「お帰り、どうだった」
≪何やら……光が見えた≫
「え? 星でも出てんのか」
≪そうではない。霧の中がぼんやりと何かで照らされておるのだ≫
視界の悪い霧の中、その正体までは分からない。ただ、もし人工物であったのなら、安全な場所が見つかる可能性は高い。
「150年前の地図だと、この先にメーベっていう小さい集落がある。どれくらい距離があるか分かんねえけど、行くか」
「ご飯食べられそう?」
「どうだろうな、俺も腹が減ったよ。水も思いきり飲みたい」
≪我の後についてくるがいい。足場の悪い所は避けてやろう≫
* * * * * * * * *
ラヴァニに導かれて1時間ほど歩くと、周辺に崩れた木造家屋を見かけるようになった。方向感覚に自信がなく断定はできないが、メーベ村の跡である可能性は高い。
「全部、崩れてるよな」
「でも、さっきよりずっと明るく見えるよ。ライトいらないもん」
「ああ、そうなんだよなあ。電気もねえのに150年も電灯が付いてるわけねえし」
≪待て、前方に何かある≫
もうじき夜になるという時刻だが、周囲は霧が何かに照らされ、鮮やかな緑色に見える。ラヴァニはそのまま前方へと飛んで行き、1分もしないうちに戻って来た。
≪壁がある。その壁に扉が取り付けられていて中が見えた。人がおるぞ≫
「はっ?」
「先に誰か休憩している人がいるの?」
ラヴァニは何と言っていいのか分からず、ただ自分の目で確かめろとだけ言い、ヴィセの肩で翼を畳む。
≪住んでいるのではないだろうか。とても大きな建物に見えた≫
「霧の中で? 地図で見りゃあ周りには何もないんだぜ? ラウンドヒルとかいう小高い丘くらいはあるみたいだけど」
「ヴィセ、泊めてもらおうよ!」
「どんな奴か分かんねんだぞ? でもまあ、いざとなりゃあ霧の中に逃げるだけだ。行こうか」
ヴィセはしっかりとバロンの手をつなぐ。珍しく乾いた土の上を数分歩けば、確かにラヴァニが言った通り灰色の壁に行く先を阻まれた。
「光ってるのは……窓?」
ヴィセの背丈の位置に小さな窓がある。とても分厚いガラスの窓からは、昼間のように明るい光が漏れている。
「中は……えっ?」
「どうしたの? 俺も見たい!」
「建物の中に……外がある」
ヴィセが言っている事の意味が分からず、バロンはぴょんぴょんと飛び跳ねる。ヴィセが重たいバックパックごと抱えてやると、バロンの目にもその様子がはっきりと映った。
「畑だ! すごい、何かいっぱい植わってる!」
「あれはキャベツ、だよな? しかもかなり広い」
壁を隔てたこちら側は、毒霧に蝕まれ腐った大地だ。けれど、壁の向こう側は確かに霧の上か、それ以上に澄んだ空気と土壌が広がっている。
「どういう事だ? 霧の中に、何でこんな……」
≪入り口らしき扉が右側にある。何やら警備隊のような男が見張りをしていた≫
ヴィセは再びバロンと手をつなぎ、半信半疑で壁伝いに歩いていく。機械駆動車でも停まっているのかと思うほど明るい光が照らす位置まで来た時、そこには確かにラヴァニが言う通りの光景があった。
「……はっ? え、窓……いや、守衛室か?」
ヴィセとバロンは呆気にとられ、しばらくその場に立ち尽くしていた。
透明なガラス越しに室内が見える。机に座った男は守衛だろう。マスクもしておらず、部屋の中は上の世界と変わらない。それどころか技術力は上の世界よりも発達しているようだ。
灰色の壁には書類棚が並び、白い床を天井のライトが煌々と照らしている。
一体どんな場所なのか、少なくともドーンやユジノクでは存在すら聞いた事がない。ヴィセは恐る恐るガラス越しに覗き込み、軽く窓を叩いた。
『……?』
男は不審そうに顔を上げて席を立った。姿が見えなくなって10秒も経たないうちに、近くから声が聞こえてきた。
『名前は』
「名前……ヴィセ、ウインドだ。こっちはバロン・バレク」
『……名簿にない、この施設の住民ではないな』
「住民? ここに人が住んでいるのか?」
『まさか……あんたらどこからか迷って辿り着いたのか? この周囲に何もない平野の中を?』
男はようやく驚いたような声を上げ、そして訪問の理由を聞いてきた。声は扉の横に備え付けられたスピーカーから聞こえている。
「霧の中で確かめたい事があり、3日間歩いていたら偶然光を見つけたんだ。もし可能なら少し休ませて貰えないだろうか」
「綺麗な所じゃないとご飯が食べられないから、おねがい!」
男が沈黙し、数十秒程無音の時が流れる。
『子供がいるのか? ……分かった。扉の横の通用門から入ってくれ。その先に狭い部屋がある』
「有難うございます!」
ヴィセとバロンはマスク越しに笑顔を見せ、扉のドアノブを回した。重たい扉は内側に開き、ヴィセ達が通るとすぐに閉まる。
壁と同じ灰色のコンクリートの空間は、その先へと通じる扉と、4つの椅子、そして2つのロッカーがあった。
『そこで外気に触れた衣服を脱いで。ああ、マスクはそのままだ。服と荷物は壁にある鉄の蓋を開けて回収ボックスへ。心配いらない、後で霧をしっかり除去して返却する』
ヴィセとバロンは言われた通りに服を脱いだ。マスクを装着したまま、下着1枚になる。ラヴァニはそのままだ。
『それらが全部済んだら、扉の先に進んでくれ。そこでマスクを取って壁の回収ボックスに』
2人は言われた通りマスクを取り、次の部屋へと進む。そこにあったのはシャワー室だった。
『そこで霧を綺麗に落としたら、次の部屋にある服に着替えてくれ』
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