【Lost Dragonia】―故郷を失った少年と、故郷を探すドラゴンの旅―
桜良 壽ノ丞
【The Day】村を焼かれた少年とドラゴンの邂逅
【Prologue】+ The Day 01(001)
【The Day】
「どうか、この子を……」
「自らの命ではなく、子を助けろというか」
夏の真夜中。長閑だった高原の村が燃え盛る炎に包まれている。
金色の髪を束ねた女とその息子が畑の畝の間に倒れている。女は血まみれ、春に14歳になったばかりの息子は背中から胸へと矢が刺さったままだ。
目の前には黒い甲冑を着た男が立っている。キャベツの葉が大きく育った畑の中、炎に照らされながら2人を見下ろすその男が敵なのか味方なのかは判断できない。
「手段は問わないな」
「どう、か……」
男の問いかけに対し、瀕死の女は言葉を最後まで紡ぐことが出来なかった。とどめを刺された訳ではない。力尽きたのだ。
男は女の最期を看取りつつゆっくりと頷いた。敵、少なくとも矢を放った者ではないのだろう。
「いいだろう」
男は事切れた母親ではなく、彼女の息子を抱き起こす。そして茶色い小瓶の蓋を開け、何かを飲ませた。
僅かに口からこぼれたその液体は赤い。まるで口から血を垂らしたようだ。
「手遅れかもしれないが。それに助かったとしても……いや、貴様の母の願いだ。恨むなよ」
男はそのまま無造作に少年を貫く矢を引き抜き、傷口にも赤い液体を垂らす。少年はピクリとも動かない。
「……この村も、守れなかったか」
男は呟き、少年を畑の畝と畝の間にそっと寝かせる。そして立ち上がると炎の中へと消えていった。
「もう生き残りはいないか! 全員殺せ!」
「あれは……フン、さっき逃げた親子だな。こんな畑の中まで逃げ込んで事切れるとはね。ドラゴン様の加護とやらも大したもんだ」
「はっはっは!」
松明を持った男が数人やってくると、畑の中に倒れた母子を嘲笑ってまたどこかへと駆けていく。行われているのは惨殺、いわゆる焼き討ちだ。
放たれた火が村中を焼き尽した頃、生命の気配が消えた村に朝日が注ぎはじめた。
* * * * * * * * *
霧の上に顔を出した山奥の高原に、ドラゴンを神として崇める小さな集落があった。
名はラヴァニ村、3年前までは戸数30、人口130人程。
山の斜面を畑にし、藁吹きや木板の屋根に焼杉の板という簡素な家々が集まった、周囲わずか2キルテ(1キルテ=1キロメートル)程の寂れた農村だった。
一番近い村までは、山沿いの細い道を歩いて1日かかる。
今、その村を訪れても当時の面影はない。
3年前、この村は焼き討ちに遭ったからだ。
「あー寒い」
「ほんと寒い、心まで寒い。俺より寒い思いしてる奴なんているのかよ」
焼き討ちに遭ったのは、この村の者がドラゴンを守り神だとし、崇拝していたせいだ。
ドラゴン、それはトカゲのような姿で硬い鱗を纏い、背に翼が生えた古より伝わる生物。ドラゴンは様々な土地に現れ、町や村を襲う。
それを人族(=人間)への罰だと考えていたラヴァニ村は、ドラゴンを悪とは捉えていなかった。そのせいで、人々のドラゴンへのやり場のない憎しみを発散させるはけ口になったのだ。
商人も訪れず、医者もいない。
いるのは身寄りのない17歳の青年たった1人。焼き討ちの中、正体の分からない男に赤い液体を与えられた、あの青年だ。
彼は一命を取り留めていた。
「今日はどうするか。じゃがいもはもう飽きたし……それよりも家の修理だな。他に使えそうな家が残ってないんだから仕方がない」
「そうそう、ナマンさんの家がなきゃ、ウインドさん家のヴィセくんは宿なしよ」
「無事に建っているだけで立派だもんなあ。ゴウゼスさんの家は天井がない、ノヴィクさんの家は夏の大嵐で壊れちまったし」
青年の名はヴィセ。この村で唯一の住民だ。
無造作に切られた金色の髪、小さく面長で涼しそうな整った顔、背は高く体格もいい。歳のわりに大人びて見え、町に生まれていれば恋人にも困らなかっただろう。
