Fake 15



 ヴィセは、堪えきれない涙をぼろぼろ零すバロンにそっと近寄り、ドナートからゆっくりと抱えるように引きはがした。


 ドナートはその場で動かない。もう逃げられるとは思っていなかった。


「殺せばあんたと同類だ。だからバロンはあんたを殺さなかった」


「は、はひっ」


「人を殺しておきながら、その息子に生かされる気分はどうだ」


 ヴィセ達の姿はもう元に戻っている。だがドナートはバロンを見ながら小刻みに震え、よく見れば失禁もしていた。


「気は済んだか、バロン」


「……全然、嬉しくもない。悲しい気持ち」


「だよな。父ちゃんと母ちゃんが戻って来る訳じゃねえもんな」


 警備隊の男達がようやくハッと正気に戻り、急いでドナート一味を縄で拘束していく。1人がトランシーバーで応援を呼び、数分後には機械駆動四輪が数台墓地の入り口に到着した。


 一気に10歳程老け込んだ様子のドナート、歩けず引きずられていく手下達。


 バロンもヴィセも、ラヴァニも、ざまあみろと嘲笑ってやるつもりでいた。


 だが、残ったのは虚しさだけだ。


 ≪こんなに手ぬるい真似で良かったのか。切り裂き、炎に包み、同じ目に遭わせるべきだった≫


「それが出来ないから俺達は人なんだ。そこまでやれば心身共に人でなしさ。体がドラゴン化しようと、人でありたい」


 他にその場に残ったのは警備隊の男が4人、そしてエマとシード。


「墓は我々が責任を持って埋め直します。今日は遅いですから、いったんお帰り下さい」


「はい。帰ろうか」


 ヴィセがバロンの肩をポンっと優しく叩く。けれどバロンは俯いたまま動こうとしない。


「……イワン」


 バロンはエマの呼びかけに肩をびくりと震わせた。なおも振り返ろうとせず、拳をぎゅっと握っている。


「イワン、帰ろう?」


「俺のこと、化け物って思った?」


 バロンがポツリと呟く。その返事を聞きたくないのか、握っていた拳はズボンの裾をぎゅっと掴んでいる。バロンは実の姉であるエマの反応が怖いのだ。


 そんなバロンに対し、エマは見えていないと分かっていながら首を横に振った。そしてゆっくりとバロンに近付き、後ろからその細く小さな体を抱きしめた。


「勇敢だったよ。銃を持ってる悪い奴をあっという間に捕まえちゃった。凄いね、私はあんな風に立ち向かえない。これでようやくお父さんもお母さんも安心かな」


「怖くないの? 俺、またいつあんな姿になるか分からない」


「なったっていいじゃない。イワンはきっといつも優しい。それが私の弟なんだからそれでいいの。あなたが生きているだけで私は十分」


 エマがバロンの頭を優しく撫でる。バロンはその言葉を待っていたかのように、その場に崩れ落ちて泣いた。





 * * * * * * * * *





 ≪ヴィセ≫


「何だ」


 ≪本当に……これで良かったのか≫


「どうだろな。でも最終的に決めたのはバロンだ。ドナートを牢屋に入れる事も、エマと一緒に家に帰った事も」


 9歳の子供が背負うには重すぎる1日が終わった。ヴィセはホテルの部屋でベッドに入り、真っ暗な天井を眺めていた。


 バロンの事はエマに任せ、荷物も警備隊の者達がエマの家へ送り届けてくれた。シードは警備隊の詰め所で調書作成の手伝いをしてくれている。


 犯人を見つけ仇を討ったとしても、得られるものは何もなかった。これからバロンとエマがどのように暮らしていくのか心配だったが、きっとエマはドラゴン化した時にもバロンを守ってくれるだろう。


