Misty Ground 04




 * * * * * * * * *




 翌日、ヴィセとバロンは谷の下へと向かう旧道を歩いていた。バロンの目が心なしか赤いが、別に怒られた訳ではない。


 焼きたてのパンに温かいスープ、それにソーセージと目玉焼き。ありふれた朝食であってもバロンにとってはこの上ないご馳走だ。昨日からの夢のような生活に、今朝バロンはとうとう感極まって泣いてしまった。


 泣きながら「ヴィセ、有難う」と繰り返すバロンのため、むず痒さを感じていたヴィセは幾つかパンをお替りさせた。


 だが、バロンはお腹いっぱいだからと1つだけ残したのが悔しくてまた大泣き。


 霧に触れた食べ物は口にできない。持って出かける訳にもいかず、結局ヴィセとラヴァニが食べた。


 バロンが落ち着いた後、更にはバラックの仲間にも分けようと、バロンに縋りつかれる形で近所のパン屋や総菜屋に立ち寄り、食料を買った。


 50人全員に配りきると、もう時間は昼に近くなっていた。


「もう少し食べておけよ。夜まで何も口に出来ないぞ」


「うん。ねえ、俺こんなにいっぱい色々してもらっていいの?」


「ああ、こうやって協力して貰わなくちゃいけないからな。霧の中で、鎧の男は何をしていたんだろう」


 ≪霧が近いようだ、我が先を調べよう≫


「ああ、有難う。バロン、そろそろガスマスクを」


「分かった。霧の中に入ったらこれ着けて。ラヴァニは首から下げてあげる。霧の中で迷っても目印になるから」


 ≪礼を言う。ヴィセ、伝えてくれ≫


「ラヴァニが有難うってさ」


 バロンは小さなカプセルをポケットから取り出し、それを真ん中で折り曲げた。直後から淡く黄色い光を放ち始めると、透明のケースに入れて首からぶら下げる。


「中身は液体か? へえ、こんなものがあるのか。便利だな」


「廃墟に沢山あって、俺達の仲間がたくさん持って帰って来た。新しいのみたいにしっかりとは光らないけど、欲しいって言われたら町の人にも売ってる」


「中身は何だろう」


「分かんないけど、毒とか、危ない光とかじゃないんだって。食べたら駄目」


 小く長細い透明のカプセルの中に2種類の化学薬品が入っており、真ん中で折ると混ざり合って化学反応で光る仕組みだ。


 この「ケミカルライト」は、流通経路の都合で値は張るが現代でも手に入る。


 子供達が廃墟から持ってきたものは、もう100年以上前のものであり、放つ光も弱い。だが霧で日光を遮られた寒い場所にあるおかげなのか、全く使えない訳でもない。安いおもちゃ代わりとして良く売れるのだという。


 ヴィセにとって、霧の下に潜るのは初めての事だ。レインコートを加工した防護服と、隙間を埋めるビニールやテープでぐるぐる巻きになった姿で、ゆっくりと坂道を下っていく。


「霧の中に入ったから化け物が来る。俺は猫人族だから耳がいい。合図したら止まって」


 ≪我が殲滅してやろう。そなたらは何も心配いらぬ≫


「大丈夫、ラヴァニが守ってくれるってさ。いつもどうやって退治してたんだ?」


「棒とか石とか拾って投げる。みんなで一斉に投げたらだいたい逃げるから」


 そう言ってバロンが石を拾って遠くへと投げる。


「化け物は音がする方に行くから、今みたいに時々遠くに投げたりもする」


 ≪……もう少しまともな退治方法を教える必要があるのではないか≫


「ああ、俺もそう思う。帰ったらみんなに猛獣退治のやり方を教えないとな」


 緑がかったような濃い霧の中、2人は1時間程歩き続けていた。標高500メルテ程まで下った頃、ようやく平坦で開けた場所に出て立ち止まった。


 視界は半径数メルテ程しかない。バロン達が代々引き継いできたのか、目的の廃墟までは岩伝いにしっかりとロープが張られていた。


「まだ遠いのか」


「あと30分くらい歩く。大きなものを取りに来る時は荷車を使うからもっと大変だよ。その時は20人くらいで石とか棒もたくさん持ってくるんだ」


「逞しい限りだ。ラヴァニも呼吸に問題はないか」


 ≪問題ない。我らに効かぬと分かった時点で諦めていれば、今頃霧などとっくに晴れていただろうに≫


「俺達のご先祖様に効かないって教えてやってほしかったぜ」


 やがてポツポツと霧の中に廃屋が見え始め、メインストリートだったと思われる大きな道が現れた。草木が生えないため荒れ放題には見えないが、所々毒々しい水たまりがあり、舗装も捲れあがっている。


