Misty Ground 08



 * * * * * * * * *




 ホテルに帰り、ヴィセはシャワーを浴びていた。今日はラヴァニも一緒だ。


 効かないとはいえ、防護服の中へと入り込んだ霧は服や肌に付着している。ラヴァニにいたっては元の色が分からないくらいベタベタだ。


 ≪もう良いと思うのだが、いつまで我に温水を浴びせる気だ≫


「少し我慢しろ。毒霧を含んだ雨の中にずっといたんだぞ、砂埃を払うのとは訳が違う」


 ≪む、その奇妙な泡だけは好かんのだ、頼む、顔に近づけないでくれ≫


「洗わねえと部屋から追い出す」


 ≪待て、我が良いと言うまで……待てと言っておるだろう! 目が、目が!」


「あははっ! ラヴァニうるさいね」


 どうやらラヴァニは体を洗う石鹸の泡が嫌いらしい。

 

 ヴィセの横ではバロンがしゃがんでシャワーの空きを待っている。シャワー設備などないバラックのスラム街に、毒霧で汚れた手や服のまま帰すわけにはいかない。


「バロン、洗面器にお湯張ってるから服を洗っていてくれ」


「うん。俺ね、シャワー好き」


「俺も。村にはそんなものなかったからな。窯で湯を沸かして木製の大きな槽を作り、その中で温まる事はあったけど」


「俺達は遠くの沢で水汲んできて、体拭くだけ。冬は寒いから体臭くなるまで我慢!」


 自身の体のドラゴン化を知ったヴィセ、ドラゴンの血を取り込んでいる事を知ったバロン、そして仲間の死骸を見つけたラヴァニ。


 とりわけ、ラヴァニの落胆は計り知れないものがある。


 ラヴァニを元気づけるためにも、暗い雰囲気を避けなければならない。そのため、ヴィセは努めて明るく振舞っていた。


 その姿は自身のショックを隠し、ラヴァニやバロンの事で気を紛らわせているようでもある。


「ラヴァニ、終わったよ。バロン、髪の毛までしっかり洗えよ。……なんか、お前本当にガリガリだな」


「みんなそうだよ、俺は元気な方」


 まだ幼いというのにあばら骨は浮き出て、手足は小枝のように細い。お腹は背中とくっつきそうだ。


 普通は栄養失調に陥ると、肝機能の低下から腹水で腹がぽっこり出る。しかしバロン達は炊き出し等のおかげもあってか、内臓機能の低下までは起こしていようだ。


 他所に比べると、まだ恵まれている。だからこそユジノクには孤児が集まって来る。


 シャワーを終えると2人と1匹は食堂へと下りた。相変わらずバロンは目を輝かせて嬉しそうに料理を頬張り、ラヴァニは塩分を拭き取ったステーキの欠片を丸呑みだ。


 バロンは出会った当初に比べすっかり穏やかになり、ラヴァニとも会話を楽しんでいる。長い期間1人で生きていたヴィセは、この賑やかな空間をとても気に入っていた。


「美味しいね、こんなに美味しいあるんだね」


 バロンは読み書きが出来ないため、メニューを見ても何か分からない。羊の肉だとは知らず、何の肉だろうと言いながらニッコリと笑う。


「羊だよ。俺の分も少しあげるから、もっと食べな」


 ≪我にも分け与えているではないか。自身の分は足りているのか≫


「ああ、食欲が湧かないんだ。疲れすぎたかな」


「本当に食べない? 俺、大丈夫だよ」


「残したら勿体ないからな。食べられる時に食べとけ。ラヴァニももう少し」


 あまり慣れていないナイフでステーキを千切るように分けると、ヴィセはビールを飲み干した。





 * * * * * * * * *





「おやすみ、疲れただろうからよく眠れよ」


「うん。ヴィセも、ラヴァニもおやすみなさい」


 バロンに歯を磨かせておやすみを言った後、ヴィセは電気を消してベッドに横になった。枕元にはいつものようにラヴァニがいる。


 ≪ヴィセ、そなた今日は覇気がないな。どうした≫


「何でもないよ。ラヴァニこそ、仲間の死が辛かっただろう。大丈夫か」


 ≪……老いて死ぬことはないが、不死ではない。ついの日が訪れただけだ。だがそうだな。最後に挨拶くらいは交わしたかった。いつになく悲しい気分だ≫


