Ch.6:Out of controll,freaking guilty monster

6-1.『ほら、あたしだけ見てろって』

 薄闇を貫く銀の光条は、笑みを浮かべ指を鳴らす〈セーレ〉の鼻先で急停止。


 光の正体は投擲とうてきされたナイフ。重力に引かれ落ちていくそれを、姿勢を低め間合いに入り込んでいたワイスがキャッチ。

 即座に逆手に持ち替え、四足獣の姿勢から全身のバネを用いて飛び上がる。


 ける刃の輪郭。再び指を鳴らす音。空間に銀の鋭い筆致が刻み込まれる刹那、そこに〈セーレ〉の姿は無い。


 鼻をひくつかせたワイスは、振り返りざまに袈裟懸けさがけ一閃。しかし銀光が届くより速く、背後に立つ〈セーレ〉の放った掌底しょうていが脇腹にめり込んだ。


「か――ぁはっ」


 吹き飛ぶワイス。喀血かっけつじみたうめきはかすれた笑い声に変わる。

 歪む口元から漏れた白い息が背後に白狼シルヴィを形成すると、仔犬を持ち運ぶ親犬よろしくワイスの首根っこを咥えた。


「あっぶなー、シルヴィさんきゅ」


 体勢を立て直したワイスの声に一鳴き返して、白狼シルヴィはどこからともなく吹いた風にその姿を溶かしていく。

 一方で残心を終えた〈セーレ〉は、腰を落とした姿勢から、ゆったりと翼を広げる鶴のを思わせる動きで構えた。


「――『マッスルカンフー』ってご存知ですか? 僕、あの映画好きなんですよ」

「知ってる知ってるー。でも誰の流派やつだっけ、それ」


 得物をホルスターに収めたワイスもまた、半身になり構えファイティングポーズを取ると、鼻の下を親指で擦って足踏みステップを刻み始める。


 無数のナイフが突き立ったアスファルトの上。東洋武術マーシャルアーツの構えで対峙する両者を、月明かりが照らす。


「そちらは……截拳道ジークンドーですか?」

「そーそーそれだそれ。お互い映画仕込みのニワカなんだし、しばらくじゃれて遊ぼう――よッ!!」


 言葉の終わり際、ワイスは予備動作無しノーモーションで跳び上がって一息に距離を詰めた。


 左胸を狙って突き出されるブーツの爪先。対する〈セーレ〉は上半身をよじりつつ、左腕で払いながら右の掌底を腹に叩き込んだ。

 華奢きゃしゃな身体は膂力の激流に押し戻され、アスファルトに背中から叩き付けられる――直前で器用に宙返りして着地。たわんだ膝を即座に伸ばして飛びかかる。


「ぅうるぁッ!!」


 猛犬の威嚇いかくじみた気勢から放つ、二連の回転蹴り。半歩退がってはたき落とされるも、着地の反動を利用し踏み込んで右ストレート一閃いっせん

 拳が〈セーレ〉の顔を穿つ直前、蛇のように滑り込んだ右手によりいなされた。続く左拳を上半身を傾けてかわした〈セーレ〉は、畳んだひじで薙ぐように鳩尾みぞおちを打つ。


 腰の捻りまで加わった重い一撃に半歩下がるワイス。〈セーレ〉は白いレザージャケットに包まれた細腕を掴み、駄目押しとばかりに引き寄せながらの前蹴り。


 鳩尾に革靴がめり込む寸前、ワイスはふくらはぎに横から拳を叩き込んで反らす。さらに掴まれた腕を振り払って間合いに踏み込み、目にも留まらぬ連続の拳打チェーンパンチ

 しかしそれらはのたくる蛇じみた腕の動きで絡め取られていく。やがて外側へ弾かれ、晒した腹部に〈セーレ〉は両手を重ねた掌底を打ち込んだ。


 よろめくワイス。指を鳴らす〈セーレ〉。

 一瞬にして二人の距離が詰まる。肉薄から腰を落としての掌底が、体勢を立て直せないままのワイスを襲う。


 掌が触れた瞬間、猛禽のごとく曲げられた五指が滑らかな腹を突き破った。さらに掴んだまま手首を捻る。常軌を逸した膂力りょりょくにより、吐血するワイスの身体は腹部を支点に回転しながら吹き飛んだ。


