The Day 02(002)
ヴィセは信心深さを失っているせいか、ドラゴンの祟りなど一瞬考えただけだ。どうせ彼がいなくなれば管理するものもいなくなり、近いうちにこうなっただろう。
手を合わせて「申し訳ない」とだけ言うと、倒れた白樺の解体に取り掛かる。
やがて日が暮れる頃、ヴィセはなんとか厚く不恰好な板を一枚削り出した。気が付けばいつの間にか雪がチラつき始めている。
「帰ろう。疲れたし、寒い」
ヴィセは板を木片と一緒に籠に入れて家に戻る。
明日は雪かきをし、屋根に板を打ち付け、切り倒した残りを薪にしなければならない。更には春に植える作物の種を選別し、遠くの沢から水も汲んでくるつもりだ。
「全部自分でやるってほんと面倒くさい。だいたい……?」
ヴィセは途中で独り言をやめた。そして何か恐ろしいものに気付いたかのように固まってしまう。
姿勢を崩さないまま、おそるおそる自分の頭、腕、肩と触っていく。
「今、何か……いた?」
野良猫などこの村にはいない。鼠もここ数年見かけていない。嫌そうな顔をして振り返るが……。
「気のせい、だよな」
ヴィセは辺境の高原に1人きりという状況が急に恐ろしくなり、床の真ん中に造られた囲炉裏に半歩近寄る。体に走った悪寒や震えを、すきま風が入って来たせいだと思いたかったのだ。
家の中は囲炉裏の火の明かりしかなく時折影を揺らす。ヴィセはまたふと振り返った。
「何か、いるよな」
ヴィセは再度何かの気配を感じていた。
そして恐れながらも、もしも正体がお化け、幽霊、そのようなものなら、実のところ見てみたいと思っていた。
亡くなった村人や両親が目の前に現れてくれたら、怖いどころかどれだけ心強いだろう。
しかし、振り返ってもヴィセの視界には誰もいない。
「えっ、どうしよ、ええーどうしよ、何? キツネ? まさかオオカミはないよね……」
そうヴィセが呟き、囲炉裏へと向き直った時だった。
「う、うおぉう!?」
ヴィセが座ったまま跳び上がり、しりもちをついた姿勢のまま素早く後ずさりする。
「な、何? 鳥?」
ヴィセの目の前には、体が赤黒く、翼を持った奇妙な生き物が浮かんでいた。
大きさは両手のひらに乗るかどうか。カラスやスズメにしては首が長く、鶴や鷺よりは短い。
全身は鱗に覆われていて、まるでトカゲに翼が生えたようだ。謎の生き物は床に降り立つと、随分下手な翼の畳み方で座る。ヴィセに向かってやけに大きな口を開け、何かを訴えているようだ。
ヴィセはこの生き物の正体に心当たりがあった。
「ど、ドラゴン!?」
実際に目撃した事はない。けれど村でずっと崇めてきた存在の姿形くらいは知っていた。何故そのドラゴンが目の前にいるのか、動揺しているヴィセには見当もつかない。
「ほ、祠を壊したから、お、怒ってやってきたとか、あ、その、えっと、それなら謝ります、すみませんでした!」
祠は倒木の下敷きになったまま、ろくに片付けもしていない。本当にドラゴンの加護があったなら罰が当たって当然だ。
床に頭を擦り付けるように土下座をし、10秒ほど経った頃、ヴィセはチラリとドラゴンへと視線を向けた。
ヴィセをじっと見つめたまま、ドラゴンは怒りに我を忘れている訳でもなく、かといって許すとも言ってくれない。いったい、この状況はどうしたら抜け出せるのか。生憎周りに相談できる者はいない。
「あ、あの……ドラゴン、様ですよね?」
「グルルル……」
「えっと、もしかして、あー……随分とお小さいですが、親がその辺にいたり、しませんよね」
「グルルル……」
ドラゴンはつぶらな瞳でじっとヴィセを見つめ、随分と下手な翼の畳み方のまま動かない。
「あの、言葉、分かります?」
「グルル……キュウ?」
「もしかして、言葉は分からない?」
ヴィセが首を傾げると、ドラゴンもそれを真似て首を傾げる。ヴィセの言葉を理解している訳ではないらしい。