 やっと会えた仲間が屍となっていて、相変わらずドラゴニアの場所は分からない。黒い鎧の男の事が少し分かったものの、依然として居場所は不明。


 希望もあったが、今日はラヴァニにとって絶望の方が大きかった。


 生きたドラゴンの目撃情報を得るためには、そろそろ次の町ドーンへと移るべきだろう。ヴィセは一度テレッサに電話で連絡したいとも思っていた。


「明日、紹介所に寄ってバロンに報酬を渡そう。テレッサにも連絡を入れて、それからドーンに。まだまだ手がかりが少なすぎる。早くドラゴニアもドラゴンも見つけたいからな」


 ≪ヴィセ≫


「ん? 何だ。そろそろ寝ないと」


 ≪そなた、それで良いのか≫


「良いって、何が」


 暗闇の中、ラヴァニの金色の目がヴィセを見つめている。何の事か分からず、ヴィセはゆっくりと寝返りをしてラヴァニの方を向いた。


 ≪少しは自分のために動かぬか。仲間を失ったのはそなたも同じだ。己の体の事も、今後の生き方も、本当は早く知りたいのだろう。気遣いには礼を言う。だがそんなに物分かりが良くて、辛くないのか≫


 ラヴァニは、ヴィセが意識して明るく振舞っている事に気付いていた。


「……どう、かな。確かに俺は幸せな方じゃないだろう。村を焼かれ、家族も殺された。でも、バロンを見ろよ、まだ11歳になるかどうかだぞ。俺が弱音を吐くわけにはいかない」


 ≪悲しみとは、誰かと比べ勝っていなければならぬものか。不幸は競うものか≫


「そうは言ってねえよ。俺は……嫌なんだよ、生きている相手にしか、笑う事も優しくすることも出来ないだろ。役に立とうとした時には遅くて、無力を理由に後で悔やむのはもう嫌だ」


 ヴィセがぽつりと漏らす本音は、ラヴァニが今まで聞いた事のないものだった。いつもどこか一歩引いた言動を取り、目標は掲げても自分の願望は口にしない。


 飄々と切り抜け、何があっても大したことはないように振舞い、何かを新たに手に入れる事を諦めているようでもあった。ラヴァニは、ヴィセが故郷と共に何か大切な感情をも失っていると気付いた。


 ≪我は仲間を失くした。バロンは親を失い、仲間も何人か死んでいると言った。そなたは、それを悲しんでくれたではないか。何故自分だけ遠慮する≫


「遠慮じゃないんだ。俺は3年……3年経ってようやく外に踏み出したんだよ。追い出されたような形だけど、3年掛かった。悲しみはもう村に置いてきた」


 ≪身に起こった事を許したわけではなかろう≫


「まあ、ね」


 ヴィセはラヴァニの背をゆっくり撫で、大丈夫だと繰り返す。ラヴァニがその言葉に対し再び尋ねようとした時、先に声を発したのはバロンだった。


「悲しくないはずない!」


「バロン? 寝てなかったのか」


 ラヴァニの声はヴィセだけでなくバロンにも届く。バロンは会話を全て聞いていた。


「みんなが殺されてもう悲しくないとか嘘だ。ヴィセ可哀想だよ、俺の事可哀想って思ってくれるけど、ヴィセも可哀想だ」


「……有難う、バロンは優しい。何だろうな、みんなを失った時、悲しい気持ちも一緒に失ったのかな。3年経って、ようやく強くなれたのかもしれない」


 ヴィセはバロンを宥めるように、努めて優しく話す。けれどバロンはそんなヴィセの言葉を遮った。


「悲しくないのが強くなるって事なら、俺強くならない。俺は父ちゃん母ちゃん死んで親戚のおっさんにユジノクで捨てられた。今でも悲しいよ、父ちゃんにも母ちゃんにも会いたいもん」


 バロンの声は震えていた。孤児にも関わらず逞しく見えるのは、それはそうでなければ生きていけないからにすぎない。


 会いたいと言ってもどうにもならないだけで、会えない悲しさはいつも抱えているのだ。


 それはヴィセにも言える事。大切な者を失った者同士、ヴィセは自身の心を見透かされている気がした。


「悲しいって事は、弱いって事? ヴィセは……今はもう父ちゃん母ちゃんに会いたくないの?」

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