 螺旋の最中さなか、ワイスは器用にアスファルトの上に手を突き、カポエイラよろしく脚を振り回す。

 アスファルトをえぐりながら四足獣の姿勢でなんとか着地した直後、再び指を鳴らす音。


 一瞬で眼前に出現した〈セーレ〉の蹴りに、目を剥きながらも咄嗟とっさに腕を上げ頭を防御ガード。骨の折れる嫌な音を置き去りにまたも華奢な身体が宙を舞い、今度こそ背中からアスファルトに叩き付けられた。


 苦痛の呻きがあぶくつような笑い声に変わる。ワイスは片手で身体を持ち上げ、追撃のため迫る〈セーレ〉の土手っ腹を両足で蹴り飛ばす。


 白タキシードに包まれた長駆がくの字に折れるも、指を鳴らして姿が消える。

 刹那、立ち上がっていたワイスが。先ほどまで彼女が立っていた場所には、鉄山靠てつざんこうの独特な構えのまま残心する〈セーレ〉。


 ワイスの背後に自身を移動させることで、蹴られて吹き飛ぶ勢いを靠撃こうげきの威力へと転化したのだ。


「ぅわっぁはは、 そうきたかー!!」


 驚きとともに吐き出した笑い声は、白く染まり雲のように膨れ上がる。

 吹き飛んでいくワイスのその先に白狼シルヴィが出現。主人が伸ばした細腕を咥え、ハンマー投げのようにぐるりと大きく首を振るう。


 強引なUターン、先ほどの勢いに遠心力まで加わった跳び膝蹴りが〈セーレ〉を襲う――と見せかけて足を跳ね上げた。靴裏ではなく爪先を突き込む一蹴。伸びる仕込み刃はさながら蜂の一刺し。


 切っ先がタキシードの胸ポケットに触れるか否かの紙一重。横から掌底を当てて払った〈セーレ〉はその勢いのまま身体を旋転させて手刀を放つ。


 蹴りを逸らされたワイスもまた、身体を捻って裏拳へと転化。

 かち合う二種の打撃。込められた超常の膂力は衝撃波へと変換され、周囲に吹き荒れた。


 着地から時間差なく放たれるワイスの縦拳。受け止めた〈セーレ〉は、もう片方の手刀で細腕を撫でるように滑らせそのまま顎を掴んだ。

 首が倒れて背を反らさざるを得なくなったワイスの鳩尾に、真上からの肘打ちが落雷よろしく降り注ぐ。


 しかし、ワイスの足は既に床を蹴っていた。崩された体勢から、力任せの強引な宙返り――側頭と脇腹をそれぞれ左右の脚で蹴り付ける。

 たまらず後退した〈セーレ〉は、追撃の飛び膝蹴りフライングニーを水平に重ねた両腕で受けた。


 だがワイスは両肩を引っ掴んで、さらに膝蹴りの左右乱打ラッシュを叩き込む。

 両腕の防御ガードを破られついによろめいた〈セーレ〉の脳天に、先ほどの意趣返しとばかりに肘鉄を突き入れた。


 地に足が着くと同時、ブーツの底がにじったアスファルトを

 トドメの一撃。神速の縦拳一閃ストレートリードが――  


 


 指が鳴る音は遅れて響いた。

 目を剥いたワイスが振り返りざまに放った

裏拳は、鞭のようにしなる白タキシードの袖とかち合う。

 

 交錯する腕、陥る膠着こうちゃく

 その様は真剣での鍔迫つばぜいにも似て、両者は拮抗する膂力に身体を震わせる。


「健気ですね……相棒が作戦を思いつくまで、多くの情報を引き出すための時間稼ぎ。先に頭脳ブレーンを潰してしまえば、ただの噛み癖の悪い犬に成り下がるというのに」

「あたしはお利口な飼い犬じゃないから、ができるまで待ってたりしないよ」


 〈セーレ〉の双眸がアルバートの方へ滑りかけた瞬間。

 ワイスは肘を畳んで肉薄。触れ合うほど近くにある鼻梁に、噛み付くフリをした。


「ほら、あたしだけ見てろって。――余所見よそみしたら喰い殺すかんね?」


 碧い熱視線と蒼玉の睥睨へいげいがぶつかり合い、見えない火花を散らす。

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