Misty Ground 10
鱗を持って帰って来たことから、なぜそんな急展開になったのか。ヴィセが首を傾げていると、よく世話に来ている男が笑顔で近づいてきた。
「いやあ、あんたのお陰だよ。正直ドラゴンを連れた旅人と聞いて、警戒していたんだが……」
「俺は畑を作ったらどうかと提案しただけだ。鱗だって子供たちが見つけて、バロンと一緒に取りに行っただけだ」
「そこだよ、その鱗を孤児達が霧の下から持ってきたと聞いて、商人が激怒したのさ」
「……何かまずかったか? 誰の持ち物という訳でもないはずだ」
ドラゴンの鱗の存在を知る者がいたとは思えない。大人達は殆ど霧の下に潜っていないという。商人が激怒したのは、別の理由だった。
「この町は子供を使って霧の中から物資を持ち帰っているのか! ってね。町の者は子供達が何をやろうと知ったこっちゃない。だが子供を危険な場所に行かせていると広まれば流石に印象が悪い」
「そうか。そんな町から物を仕入れているとなれば、おそらく非難が及ぶ。出所を偽れば信用も落ちる。町としては避けたいだろう」
「この町はあまり町政が機能しているとは言い難くてね。人手も足りないし、町に着いた荷物や手紙が1週間配達されない事も日常茶飯事。子供達の衣食住の保証と引き換えに、やってもらいたい事もあるのさ」
何もかもタダでという訳ではない。それでも物心ついた時から霧の下へと潜る生活より格段に良い暮らしが出来る。
「俺もかつてはこのバラックに住む孤児だった。1人前になってからもみんなを放っておけなくてな、この町に残ってる連中で僅かだが助けてきた。ようやく安心できる」
炊き出しを行っている支援者は皆、ここで12歳手前まで暮らした孤児なのだという。何もかも面倒を見る余裕はないが、せめて食べるものはと、週に1、2度様子を見に来ているのだ。
「ここでは1人立ち出来る者から巣立っていく。バロン、君は旅に出るのかい?」
「うん!」
「おい、俺は何も言ってない……」
「バロン、元気でね! 時々帰ってきてね!」
「うん! みんなも元気でね!」
もう皆の中でバロンはこの町を去る事になっているようだ。
過去数十年間で何十人、何百人もの子供たちが12歳となるまでにスラムを出て行った。彼らは幼いながらに、この場所が仮の住処だと理解している。
バロンが居なくなる寂しさは、全くない訳ではないだろう。しかし1人前になるという事は、孤児という扱いから脱出できるという事だ。それは喜ぶべきであって引き留めたり、残りたいと駄々をこねるものではない。
バロンが残るという選択肢を考えていないのは、そのような環境に身を置いていると理解していたからだった。残れと言われるのは、つまり1人前ではないと言われているのと一緒だ。
「……バロン。お前、俺達と一緒に旅に出てどうするんだ」
「どうする? えっとね、いっぱい色んなところに行く」
「お前は、連れて行ってもらうのか? それとも自分で目指すのか」
「なに?」
10歳、11歳程度、ましてや同年代の子供としか触れ合っていないバロンは、考えるという行為が苦手だ。ヴィセに問われた内容が理解できず、首を傾げている。
数の計算などは仲間の誰よりも得意だし、身体能力も高い。歳の割にはハキハキと喋り、物怖じもしない。だが、面倒を見て貰った事はあっても、育てられたことがない。どうしても理解できる物事の範囲は狭くなる。
≪ヴィセ、連れて行く事はできぬか。我の怒りによって、バロンの血は覚醒してしまった。もしバロンが何かに怒りを覚えた時、周囲の者は受け入れてくれるだろうか≫
「そりゃあ、そうだけどさ。……ドラゴンの血の事を考えたら放ってはおけないけどさ。子供1人の命に責任は持てない」
ヴィセが言う事にも一理ある。ヴィセはバロンに何事も起きないと言い切れるだけの自信がない。旅に連れて行かなければならない理由も義理もない。
死なせてしまったり、怪我をさせることだってあり得る。それでいて万が一の際、責任を負うのはヴィセだ。
≪数年して迎えに来る、もしくは時折様子を見に寄るというのはどうか。幼過ぎるというのであれば、そのような約束もよかろう≫
「ハァ、そうだな。おいバロン。1年間しっかり読み書きを習って、それで……」
ヴィセがため息交じりにバロンに視線を落とす。その顔は唇をかみしめ、目に涙をため、悔しそうにヴィセを見つめている。泣き声を響かせる寸前だった。
「ふっ、ふ……あーん! ヴィセがあ、お、俺のこと捨でるうぅ! あーん俺も行ぎだい! ぶあぁーん!」
「な、なんだ、どうした!」
サイレンでも鳴り響いているかのような泣き声に、皆が驚いてバロンを取り囲む。
「ヴィセが、おれ、俺のこと、連れでいがないって、置いでいぐって、ひっく、言ったああ! うあぁーん! うぇっ、ふえぁあああ!」
「おいあんた、バロンはあんたと一緒に旅に出るのを楽しみにしていたんだぞ。昨日は畑の話をしている時もそっちのけで、そりゃもう嬉しそうに」
「えー? バロンの事置いて行くの!? なんで?」
「なあ、2度捨てられるなんて不憫な事しないでやってくれ、もし旅に合わないようなら迎えに行ってもいい。だがまずはチャンスをあげて欲しい」
世話人の男はバロンを連れて行ってくれと頼み込む。流石に、2度捨てられるという言葉はなかなか堪えるものだ。ヴィセはまるで悪い事をしている気分になる。
「ふ、ふえっ、えっく、あーん! うわぁぁん! うおぉぉ置いでいがないでぇぇぇ」
「お金が掛かるからだめなの? ねえ、あたしのお金使ってもいいよ?」
「おれのお金もある! はい!」
「わたしのも出してあげる、足りる?」
子供達はバロンの1人立ちを手伝おうと、なけなしの金をポケットから取り出す。ある子は僅か50イエンを、別の子はお守りの中からとっておきの1000イエン札を。
皆、大事に大事に貯めてきたお金、全財産だ。それも仲間のためなら惜しまない。
ヴィセはまだバロンを連れて行く事に不安があった。だが、孤児達にここまでされて連れて行けないとは言い辛い。
「……分かった、分かった。バロンは連れて行く。聞き分けがなかったらすぐに連れて戻る、いいな」
「ほんと? バロン、良かったね!」
「バロンおめでとう! あんたもここから出られるね!」
子供達から歓声が上がり、皆がそれぞれバロンにハグをする。
「あぁーん! ヴィセええぇぇ」
「連れて行くって言っただろ、泣かないでみんなにちゃんと挨拶しろ」
「ふっ、ふあああん、うっ、うおぉぉん! 俺うでじい……ありがどおヴィセええぇ」
≪こやつ、なかなか
バロンは泣きながらヴィセにしがみ付き、絶対に置いて行かせないと言わんばかりにヴィセのコートをぎゅっと握る。涙がどんどんコートへと滲み込んでいき、すすった鼻も……乾いてはいなさそうだ。
幼子のように泣きわめき、ひっくひっくと声を引きつらせながら、落ち着くまで数十分。バロンは皆にヴィセから受け取った報酬を渡すと、大きく手を振り、満面の笑みで住み慣れたスラムを後にした。
「ハァ。こうなるとは思ってなかった……おいバロン、聞いてんのか。いい加減コートにしがみ付くのはやめろ」
「手放したら逃げるもん! 俺の事置いていくもん」
「もう置いて行かないってば。飛行艇のチケットも2枚買っただろ、ほら」
ドラゴンを肩に乗せ、脇には今にも泣きそうな猫人族の子供がしがみついている。発着場で待っている間、今までとは違う不審そうな周囲の視線がヴィセに突き刺さる。
「ハァ……なんだこれ」
やがてヴィセのため息に続くように、1機の飛行艇が目の前に現れる。
テレッサに連絡を入れる暇がなかったと肩を落としながら、ヴィセはバロンを連れて搭乗用のタラップを上り始めた。
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