Journey 10(016)


「ど、ドラ……」


「どうした、霧が入って来てよく見えねえ」


「ドラゴン、ドラゴンがいる! 小さいドラゴンが!」


 ラヴァニは大きく口を開け、翼も精いっぱい広げた格好で威嚇する。霧に耐性があるというのは確かなようだ。


「ひ、ひいい!」


 1人の男が吹き飛ばされたように飛び退き、床で腰を抜かしたままカウンターを見上げた。ラヴァニはレジの前から動くまいと、男を威嚇し続ける。


「うわっ!?」


 他の者達もラヴァニを見て驚愕する。しかしそれでそそくさと逃げるような肝の小ささなら、最初から強盗などしていない。


「き、昨日近くのホテルでドラゴンを連れたガキがいたって、そうか、こいつらの事か!」


「ど、どうする、あいつらみたいに……」


 この場に長く居座っていれば、ヴィセが呼ばなくともいずれ警備隊が駆け付けるだろう。しかし目の前には金の入ったレジ。それに……。


「こんな小さなドラゴン、3人がかりで捕まえりゃ何てことない! 翼に2、3発打ち込めばトカゲと変わらねえさ!」


「そ、そうだな、見世物用に売り飛ばしてもいい」


 男達は2人でラヴァニの相手を、1人がレジをこじ開けようと分担する。


 生憎、ラヴァニはヴィセが近くに居なければ人族の会話を理解できない。ただ、以前ヴィセから聞いていた言葉「トカゲ」だけは理解できた。


「グルル……」


 ラヴァニが姿勢を低くし、銃を構える男を威嚇する。銃を向けられたという事は、相手に殺意があり、自身を殺そうとしているという事だ。


 ラヴァニは自身にとっての排除すべき敵と見做したようだ。大きく口を開き、火炎放射の如く男の顔めがけて火を浴びせる。


「うわっ、うわあああ!」


「お、おいコイツ火を! 消せ、早く消すんだ、ガスマスクが燃えちまう!」


 1人の男が頭部を炎に包まれ、床をのたうち回る。別の者が来ていた黒いジャンパーで火消しを試み、残りの1人が掃除用に置いてあったバケツの水を掛けた。


 幸いと言うべきか、燻りながらも火は消えたようだ。ただ、帽子は髪の毛と共に焼け、マスクも使い物になるとは思えなかった。


 僅かなら耐えられるといっても、この霧を肺いっぱいに吸い込んでしまえばその機能が失われてしまう。


「大丈夫か!? タオルで口を覆え! 霧を避けられる場所に隠れるんだ、水が反応するぞ!」


「この野郎、もう許さねえ!」


 これ以上長居すべきではないと分かっていたが、仲間の男達はラヴァニをキッと睨みつけ、距離を取って銃を構えた。


「炎が届かない位置なら怖くねえんだよ! 死ねェ!」


「くたばれ化け物!」


 そう叫び、男達が引き金に指を掛ける。


 ドラゴンの鱗は高価な剣や鎧に使用される程固く、普通の銃弾なら大した脅威ではない。しかし小さなラヴァニは鱗の厚みも然程ではない。


 しかも機敏に動き回れるのは飛行中のみ。翼をはためかせてからでなければ飛び立てない。


 威嚇が効かず、炎も届かない位置の敵。そして避けられない銃弾。ラヴァニにとって危機的な状況だ。


「グオォォォ!」


「ひいっ!」


 ラヴァニの咆哮が空気を大きく振動させる。ビリビリと鳴るガラスや机、今にも飛び掛かって来そうなドラゴン。男達はそれらに震え上がりながらも引き金を引く事を忘れなかった。


 ラヴァニはせめて致命傷を避けようと体を丸く縮ませる。


「へっ、ドラゴン殺しの異名を持つのも悪くねえな!」


 乾いた音と共に、銃弾2発がラヴァニへとめがけて放たれた。が、それは途中で金属音と共に四方へと散った。


「ひっ!?」


「なっ……」


 ラヴァニと男達の目の前を灰色の塊が一瞬で横切っていく。店の奥から空きっぱなしの入口へと消えたその何かに、2つの弾道が阻まれたのだ。


 男達が何事かと顔を向けると、扉が開いている。いや、扉がない。


 その前にはヴィセが立っている。


 目の前を横切ったのは、裏口にあったはずの鉄製の扉だった。


「てめえ! 邪魔しやがって!」


「ヘッ、馬鹿が。霧の中にマスク無しで出て来やがった」


 店の中を霧が漂っているため、ヴィセの姿は鮮明ではない。しかしマスクを被っていないのは明らかだった。確かにヴィセはガスマスクをマスターに渡したため、1つも持っていない。


