The Day 03(003)
「おいトカゲ」
言葉が通じないと分かってから、ヴィセは今まで崇めてきたドラゴンへの扱いが雑になった。ドラゴンも、トカゲ呼ばわりされているのにきょとんとしている。
「なあ、腹減ってんの? 何か食うの?」
赤黒い小さなドラゴンは、相変わらず翼を畳みきれない姿でベタっと寝そべっている。
「
本音を言うなら、食べ物を分け与えたくはない。鍋に残ったものは明日の朝、そして昼にも食べる事になる。
トカゲは肉食。せっかく羽根をむしって内臓を取り、冷たい水で綺麗に洗って、焼き上げた貴重な鳥の肉が減る事になる。
ヴィセはまたため息をつくと鍋の中から肉と芋を取り出し、別の皿の上に置く。
「いいか、舐めてやめるのはナシだからな。食うなら食え、食わないなら触んな」
ヴィセの言葉は通じていないと思われる。しかしドラゴンは迷わず鳥肉を選び、思いきりかぶりついた。
「おお、やっぱり食うのか……腹減ってたんだな。ドラゴンって、霧を食うって聞いた事あんだけど」
開けた口には小さな歯や牙が見える。しかしあまり機能していないのだろうか、殆ど噛むことなく丸呑みしていく。おかげでドラゴンの腹は鳥肉の大きさ分そのまま膨らんでいた。
「はっ。まんま爬虫類じゃん。小さく切り分けないと駄目って事か……いや、もう無いって」
次の肉を寄越せと言っているのか、ドラゴンは床を這うようにヴィセへと近づいてくる。
「トカゲの肉って、美味いらしいな」
そう言って笑い、もう肉はないとジェスチャーで伝えると、ヴィセは寝床の準備に取り掛かる。焼け残った布団はなく、この2、3年は他所の村に行く事もできなかった。ヴィセの寝床は積み上げられた藁の中だ。
ヴィセは藁にもぐると体の下に毛皮を敷き、そのまま眠りにつく。
囲炉裏の火が消えた頃、ヴィセは寒さでドラゴンが潜り込んできた事に気づいたが、起きる気にはなれなかった。
* * * * * * * * *
「……何だ?」
真夜中、ヴィセは何かの気配を感じて目を覚ました。真横にドラゴンが潜り込んでいた事にも驚いたが、ヴィセが感じた気配はそれではない。
「誰か、来たか」
この村は既に無いことになっている。
焼き討ちから3年、訪問者が来るはずはなく、ましてやもう真夜中だ。状況として、考えられるのはそう多い選択肢ではない。
「生き残りが、バレたか」
ヴィセは藁の中でじっと身を潜め、そしてしばらくたった後でハッと囲炉裏に目をやった。
幸い、既に火は消えている。しかし鍋はそのままにしてあり、他の家程には荒廃していない。熊や狼対策で引き戸につっかえ棒をしているが、蹴り破る事も出来る。住人の存在にはすぐ気づかれるだろう。
ヴィセは普段から隠れて生活をしているつもりはなかった。隣村まで歩くのにも1日以上かかり、この村を抜けてどこかに行けるわけでもない。
焼き払ったどん詰まりの最奥地に人が来ることはないと思っていた。
息をひそめてじっとしているヴィセの耳に、侵入者の声が聞こえてくる。
「焼き払ったんだ、どうせこの村の住民は全員死んでる。今更揉めることもねえさ」
「霧が上がって来ちまったんだ、こんないわくつきの場所でも下よりはマシさ」
「この家はまだ使えそうだな、どれ……戸が開かねえ、建物が歪んで建付けが悪くなったか」
「後でいい、もう少し散策するぞ。ったく、あの時調子に乗って機械油なんか撒かなきゃよかった」
家の外から数人の男の声がする。話の内容から察するとかつて焼き討ちに来た者達だ。
「……皆を殺しておいて、何笑ってんだ。調子に乗ってだと? ふざけるな」
話を聞く限りでは移住先を探している。となれば唯一まともなこの家を調べに来るのは当然だろう。ヴィセは怒りを抑え歯を食いしばる。
「……いつか覚えてろ」
敵討ちをしたくとも相手の数は分からない。ヴィセは憎い相手への無力を自覚し、そっと藁から抜け出した。