 自分の血を他人に触れさせない事、それだけはバロンにしっかりと言い聞かせている。


「結局、黒い鎧の男の情報は何も出なかったな。次は何処に行けばいいんだ」


 ≪我が気になったのは、我が友が攻撃を受け、ユジノクの方へ飛んで行った事だ。鎧の男はその場所を知っていたのだろうか。何故我が友の居場所が分かったのか≫


「……いや、ちょっと待て。バロンが男に会って血を飲まされたのは最近の話だ。俺が血を飲まされたのだって3年前。ドーンが襲われた時期と随分ズレてるよな」


 ≪という事は、我が友はその後も暫く生きていた、と≫


「ああ、血がそんなに長期間保存できるものとは思えない」


 ヴィセは起き上がり、ベッドの横のランプを点ける。そして鞄から地図を取り出して位置の確認を始めた。


「ドーンはここ、ユジノクは北西だ。ドラゴンって、翼や体の傷をすぐ治せるものなのか?」


 ≪程度による。だが我が友はそれが出来ず死んだのだろう≫


「傷付いた体でそう遠くまで飛んで行ったとは考えられないな、もしかして……」


 ≪我が友は霧の中でしばらく生きていた……いや、つい半年ほど前まで生きていた」


「黒い鎧の男はその時から一緒にいた?」


 真相には近づいているはずなのに、謎が謎を呼んで邪魔をする。しかし、ヴィセとラヴァニは次の目的地をもう決めていた。


「何日、何か月掛かるか分かんねえけど、霧の中を歩いてユジノクに向かおう」


 ≪その途中に何かがある……≫


 ヴィセは再びランプを消し、ベッドに入った。手伝いはしたが、後の事はエマとバロンがやるだろう。ヴィセは明日紹介所に寄ったら旅立つつもりで眠りについた。




 * * * * * * * * *




 次の日、快晴の空はまるで霧を晴らすかのように澄み渡っていた。


 ヴィセは10時頃になって紹介所に立ち寄った。シードが出迎えてくれ、ドナートは人権など無い牢屋で一生を過ごすことになりそうだと教えてくれた。


 珍獣を扱っていた店をどうするかはこれからの話だそうだ。


「エマさんは流石にお休みですね」


「ええ、昨日の事は流石に……どうしましょうか、よければバレクに電話をしますが」


「いえ……結構です。気を使わせますし、俺はこのまま旅立ちます」


「えっ? 町長が是非ともお礼を言いたいと」


 ヴィセはシードの言葉に首を振った。お礼ならエマとバロンに受け取って貰いたいといい、そのまま紹介所を出ていく。


 ラヴァニを連れて歩けば驚かれる。しかし噂は広がるのが早いもので、もうヴィセ達がドナートの悪事を暴いた事が知れ渡っていた。


 ドラゴンに襲われた町として複雑な気持ちながらも、表立ってラヴァニを悪く言う者はいなかった。


 ヴィセは保存の効く食料や飲み水を大量に買い込み、通り沿いのベンチで全てを密封できる袋に小分けを始める。


 用意したのはとりあえずは2週間分。ヴィセは重たいバックパックを背負い、立ち上がろうとした。その瞬間、通りの向こうから大きな声が響いた。


「ああーんヴィセ置いてかないでえぇぇ!」


「……はっ?」


 ボロボロと泣きながら駆け寄ってきたのはバロンだった。バロンはそのまま突進のようにヴィセにしがみ付く。その背には買ってやった革のバックパックを背負っていた。


「な、どうしたんだ? 姉ちゃんは」


「私ならここに」


 バロンの後ろからエマが近づいて来て、深々と頭を下げる。


「弟を……イワンを、宜しくお願いします」


「へっ? だって、せっかく一緒に暮らせるのに」


「イワンは、自分の血の事をもっと知りたい、出来れば元に戻りたいと。それなら納得のいくまでお願いしたら? と」


「俺も、えぐっ、ふえぇぇ……」


 ≪……元はそのつもりで寄った町だ、本人が良いなら問題なかろう≫


 家族を引き離すのは気乗りがしないが、ヴィセは何だかんだバロンに弱い。


「生きていれば会えます。必ず戻って来て下さい」


「……ハァ。おいバロン。あっ! お前、涙と鼻水で俺のズボンの変なとこが濡れてんじゃねえか!」


 ヴィセが叱ると、バロンは泣きながら笑う。そしてヴィセから離れてエマに一度ハグをした。


「……お前の食い物買いに行くぞ。自分の飯は自分で持てよ」


「っ! うん!」


 連れて行って貰える事に喜んだのか、それとも飯という言葉に喜んだのか。エマとヴィセは互いに笑い合いながら頭を下げ、3人と1匹で買い物に向かった。


 大通りを町の端まで歩き、北西の崖を降りていけば霧の下に潜れる。


 次はどんな真実が待ち受けているのか。不安と希望に満ちた旅は、引き続き2人と1匹の組み合わせで繰り広げられることになった。

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