「いや、待て! あの鉄の扉を、もしかして蹴り飛ばしたのか?」


「あり得ねえ、そんな……」


 ヴィセは苦しむ様子もなく、静かに男達へと歩み寄る。


「なんだ、何だこいつ! 霧の中をマスク無しで……正気か!?」


「気が狂った奴なんかどうでもいい、ドラゴンと一緒に殺せば終わる事だ!」


 ヴィセが男達に近付く。どこか禍々しさを漂わせるその様子に、1人の男が怖気づきながらも銃を向ける。


 その瞬間、響いたのは銃声ではなく、木と木を打ち鳴らしたような音だった。


「なっ……お、おい!」


 ラヴァニを狙っていた男の横で、ヴィセに銃を向けていた男が倒れた。


 木製の椅子が床に転がっている。ヴィセが蹴り飛ばし、男の腹に命中したのだ。


「ひっ、ひいぃぃ!」


 ラヴァニへと銃を向けていた男は足がすくみ、銃を持つ手もガタガタと震えている。それは仲間2人が瀕死の状態になった事も理由だろう。


 だが、1番の理由は……おそらくヴィセのその怒りに満ちた表情のせいだった。


「な、なんだお前、何なんだよ!」


「……貴様、ドラゴンを殺そうとはいい度胸だ」


「わ、悪かった、謝る、謝る! 見逃してくれ!」


 男は尻もちをつき、入り口横の柱へと後ずさりする。霧が立ち込める中、ラヴァニもゆっくりと近づいていた。床をカチカチとラヴァニの鋭い爪が打つ音が響く。


 だが、男の視線はヴィセに向けられたままだった。


 青年が1人怒りを顕わにしたくらいで、大の大人が腰を抜かすはずがない。


 男がヴィセの顔を見たまま固まっているのは、その顔がまるでドラゴンのように見えたからだ。


「ひっ……化け物……」


 ヴィセの顔の右半分がラヴァニのように赤い鱗で覆われ、金色の目が男を見据える。口は裂けんばかりに大きく、鋭い刃のような歯が剥き出しだ。


 ラヴァニの怒りに触発され、更には危機にある事を察知したためか、ヴィセの中に流れるドラゴンの血が呼び起こされたのだ。


「ど、ドラゴンが、化けて……」


 そこに来て、ラヴァニはようやくヴィセの異変に気が付いた。


 それまでは怒りに我を忘れ、すぐ傍にいたヴィセの事を仲間のドラゴンのように認識していた。そのまま我を忘れていれば、村で成獣の姿になったように巨大化したかもしれない。


 だがラヴァニの視界に入ったのはヴィセ。しかもその姿はまるで人がドラゴンに変わりつつあるかのようだった。


 ドラゴンの血は、怒りによってヴィセに人の姿すら許さなくなる。ラヴァニはその事実を知らなかった。


 ≪ヴィセ、そなた……≫


「五月蠅い、黙っていろ。こいつは許さない」


 ≪ヴィセ! もう良い! ドラゴンの力に飲まれておる!≫


 ラヴァニの制止を聞き入れず、ヴィセは腰を抜かした男の首元を掴むと軽々と持ち上げた。そのまま柱に押し付け、喉元の拳に力を入れる。


 その手はやはりドラゴンのように変わり、鉤爪のように鋭い。


 ≪ヴィセ! そなたは……人を殺さぬと言ったではないか! 我の怒りに飲まれるな! もう良いのだ!≫


「浄化しなければ」


 ≪止せ!≫


 ドラゴンであるはずのラヴァニがヴィセの制止を試みる。自身の怒りのせいでヴィセを変えてしまい、罪の意識を持っているからだ。


 男を助けたいわけではない。ただ正気に戻った時、ヴィセが自分の行動をどう振り返るのか、容易に想像できた。


 ラヴァニはヴィセと男の間に割り込む。そして無理矢理にでもヴィセの視界を遮った。心を落ち着かせ、まだ残っている怒りを完全に沈めてから、努めて優しく呼びかける。


 ≪ヴィセ≫


 その瞬間、ヴィセの容姿が元に戻った。ドラゴンになりかけていた顔半分も、男を締め上げる手も、今は人のものだ。


 そのままヴィセは気を失い、床に倒れた。


 男は強く尻を打ったまま、ガタガタと震えている。しばらくすると表で大きな声が響き、ガスマスクを着けたマスターが戻って来た。

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