「後で戻って来るだろうし、移住でもされたら俺の存在も知られる。もし焼き討ちに加担した連中なら俺の顔を覚えてるかも」
ヴィセはすっかり冷めた鍋の中から肉や芋などを取り出し、乾いた木の皮で包む。そして木製の水筒に水を入れてコルクで栓をすると服を着替え始めた。
使い古した白い半袖シャツの上に、長袖の茶色いシャツを着て、ゆったりとした薄茶の作業ズボンを穿く。随分くたびれた焦げ色のコートを羽織ると大きめの肩掛け鞄を手に持った。
腰には旧式の8弾装着型の中折れ式リボルバーと短剣を下げ、鞄には水筒や食料、村に残されていた金や着替えを詰める。靴は底が広く雪の日でも歩きやすい革のブーツだ。
「……行くか」
ヴィセは念のため囲炉裏に掛けた鍋の汁を捨て、外の雪の中に投げ入れた。直前まで住人がいたと気付かれ、探されても困るからだ。
扉をそっと開け、つっかえ棒は扉を閉めたら元に戻る位置に調整する。
その時、ヴィセはふと気が付いた。
「あのトカゲ……どうするか」
ドラゴンを藁の中に残している。
空を飛べるので捕まる心配はない。しかし、銃で狙われたらどうだろうか。気にはなるものの、連れて歩けばそれこそドラゴンとの関りを公言しているようなものだ。
ヴィセは悩んだ末、そっと裏の木の窓を開け、万が一の際にドラゴンが逃げられるようにしてから家を出た。
「足跡、残せないな」
外は少し雪が降っていて、男達の足跡が残っている。ヴィセは用心深くその足跡にそって後ろ向きに歩き、しばらくしてから駆けだした。
振り返ると、降りしきる雪の中、今まで何度も離れた事がない故郷が静かに佇む。
これから移住者が来るのか、朽ちていくのかは分からない。墓地もいずれは荒れ果てるだろう。ヴィセはいよいよ自分の故郷はなくなったのだと寂しくなる。
「どこに、行くかな」
名残惜しんで立ち止まる時間はない。
「……焼き払われて、追い出される、か。あいつら酷い事をしておいて自分達は平然と生きてやがる。ドラゴン信仰への迫害は口実で、移住先を確保したかったのだとしたらもっと許せねえ」
ヴィセは再び村ではなくなった故郷を背に歩き出す。
雪雲に覆われ、月明かりがある訳でもない。周囲は真っ暗で、勘だけが頼りだ。灯りを取れるものは持っていないし、もしあったとしても使えば存在を明かすだけ。
「3年経ったとはいえ、許したわけじゃない」
ヴィセ1人で立ち向かうのはただの無謀だ。ヴィセは悔しさを噛みしめながら歩く。しかしその慎重に歩く時間は1分と続かなかった。
ふいに胸が締め付けられるような痛み、そして言い知れない怒りがこみ上げてきたからだ。
「なん……だ?」
極寒の中にいるのに体が熱く、それでいて手足が震える。
「体、なんか、おかしい……」
何かの病か、それともあの訪問者たちが毒薬でも撒いていたのか。ヴィセは悪寒の原因を考えつつ、来た方向を振り返る。
その時、数名の男の悲鳴が耳に飛び込んできた。
「あああああっ!」
「こいつ、こいつなんだぁ!」
この付近に人はいない。いるとすれば先ほどの訪問者たちの声だ。
「なんだ……まさか、ドラゴン?」
両手に乗るほど小さいドラゴンなら人には勝てないかもしれない。村の言い伝えでは、ドラゴンが狩られる事になれば、仲間のドラゴンが駆け付け、周囲を飛び回る事だってあり得る。
ラヴァニ村を焼き払った者達がどうなろうと構わない。心配なのはそこに自分が巻き込まれる事だ。
それに、先ほどから自分の感情が無理矢理引き出されている感覚がある。その原因は、後方の悲鳴の原因と同じではないか、ヴィセはそう思った。
「……戻りたくはないけど、仕方ねえか」
ヴィセは来た道を引き返し、騒ぎのある方へ向かう。
真っ暗だったはずなのに、村の方向が明るい。地面の雪が照らされ、キラキラと赤みを帯びて光っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます