Misty Ground 09
バロンに問いかけられ、ヴィセは言葉に詰まった。
もし死んだ家族や村の皆に会えるのなら、幽霊でもいいから現れてくれたら。そう思いながら過ごした日々は、ヴィセの人生において決して短い期間ではない。
会えるのなら会いたい。あの日に戻れるのなら喜んで戻る。それが叶わないと分かっているから諦めているだけだ。
ヴィセの言う強さは、諦めに過ぎなかった。
「……会いたいさ。ラヴァニがドラゴンの力で見せてくれた母さんの最期の姿に、思わず手を伸ばしたくらいに。そうだな、俺は悲しいし、寂しいよ」
そう呟くヴィセの表情は暗くてよく分からない。だが、いつものように穏やかな笑みを浮かべているのだろう。一度我慢を覚えた心は、すぐには感情を解放してくれないものだ。
「俺、寂しいより楽しい方が勝ってる時もあるけど、寂しい方が勝つ時もある。仲間からは泣くなってよく怒られたけど、悲しくなるなって言われたことないよ」
「ああ、そうだな。バロン、お前は強いよ。悲しみにも向き合って、理解しようとしている。そしてやっぱり優しい」
≪どうやらヴィセよりもバロンの方がしっかりしておる。悲しんでばかりはおれぬが、そうだな。今日の一晩は友の死を悲しみ、懐かしむとしよう≫
「ラヴァニの邪魔は出来ないな。さあ、もう寝ようか」
バロンがベッドに戻り、皆がそれぞれ自身の持つ悲しみや寂しさを抱いて眠りにつく。
外はもう真っ暗だが、ヴィセ達が泊まる3階の部屋には外の店や街灯の明かりが淡く忍び込む。時折機械駆動二輪のエンジンや排気音と、酔っ払った者の笑い声が響き、次第にまどろみの中へと溶けていく。
雨はもうすっかり上がっていた。
* * * * * * * * *
翌日。
雨上がりの空が地面まで手に入れようと、水たまりの中でゆらゆらと輝く中、それを壊すかのように黒いブーツが堂々と踏み込んでは濁らせていく。
黒いブーツの持ち主はバロンだ。わざと水たまりに足を付けてはしなやかな尻尾の先をくねらせ、そして得意気に振り返って笑う。
「見て! ぜんぜん濡れない!」
「まさか1日で靴のつま先がべろんと剥がれるとはな。だから最初買う時にそれにしろって言っただろ」
「だって、あの靴カッコよかった。でもこっちの方がいい、この靴は強そう」
「強そうってのが分かんないけど、お気に召したようで何より」
ホテルを出発する際、バロンは慣れない絨毯のふかふかに足を取られて躓いた。その際、霧の中でも耐えていた新品の靴のつま先がぱっくりと口を開き、バロンの指が丸見えになったのだ。
飛行艇の時間は決まっており、修理が終わるまで面倒を見てはいられない。ヴィセはこの町でもう幾らになったか分からない出費にため息をついて、バロンに新たなブーツを買ってやった。
「紹介所はこっちだ。おい、水たまりはもういいだろ」
「ほら、濡れない!」
「だから、濡れない靴を買ったんだろ」
バロンは大喜びで、水たまりの中にずっといても濡れない事を自慢している。
≪あのような真似をして何がそんなに嬉しいのか≫
「ラヴァニも履くか? 買ってやるぞ」
≪我は体に纏わりつくものは好かんのだ。あの石鹸とやらも≫
悲しみや寂しさをひとしきり噛み締めたと知っているのか、青空は無理矢理でも清々しさを感じさせようとする。ヴィセは何度目か分からないため息をつきながら、バロンとラヴァニを連れて紹介所へと向かっていた。
昨日の事で記憶から零れ落ちそうになっていた、バロンへの報酬を渡すためだ。
相変わらず周囲の者はラヴァニの姿に驚き、やや距離を取る。受付の者達の反応もやはり同じだ。
「ほ、報酬……ですね。受付番号を」
「48960です。報酬は全額渡してやって下さい」
職員は目の前で紙幣を数え、10枚を封筒に入れた。その封筒はバロンが受け取る。
「有難う。バロンのお陰で色々と分かった。ラヴァニも……ちゃんと友達に会えた」
≪そなたは強い。だがもう霧の中には行くな。たとえ再び会う事が叶わずとも、我は仲間を失いたくはない≫
