Misty Ground 03


 * * * * * * * * *




 ヴィセはバロンを食事に誘い、ガスマスクと防護服も買ってやった。まめに洗濯できる環境にないため、いつまでもつかは分からないが、パーカーや長ズボン、それに靴も買い与えている。


 衣服まで面倒を見てやる義理はないが、満面の笑みで、なおかつ少し遠慮がちに選ぶ姿を見ると心が温かくなるものだ。


 モニカではテレッサを頼り、家族の身を案じるパブのマスターと接した。そのおかげで人として当然の繋がりや感情を取り戻したのか、ヴィセは頼られる事を懐かしく、嬉しく思っていた。


「化け物から襲われて、命からがら逃げる途中で……霧を吸った、という事か」


「うん。倒れている所を助けてくれた。変な薬だったけど、それを飲ませて貰ったら治ったんだ」


 バロンはパスタを美味しそうに頬張り、口の周りをソースでベタベタにしている。ヴィセもあまり行儀がいいと言えないが、兄のような気持ちになったのか、口の周りを拭いてやった。


「その後はどうしたんだ? 他の仲間は」


「その時の仲間は帰ってこない。一昨日行った奴らも……まだ帰ってこない」


「危ない生活をしているんだな。それにして……も、ちょっとまった、何を飲まされたって?」


 ヴィセは薬という言葉を聞き流しそうになったが、驚いた顔でバロンを問い詰める。


「薬だよ。何か、赤い飲み薬」


 ヴィセはまさかと頭を抱える。もしもそれがヴィセの時と同じなら……。


 ≪ドラゴンの血……我が同胞の血を≫


「ああ、その可能性がある。バロン、俺もその薬で助けられたんだ。その時の薬の瓶を覚えているか? レーベル語が書かれていなかったか?」


「お、俺、読み書きは出来ない」


 親がおらず、教育も受けていない。そんなバロンが文字を理解できないのは仕方なかった。その瓶にも我が友クエレブレの血と書かれているなら、男は飲めるほど新鮮なドラゴンの血をいつでも手に入れられるという事になる。


 ヴィセは考えながら、干し肉を噛むラヴァニに確認する。


「ラヴァニ。もしかしたらバロンにも話しかけられるんじゃないか」


 ≪……血が覚醒していないようだ。もっと強く伝える事も出来なくはないし、我の怒りで呼び起こす事もできるが……気が進まぬ≫


「俺が止める」


 ≪それは、ヴィセと同じ運命を背負っていると告げるに等しい。ヴィセにも覚悟はあるか≫


 目の前に座っている少年は、ヴィセと同じドラゴンの仲間だ。ドラゴンが身近にいなければ、このまま普通の猫人族として生きていけるかもしれない。


 いつか子供を授かった時、どうなるのか……色々な不安はあるにしても、試しに告げるような軽い真実ではない。


「なあ、一体何を話してんだ?」


「ああ、いや……」


 ヴィセはまだバロンに打ち明ける勇気がなかった。また、ラヴァニの気が進まないという言葉の真意にも気づいていなかった。


 ラヴァニがモニカのパブで狙われた時、ヴィセは体の半分がドラゴンに変わろうとしていた。


 ヴィセ本人はまだそれを知らない。


 もしラヴァニがまた怒りを伝えたなら、ヴィセは再びあのような姿を人前に晒すかもしれない。


 体の変化は服で隠れており確認できなくとも、顔半分がドラゴンとなった姿を見て、誰がヴィセに友好的な態度を貫いてくれるだろうか。ラヴァニもまた、ヴィセに姿の変化の事を告げる覚悟がなかった。


