5-10.『悪役には退場して頂きましょうか』

「でもっ、アルバートさんもワイスも、悪い人じゃない。私を気遣きづかって優しくしてくれたし……ほら、この服だって。ネグリジェ姿じゃ出歩けないからって――」


 が明かされてなお、アナスタシアはアルバートとワイスをかばおうとする。

 あまりにも純粋無垢で、人を疑うということを知らないのだ。

 喉元に込み上げる苦々しさは、意図せずそれを裏切ってしまった罪悪感か。


「きっと、きっとなにか理由があって――」


 〈セーレ〉に訴えかける中、ふと視線が外れて目が合った。


 ――そうだよね?

 双眸そうぼうが問うてくる。

 すがるようなアナスタシアの表情は、痛々しいほどかげっていた。


「あたしは、バートと違ってカネ目当てじゃないし。好きって言ったのも本当だよ、ナターシャ」

 ――おい駄犬バカ、お前は俺の味方をしろよ。


 非難の視線を無視して、ワイスはアナスタシアの方を顎で指す。

 『お前の番だ』とでも言いたげな所作を受けて、再びそちらへと視線を戻す。

 真っ直ぐに見返してくる翠緑すいりょくの瞳は、不安そうに揺れていた。


 ――どちらを信じるべきかという迷い。

 ――どちらも信じたいという強い願い。

 せめぎ合う二つの感情を直視できず、アルバートは目を逸らしてしまう。


 分かっている。善人だという確証が欲しいのだ。信ずるに値する人間だと、俺の口から証明して欲しいのだ。

 けれど――


嗚呼ああ、ミス・リーガン。貴女はとても慈悲深じひぶかい、天使のような方。騙されてはいけませんよ。彼らはその優しさに付け込む卑劣なやからだ」


 アナスタシアの華奢きゃしゃな肩に手を置いた〈セーレ〉は、芝居がかった口調で諭し始める。


「けれど、『凶悪な』というのは少々言い過ぎたかもしれませんね。彼らは随分ずいぶんと優しい……なんて」


 金の髪を揺らし、不意にこちらを振り向く〈セーレ〉。

 その口から放たれたのは、しくもワイスが放った冗談ジョークへの痛烈な皮肉カウンター


「貴女を騙すためなら、いくらでも偽りの笑顔を浮かべます。思ってもいないいつくしみの言葉を吐き捨てます。……彼らは


 隣から聞こえてくる心音が一瞬、ずきりときしんだ気がした。

 そしてそれを掻き消すかのような、苛立ちの棘が混じった大仰おおぎょうな溜め息。


「あーぁ、面倒めんどくさ。もういーや、の方が速い」


 ――最悪だ、しびれを切らしやがった。

 歯噛みするアルバートの隣で、前に出たワイスが太もものホルスターからナイフを再び抜き放つ。


「どうせお前も最初ハナから始末するつもりなんだしさー。死んだ方が悪かったってことでいいっしょ?」

「待って。喧嘩は駄目、おねが――」

「ミス・リーガン、離れていてください」


 引き留めるように手を伸ばすアナスタシア。それを掴み止めて背後に庇う〈セーレ〉。


所詮しょせん狂犬マッドドッグか……やっと本性を現しましたね」

「なんであたしが、相棒コイツ運送パシリの手伝いしてると思う? ……お前みたいな強敵やつ戦え遊べるからだよっ」


 俯き立ち尽くすアルバートを顎で指したあと、頬を緩めたワイスは動こうと姿勢を低める。


「まず場所を変えましょうか。ここは空気が悪い」


 その刹那せつな〈セーレ〉が指を鳴らし、周囲の景色が一変した。


 夜風が吹き抜けるそこはショッピングモール屋上。

 せたアスファルトの上、駐車スペースを示す白線などとうに擦り切れ、一定の間隔で並ぶ縁石ブロックは黒々と汚れている。

 四方に張り巡らされた転落防止の鉄柵も、錆びに塗れていて心許ない。


 黒い雲間から射す月明かりスポットライトが、夜の帳を切り裂く先――そこに立っているのはアルバートとワイス、そして〈セーレ〉の

 アナスタシアの姿は無い。戦闘に巻き込むまいとあの場に置いてきたらしい。


「改めて役者が揃ったところで……貴方たち悪役ヴィランには退して頂きましょうか」

「あたしらが悪役ヴィランなら、お前は英雄ヒーロー? ……ハ、いつまで続ける気だよー、そのくっさい芝居」


 芝居、というのは的を射ている。

 まるで演技じみた身振りや話しぶり。取り繕った仮初かりそめの笑顔。

 それは〈セーレ〉がまだ本性を現していない――本気ではないことの証左だ。


「バート、作戦プランは任せる。……ー?」


 こちらを一瞥するワイスに、やるせない笑みが浮かぶ。

 まさかこの駄犬バカに釘を刺されるとは。


 ――そうだ、切り替えろ。

 迷ったら死ぬ。まずは、あの怪物から生き延びることだけを考えろ。

 ここで死んだら、アナスタシアとまた話すこともできない。


 貼り付けた余裕の笑みの中に迷いを押し隠して、眼前の敵を睨み付ける。


「客もいなけりゃ照明もショボい。随分と殺風景な舞台じゃないか。……は無くてもいいのか?」


 アルバートの嘲弄に、〈セーレ〉は小馬鹿にするように舌を鳴らしながら指を振る。


「舞台でのは、役者の仕事ですよ」


 “移動”の能力で使える物体がほとんど無いにも関わらず、それでも余裕を崩さない。

 という絶大な自信の裏返しだ。


 奴の〈権能〉は“移動”にまつわるものだ。しかし

 それがなにかを見極めなければ、勝ち目はない。


「ワイス。奴の〈権能インペリウム〉は、予想が付いてる」

「残りは?」

「これから確かめる。……三分くれ」

「じゃあ――


 前を見据えたままそう言って、ワイスは右の握り拳でアルバートの胸板を叩いてくる。


「あたしの片腕、。……思い付かなかったらお前先に殺すね?」


 ――それはだ。

 〈セーレ〉と一対一サシって、時間を稼ぐための。

 アルバートの眉が、無意識のうちに持ち上がる。


 普段のワイスなら、時間稼ぎの小競り合いはほとんど無傷で済ませる。どころか、稼ぐ時間すら聞かずにすぐ飛びかかっていく。


 そんな彼女が、など初めてだ。

 片腕を失う――あるいはそれに相当する傷を負うと、確信しているのだ。

 目の前にいるのが如何程いかほどの強敵か……改めて思い知らされる。


「……分かった。相棒、まず奴の足を潰す。ナイフは一本だけ残して全部投げろ」

「ん。まっかせろー」


 舌舐めずりひとつ。アルバートのそばに短い笑声を残して、一陣の白い疾風はやてが吹き荒れる。

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