「えっと、何故ここに? 祠を壊したから? 突然の事で意味が分かんないんだけど」
「グルル……ブワッ」
「うぉっ!? 火を吐いた! え、待って待って、やめて本当に頼みます、住める家これしかないんだから! 火事になったら困るんだって!」
ドラゴンの口から体の大きさに釣り合った小さな炎が吐かれ、ヴィセの目の前が真っ赤になった。驚いて頼み込むと、ドラゴンは首から頭までを床につけ、やる気のなさそうな声で鳴く。
「あ、えっと……え~、どうしたらいいのこれ。仲間のとこに帰る……というのはどうです?」
「グルル? ギュウ」
「あーいや、トカゲって寒いの苦手なんだっけ。でも火を吐くって事は……寒さに強い? えっと、どういうことだ?」
帰れと言っても帰らず、かといって何かを仕掛けてくる訳でもない。何故ここにいるのか、本人……いや、本ドラゴンに聞いても答えてくれそうになく、ヴィセは途方に暮れる。
そのうちドラゴンが尻尾を左右に振っているのをなんとなく目で追っていると、ヴィセはその先にひっついた白いものに気が付いた。
「ん? お前、尻尾に何を……」
「ブワッ」
「ちょっ! いちいち火を吐くのはやめろ……下さいってば!」
「キュルルル」
「あーもう、尻尾、ほら、何かついてるって」
噛まれないか、火を吐かれないか、引っ掻かれないか……ヴィセはドキドキしながら尻尾に貼り付いている何かをそっと取ってやった。何かの紙切れ。ヴィセはそれにも見覚えがあった。
「ああっ! これ、これ……祠の石像に貼ってた封印符! え、もしかして、あれって本当に封印?」
「グルル! グルル?」
「いや、真似しなくていいから。まさか、え、ちょっと待った、もしかしてあの封印符って効果があるのか!」
朱書きされた小さなおふだは、祠と一緒に地面に落ちて割れた石像に貼られていたものだ。思い返すとドラゴンと石像は大きさも姿も似ている気がする。
ヴィセはようやく目の前のドラゴンが何故ここにいるのかを理解した。
「えっと、ドラゴン様、あなたの封印を俺が解いちゃった訳ですね、解いたというか、なんなら像ごと破壊したけど」
「グルル?」
「いや、俺が聞いてんだけど……トカゲちゃん」
「グルル?」
ヴィセは思い切ってドラゴンに少し失礼な呼びかけをした。しかしドラゴンは話しかけられた事に反応し、ただ短く鳴いて答えるだけだ。やはりヴィセの言葉は理解していないらしい。
「ああ、あーね、分かった、完全に理解した。村で代々ずーっと祠の前で祈りを捧げてきたけど、ドラゴン側には何も伝わってなかった訳だ。だってこいつ人の言葉わかんないんだもん。ドラゴン語で唱えなきゃ」
ヴィセはこの村の長年の行為が全く意味のない事だったと分かり、ため息と共に肩を落とす。そして気にはなるが害はないドラゴンの相手をやめ、囲炉裏にかけた鍋からスープを掬い、お椀によそい始める。
村での食事は貧しい。芋、数日前に狩った野鳥の肉、大根の葉、それを塩麹で味付けしただけだ。
それでもまだいい方かもしれない。塩、大豆、麹菌を村長が他所から譲って貰うまで、この村には味付けというものが殆どなかったくらいだ。
ヴィセは温かいそれを少しずつ口に運ぶ。寒い季節、こうして食べ物で体の中から温めなければ夜を越せない。
「あー、生き返る。死んだことないけどな」
粗末ながらも精いっぱいの食事を終え、ヴィセはお椀を片付けようとしたのだが。
「そういえば、お前も何か食うの? ドラゴンって何食うの? 霧を食うって、本当か」
ヴィセの食事をドラゴンがずっと見ていた事に気が付いたのだ。
ドラゴンの表情はそう豊かではなく、何を思っているのかも分からない。しかしじっと見つめられていると、何かを訴えかけられているのではという気になる。
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