 ≪……ひとまず、黒い鎧の男が健在である事、相変わらずドラゴンに近しい事が分かった。何処から来たのか、何処に行ったのか、聞いてはくれぬか≫


「ああ。なあバロン。その人は何処から来たと言っていたかい」


「分からない。でも、霧の中を歩いてきたんだ」


「霧の中を?」


「そう。霧の上からじゃない、廃墟の奥から歩いてきた。そういえば……ヘルムを被っていたけど、ガスマスクは……着けてなかった。東に行くって、言ってた」


「なんだって?」


 ヴィセはバロンの言葉に驚く。男自身の事が新たに分かったからだ。


 霧の中でもガスマスクを必要としない。それはつまり男自身もドラゴンの血を体に取り入れているであろうという事。


 バロンもきっと霧への耐性がある。ただ、覚醒していない状況で大丈夫なのかまでは分からない。


 ドラゴンの力がどこまで及んでいるのか、それを確かめるためだけに霧の中に放り込むわけにもいかない。ガスマスクは付けさせた方がいいだろう。勿論ヴィセも形だけ装着するつもりだ。


 ヴィセは男の事を更に詳しく訊いた後、明日は一緒に霧の下に降りようと提案した。




 * * * * * * * * *




「俺の分も宿取って、大丈夫なのか? ヴィセさん。お金掛かるんだろ?」


「大丈夫だ。これは色々教えて貰った分の礼だと思って欲しい。それに、君の家で話していると、周りに丸聞こえで黒い鎧の男の話が出来ない」


「あ……ちゃんと秘密の事、考えてくれてたんだ」



 バロンは秘密を守ろうとしているヴィセに対し、すっかり心を許していた。


 物心ついた時には既にバラックで他の子達と身を寄せ合っていた事、霧で道が通れなくなって以降、孤児の流入が殆どない事、今までに亡くなった仲間の事。


 そんな生い立ちを語るバロンもまた、明日がどうなるか分からない身だ。何の変哲もないホテルの一室に目を輝かせ、布団に顔をうずめて嬉しそうに笑う。生きてきた中で、一番贅沢な1日だという。


 時折町の人が炊き出しをしてくれたり、商人が鉄くずを引き取るついでにお菓子をくれる事もあるというが、子供であっても基本的に誰かの庇護の下にはいない。


 その日を生きる事に精いっぱいだったのはヴィセも同じ。しかし、家族や故郷をそもそも持っていなかったという少年の事を放っておけなかった。


 テレッサも親を失っていた。ヴィセのように失う事、元からいない事、どちらが不幸なのか。ヴィセは自分の事を棚に上げ、バロンに問いかける。


「バロン。お前はこれからどうしたいって夢はあるのか」


「え?」


「何になりたいとか、どんな暮らしがしたいとか」


「うーん。12歳になったらスラムを出ないといけないし、それまでに読み書きできるようになりたい」


「バラックを出る?」


「12歳を過ぎたらこの町の決まりで浮浪者は捕まる。俺、自分が本当は何歳なのか分かんないけど。初めて来た日が4歳って事になってるから、もうすぐ11歳」


 周囲の子供たちも、自分の年齢や誕生日を知っているのは一握り。年長の子が霧の下に潜れるまで幼子の面倒を見る。そうやって生活していくうちに、周囲の子の背の高さ、行動などから、おおよそ自分が何歳か判断するのだという。


 ≪この者以外にドラゴンの血を飲んだ者がいないか、尋ねてくれ。我は黒い鎧の男がただの善人なのか疑わしく思っている≫


「ああ、分かった。バロン、せっかく出会った縁だ、色々協力する。俺は読み書きと簡単な計算くらいなら村で習ったし。ところで他に黒い鎧の男から助けてもらった奴はいるのか」


「多分いない。その時生きてたのは俺だけだったし、その人も俺を助けてくれた次の日には東に行った」


 ≪我の考え過ぎ、か≫


 ラヴァニが何を確かめたかったのか、ヴィセはそれを今確認すべきではないと感じていた。何も知らないバロンの前で、不安を煽るような真似はしたくなかった。


「さあ、今日はもう寝よう、明日は陽が昇ったらすぐに出発だ」


「おやすみ、ヴィセさん」


「ヴィセでいい。おやすみ、バロン」


 寒さを感じず、清潔なシーツに包まれて眠ることが出来る。ヴィセはそれだけで幸せだと言うバロンの事を、どうすればいいのか迷っていた。


(ドラゴンの血の事、教えるべきなんだろうか)


 ≪時は満ちるものだ。必要な時に気付く≫


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