5-9.『俺は事実が知りたいだけだ』

「アナスタシア……」


 通路の奥にある階段近くに、華奢きゃしゃ人影シルエット

 息せき切って走ってきたらしいアナスタシアが、肩で息をしながら壁に寄り掛かっていた。


 あえぎとともに上下する胸元を押さえて一息入れたかと思うと、汗でもつれた金糸の髪もそのままに再び駆け出す。


「良かった、無事だったか……!」

「助けに来たよ、こっちおいでー」


 安堵あんどするアルバートの横で、得物を収めたワイスが抱擁ハグを求めるように腕を広げる。

 アナスタシアはその横を、セーレとの間に立ちはだかった。


「……ナター、シャ?」


 振り返ったワイスの顔は、困惑を通り越してもはや蒼白になっていた。

 まるで恋愛メロドラマで恋人を略奪された負け犬野郎だ。


 何故そこまでショックなのかは知らないが、動揺を隠せないのはアルバートも同じだった。

 アナスタシアは、〈セーレ〉をのだから。


「この人は、って言ってたの。だから、二人と争う必要なんて――」

「離れて、ナターシャ。……そいつ人殺し」


 敵意しのワイスの言葉に、アナスタシアの目が愕然がくぜんと見開かれた。


「……え?」


 薄い唇からこぼれ落ちる困惑の声。

 追い打ちをかけるのはこくだと分かっていながらも、アルバートは口を開く。


「お前だろ、〈セーレ〉。――島中の〈悪魔憑きフリークス〉を殺して回ってたのは」


 こたえるように響いたのは、汚泥おでいが煮立つような含み笑い。アナスタシアの背後で、うつむいた〈セーレ〉が肩を震わせる。


「人殺しですって? 面白いことを言いますね……貴方たちも同じでしょう。そもそも、〈悪魔憑き僕たち〉は人じゃない」

「バケモノなら、いくら殺しても構わないってのか?」


 アルバートの詰問きつもんじみた口調にも、〈セーレ〉は涼しげな笑みを浮かべたまま。

 蒼玉サファイアの瞳は、無意味な議論に熱を上げる者たちを嘲笑わらうように冷たい。


「意外ですね、ミスター・バーソロミュー。貴方が義憤ぎふんに駆られる性格タイプだとは」

「罪だの倫理だの野暮な話をする気は無い、俺は事実が知りたいだけだ」


 疑惑を暗に肯定した〈セーレ〉に、弁解する様子は微塵もない。

 どころか、開き直るようにして言葉を続けてみせた。


「ある方から依頼をけましてね。……なんでも、なるべく多くの〈大悪魔の遺体ゴエティア〉が必要だそうで。集めて回ってたんです」

「へー、ちょっと楽しそ。あたしも混ぜてくれれば良かったのにー」

「お誘い出来ずにすみません。貴女には少し……


 わずかな沈黙のあと半笑いで放たれた言葉に、唇を尖らせていたワイスの碧眼が冷え込んだ。


「なーに? 喧嘩けんか売ってんなら、買うよ?」


 背筋の凍るような殺気を放射しつつもすぐに動かないのは、アナスタシアが立ちはだかっているからだろう。


 ――見立て通り、〈セーレ〉自身が率先して〈遺体〉を集めているわけではなかった。


 だがその依頼主とやらも、きっとただの蒐集家マニアではない。

 緩衝地帯グレーゾーンにたむろす野良の〈悪魔憑き〉ならいざ知らず、〈セーレ〉は商会ギルドの管轄内で問題を起こした。


 “本土”のマフィアどもが束になっても敵わない相手を、一個人が敵に回すなど正気の沙汰ではない。

 たとえ〈君主モナーク〉級の強力な〈悪魔憑き〉を手駒にしても、ただ〈遺体〉を集めたいだけなら危険リスクを負う真似はしないはずだ。


 それを容認したということは、なんらかの目的がある。

 商会を敵に回す危険性が些事さじに思えるような大義名分、あるいは野望が。


 この問題を放っておけば、いずれ商会ギルドかん均衡きんこう破綻はたんしかねない――

 直感的に思い至った可能性を、どうしても否定することができなかった。

 

「――それと、が来まして」


 人差し指を立てた〈セーレ〉が懐から取り出したのは、一通の便箋びんせん

 今どき珍しい、赤いろうによる封印がされた上質なものだ。


さらわれた、――とね」


 次いで投げられた言葉に、アルバートの身体には雷に打たれたような衝撃が走った。


「なんでも、最初は金で雇った“本土”のマフィアに奪還させる手筈てはずだったのが、失敗したらしく」


「さらに、別の〈悪魔憑き〉二体を使った包囲からも逃げおおせた……そこで僕に話が来たんです」


 滔々とうとうと語られる言葉に、相棒と顔を見合わせる。


 嘘とまことを聞き分けられる。ぎ分けられる。

 奴の言っていることが嘘ではないと分かってしまう。確信できてしまう。

 だからこそ、全てが符号ふごうしてしまう。


 ちまたを騒がす〈悪魔憑き〉殺し。

 謎の依頼と不審な棺桶にもつ

 突如として掛けられた懸賞金。

 棺桶かんおけの中にいたアナスタシア。

 高速道路ハイウェイ、バーガーショップ、そしてモーテルの安酒場で、立て続けに起きた襲撃――


 思考の中にぼんやりと点在していた疑問たち。その正体が鮮明になり、次々に線で結ばれていく。

 急速に形作られていく、最悪の可能性。


 一連の事象全てへの認識が、一気にくつがえされる。目眩めまいでも起こしたようにふらつく。足下が覚束おぼつかない。沈み込んでいく感覚。

 確かに踏みしめていたはずの床が、底なし沼に変わってしまったような。


 抱いた一抹の不安が、

 危惧していた最悪の状況が、

 いま逃れようのない現実となって、身体にのしかかってくる。


 アナスタシアの父親――フェルディナンドは、〈セーレ〉の依頼主クライアント。俺に仕事を持ち掛けてきた機械音声の主とはだ。


 首に掛けられた懸賞金は、冤罪えんざいなどではなかった。 

 俺たちは大企業の一人娘を攫ったで、マフィアや〈悪魔憑きフリークス〉どもはそれを取り返そうとする

 トドメに美形のスーパーヒーローまで参上する始末だ。


 ――められたのだ。

 

 犯罪の片棒を担がされたなんて言えるほど、ではない。

 もっと最低で最悪でしょうもなくてろくでもない、三下の悪役じみた顛末てんまつ

 黒幕にとって、俺たちはただの身代わり。トカゲの尻尾、贖罪の山羊スケープゴート


 もし、数日前に戻れるなら。

 夢のような報酬にまんまと釣られた、浅はかな自分をタコ殴りにしてやりたい。

 契約は必要最低限のデジタル書類と口約束のみ。反故ほごにされる可能性だってあったはずだ。


「バートってさー、大金カネが絡むとあたしよりバカになるよねー」

「あぁそうだよクソッ、今だけ優越感にひたってろ相棒ッ」


 失笑を向けてくるワイスの方を振り向けず、アルバートは苦い後悔を磨り潰すように奥歯を噛み締めた。

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