「……うん」
報酬は1万イエン。情報のみの報酬としては破格だ。もちろんバロンは今までそんな大金を手にした事はなく、これがあれば皆で慎ましくも美味しいものが食べられる。
今日からは畑づくりも始まり、数人ずつの交代だが、来週から牧場で手伝いの仕事も出来る事になっている。手元の大金だけでなく、これからは危険を冒さずとも暮らしが良くなる。
しかし、バロンは先ほどまでのはしゃぎようとは打って変わっておとなしい。
「どうした」
「……ねえ、俺も行ったらだめ?」
「みんな霧の中には行っちゃ駄目だ。いくら霧の中でも平気でいられるからって、化け物が襲って来るんだ……」
「そうじゃなくて! 俺も、連れてって」
バロンは自身の服の裾をぎゅっと掴み、ヴィセの足元を睨みつけるかのような表情で思いを絞り出す。
報酬に喜んでいない訳ではない。この場において、今日のバロンはヴィセ達との別れの悲しさが上回っているのだ。
一昨日会った時から、バロンはヴィセとずっと一緒にいた。ヴィセは昨晩も当然のようにホテルに泊めてくれた。
自分が知り合ったおかげで、仲間はここ数日ご馳走にありつけた。それは自分の手柄だと自慢したいくらいだった。
そうやってバロンは自分を特別扱いして貰える気になっていた。
早い話が、自分もこのまま連れて行って貰えるのではないかと期待していたのだ。一緒に行こうと言ってくれるなら、喜んで着いていくつもりだった。
「お前にはみんながいるだろ」
「……ヴィセと一緒に行きたい」
あともう一度駄目だと言えば、バロンは泣き出すだろう。いや、正確に言うとするなら、もう泣いている。あんなに喜んでいた防水加工のブーツは、乾いた泥の上からまた濡れていた。
≪ヴィセ、どうするのか。我はバロンを覚醒に巻き込んでしまった負い目があるのだが≫
「バロン。俺達は黒い鎧の男を探して、これから危険な目にも遭うと思う。俺もラヴァニも前の町で銃を向けられたし、俺は実際に足を撃たれた。連れてはいけないよ」
「ドラゴンの力のこと、同じだねって言った! 俺も同じなら、何で駄目なんだよ! 俺も行きたい!」
「スラムの皆の事はどうする。大切な仲間だろ」
一時の寂しさで付いて来て、後でホームシックになられてはたまらない。
飛行艇の時間はあと1時間後に迫っていたが、ヴィセはバロンに対し多少の情も湧いている。流石に振り切るように旅立つ事も出来なくはないが、恨まれたいとは思ってない。
「……午後の便に乗るか。ドーンに着くのが夜になるが仕方がない」
≪急ぎたいが、急がねばならぬ程でもない。我は構わぬ≫
「とりあえず一度スラムまで行こう。1万イエンを落しただの盗まれただの、とにかく失くすような事があったら大変だ」
スラムに帰せば、やはり仲間と一緒がいいと言い出すだろう。ヴィセはそう思っていた。
一方、バロンはヴィセが自分をまいて姿を晦ますのではないかと疑っていた。しっかりとヴィセの服を掴み、決して逃がさないという強い意志が窺える。
そんなバロンをスラムに連れ帰ると、ヴィセは早速子供達に囲まれた。
「みんな、聞いてくれ」
だが、ヴィセが皆に説得してもらうため事情を話そうとすると、子供達が我先にと喋りはじめる。
事態は思わぬ方向へと動いていたようだ。
「バロン! 聞いて、ここをね、町の畑にするんだって! あたしたちみんな別の場所に家を建てて貰える事になったんだよ! あの鱗、支援者のおじさんが町長にすっごく高く買わせた!」
「みんなちゃんと町の子になれるし、10歳になった子は町の仕事を手伝って、お金も貰えるんだって!」
「バロンは旅に行っちゃうんでしょ? でもみんなこれで安心して大人になれるわ!」
バロンはぱあっと表情が明るくなるも、ヴィセとラヴァニは突然の事に頭がついて行かない。
「……えっと、はい?」
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