ところで、口調が違うため3人以上いるのかと勘違いされそうだが、彼は今、かつて村にいた者達の口ぶりを真似て、1人で喋っている。
彼は周囲に誰もいなくてもよく喋った。
「斧は持ったかい、縄を忘れてないかい」
「持った、はい……持った」
目に見えない何かを感じるという訳ではない。孤独で気がふれたわけでもない。
孤独に過ごす彼には、このまま誰とも話さず、言葉が出なくなるのではという恐怖心があった。
1人になったとしても故人や去った者を思い出し、自分には誰かがいるのだ、他人もいるのだと安心したかったのも理由の1つだ。
ヴィセは手に
彼はかつてナマンという名の他人の家だった小さな小屋を出て、村の外れの森に向かった。雨や雪は多くない地域だが、木陰に入ると4日前に降った雪がまだ残っている。
「あー寒い、寒い! いつか南に渡ってやる」
「渡り鳥か」
「あはは! ……。あー面白い」
雪を踏みしめながら、今日もヴィセは孤独を紛らわすように1人何役も演じて大声でつぶやく。茂みの中、目の前には背の低い木に南天に似た実が連なっていた。
「これ、食えるのかな……」
毒があると聞いた事はない。ヴィセは悩んだ末、1粒だけ口に入れた。そして、ゆっくりと実を奥歯で潰す。
その瞬間、ヴィセの顔は歪み、口からは小さな実の欠片がプッと飛ばされた。
「ぶえー! まぁーじい! ぶえぇぇ……なんだ、まーじい! 不味い、あー舌が、舌が……」
ヴィセはぴょんぴょん飛び跳ねて、何度も口の中に残った実を吐き出す。最終的には口に雪を含み、ようやく落ち着いた。
「あー……気分悪い。ハァ、枯草も殆ど刈りつくして、屋根材に使えるのと言えば……ハァ、木を切り倒すしかないか」
木を切り倒し、そして板まで加工するのは一苦労だ。町には電気が通い、工作機械なども普及しているが……ラヴァニ村に電気などない。
おそらくヴィセの作業では、屋根に当てる板を数枚加工するだけで1日かかるだろう。
白樺の木に斧を振る音が周囲に広く響き渡る。
白樺の幹は樹齢を重ねた杉程には太くない。薪を確保し、乾燥させるまでの作業にも慣れた。しかし時間はかかる。ヴィセが傷む手を押さえ、一度休憩に入った時だった。
「……あー、両側少しずつ斧で切ってきたけど、これ、倒れる時に祠の方に倒れないか?」
ヴィセが東の方へと視線を向ける。そこには小さな祠があり、ドラゴンの石像が祀られていた。
この集落が古くから信仰してきたドラゴン。そのドラゴンの浄化に遭わないようにと、ラヴァニ村の者は慎ましく堅実に生きてきた。
しかし、結局はドラゴンではなく人族の手によって焼き討ちされてしまった。
ヴィセはもうドラゴンを以前のように信仰するつもりはなかった。信じても信じなくても結果は同じ。災いは起こるからだ。
時々、それも忘れていなければ手を合わせていたヴィセは、目の前で無視するのもどうかと思い、作法も守らないまま胸に手を当てて頭を下げる。
「村を救ってくれなかったけれどお祈りしますわ。救ってくれなかったけれどね」
「どうか、村を焼き、皆を殺した奴らが、なるべくむごたらしく、なるべく苦しんで死にますように……っと」
1人2役。今度は母親の真似をし、半分冗談で呟いた時だ。ヴィセの耳に何かが軋む音、そしてメキッと乾いた音が飛び込んできた。
「えっ……えっ!?」
振り返ったヴィセのすぐ目の前に、今まさに倒れ込まんとする高い白樺の木が迫っている。
「うおぁぁ!」
予想していた最悪の事態……間一髪で避けたものの、白樺は無情にも祠を倒し、原形が分からない程壊してしまった。
御神体だとして何百年も大切にしてきたドラゴンの石像にも、ひびが入って割れている。
「あああっ! まずい! 怒られる……って誰もいないんだった」
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