「もう少し。赤い旗……やっぱりあった」


「赤い旗?」


 ロープが終わった後、通り沿いの家々の壁に白い線が記されていたが、それも終点となった。その左右までが探索済みという意味だ。


 そして、その先の壁の隙間には小さな赤い三角旗が飾られていた。


「……来たら旗を挿す。帰る時には持って帰る」


「という事は、数日前に行ったきりって奴らはまだ帰っていないという事だな」


「うん……今日で4日になる。こんな時でも飲めるような水筒は一応あるけど、肌を長い時間出せないから。トイレとかも大変」


「そんな環境に5人残されているのか」


 2日前にも別の者達が救助のため訪れているという。だが探し出すことはできなかった。


 ≪視界は悪いが……我が少し見て来よう。ヴィセよりは見えている≫


「ああ、助かるよ。俺とバロンはこの先を見に行く。携帯ライトで照らしながら歩くから、見かけたら合流してくれ」


 ≪承知した≫


 ラヴァニが飛び立ち、ヴィセはバロンの手を引いて先へと進む。まだ探索していないエリアだとは聞いていたが、コンクリートの壁が残っているだけで、建物の中はもう空洞に近かった。


「誰かいないか! 助けに来た! 大通りまで出られるなら出て来てくれ!」


 ヴィセが手に持つ懐中電灯で周囲を淡く照らす。濃い霧に遮られるため殆ど役に立たないが、もしまだ子供達が生きていたなら気付いてくれると思ったのだ。


 半径数メルテ程度の視界の中、いくら歩き回っても埒が明かない。ヴィセが何度か大声で呼びかけた後、再び静かになった時だった。


「……ヴィセ、どうしよう、化け物が近寄って来る」


「聞こえるのか?」


「多分、声を聞いて寄ってきた。足音と息遣いが聞こえる、狼みたいな足音」


「バロン、俺の後ろに。こんな時の為に銃を持ってきたんだ」


 まだ撃った事はない……とは言わず、ヴィセは銃口を視線の先へと向ける。しばらくすると、目の前から唸り声が聞こえてきた。


「た、多分……3匹いる」


「大丈夫、任せろ」


 バロンの足は震えている。ヴィセはバロンを自身にしっかりとしがみ付かせ、霧の化け物の出方を待っていた。


 その膠着状態は数十秒程度だっただろうか。先に行動に出たのは化け物たちの方だった。


「ウゥゥゥ……」


「ヴィセ! 正面!」


 バロンの声と同時にヴィセが引き金を引いた。一瞬銃口が光り、霧の中に乾いた音が浸透していく。


「ギャウン!」


「当たった! ……ヴィセ?」


 どうやら弾は命中したようだ。ヴィセに飛び掛かろうとしていたのだろう、すぐ目の前に崩れ落ち、動かなくなった。


「良かった、じ、実戦で使うのは初めてなんだ」


「えっ……」


 1匹がやられたからか、残りの2匹はその場をくるくる回った後で逃げていく。野犬と変わらないなとホッとした時、再びバロンの耳が何かの物音を捉えた。


「この右、何かいる」


「またか、この調子じゃ行方不明の5人が無事とは思えないぞ」


 ヴィセはゆっくりと右を向き、天井が崩れ落ちて壁だけになった家へと銃を構える。正面を照らし、ぽっかり空いた窓が視界に入った時……。


 ≪何があった、銃声が響いたようだが≫


「うおぉう!?」


「ひゃああ!?」


 ふいにラヴァニが頭上から話しかけたため、ヴィセは銃と懐中電灯を落してしまった。驚いたヴィセにつられ、バロンも跳び上がって驚く。


 その尻尾は防護服に取り付けられた尻尾袋の中で、3倍ほどに膨らんでいた。


「急に話しかけんなラヴァニ! 驚くだろ!」


 ≪すまない、驚くと思っていなかった≫


 ヴィセが懐中電灯と銃を拾い、立ち上がる。同時にバロンの耳が今度はハッキリと音を拾った。


「……助けて」

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