5-5.『そんなことしたら負けるよ、お前』

「俺の〈権能インペリウム〉――〈シャックス〉は、『攻撃を当てた相手の五感をひとつ奪う』ことができる。……ま、気付いたところでもう手遅れだがなッ!!」


 苛烈な攻勢を仕掛けるマグナス。

 拳や革靴が肌を掠めるたび、ワイスの視界には虫食い穴が増えていく。数手を打ち合う間に左目はもう見えなくなって、右目も半ばまで侵食されていた。


「じわじわと削って追い詰めようと思ってたが……気が変わった。次の一発でお前の目を奪う。その次は耳だ」


 視覚と聴覚、相手の動きを察知するために必要不可欠な器官。その二つを潰されれば、真人間ふつうの武術家は再起不能だ。

 しかし、防戦一方のワイスは笑っていた。

 ――不敵に、そして挑発的に。


「いいの? 、お前」


 窮地にいるとは思えない――むしろ勝ちを確信したような態度。

 警戒するように眉をひそめながらも、マグナスは鼻で笑う。


「ハッタリかましてられんのも今のうちだ。目も耳も不能でどうやって――」

「だーかーら、御託ごたくはいいって。試してみれば?」


 左目は苦しげに閉じられ、右目も焦点が合っていない。

 それでも余裕の表情で笑っているワイスは、またもや飼い犬を呼び寄せるように手招きする。


「ほら、来なよ初心者ヌーブ。お前とは踏んできた場数が違うってこと、分からせてやんよー」

「……大人を無礼ナメやがって、クソガキが。テメェは殺す、マジに殺す」


 うつむいて肩を震わせていたマグナス。やがてドスの効いた声でおどすようにつぶやくと、床を強く踏み付けた。


 衝撃がエントランスホールを揺らす頃には、拳打の間合いに到達している。宙に浮いた身体を高速で旋転させ放つ、二連の回転蹴り。


 一撃目が脇腹にめり込むその瞬間まで、ワイスは避けもしない。

 それどころか、まるで受け入れるように両腕を広げていた。


 臓腑を揺らす衝撃を感知した瞬間、視界が完全に暗転ブラックアウト

 ゆっくりと目を閉じるワイスの側頭に、革靴の爪先が吸い込まれていく。


 脳を揺らす衝撃インパクト。重たい激突音。

 刹那せつな、蛍光灯が末期まつごの輝きを放ち、エントランスホールが暗転した。



◆◇◆◇◆◇



「――せっかく立派な筋肉に仕上げたんだ、もっと有効活用しろよ」


「そうだ、ボディビルの大会に出ると良い。優勝間違いなしだぞ」


「俺が最前列でコールしてやるよ。『大胸筋が歩いてる!! 脳味噌はどこに置いてきた?』って」


 普段より滑らかに動く舌が余裕の現れだったなら、どれほど良かったか。


 アルバートの思考をむし焦燥しょうそうは、もはや声色にさえ伝播でんぱしていた。


 一体いくつの幻影ホログラムした?


 的を増やして撹乱かくらんし、絶え間なく攻撃を仕掛けてその場に足止めする。

 おかげで奴は、腕の一振りで幻影の上半身をほどに成長した。


 羽虫でも払うようにぞんざいに血霧に変えられた幻影たちは、デジタルドットとなって消え去る――より速く光の粒に変換、巨漢の〈印章シジル〉へと無慈悲に吸引されていく。


 無意味どころか奴に利すると分かっていても、抵抗を止めるわけにはいかない。

 突進の予備動作の暇を与えてしまえば、死は一瞬で迫り来る。


 覆せない絞首刑への十三階段を、限りなくのろい牛歩でのぼるような……あまりにも姑息な時間稼ぎ。


 そんな中、耳は新たな異音を捉えていた。

 腕を振るうたびに、ぶちり、ぶちり、と。

 まるで繊維質のなにかが引き千切られるような――


 音の出処を探るうち、巨漢の両腕にが浮き出ていることに気付いた。それは幻影を殺せば殺すほどに増えていく。

 ――か。


「いつまで悪足掻わるあがきを続ける。お前では俺の〈アンドラス〉に勝てん」


 肉が爆ぜる水音と骨の破砕音が絶え間なく響く最中さなか低音再生ウーファースピーカーを通したような重い声が腹の底を震わせる。


 いたことを隠す様子もない。もはや勝ちを確信した表情で、巨漢は葉巻ほどの太さの小指を立てた。


「良いことを教えてやる。……今の俺はな、小指これくらいの力しか使ってない」

「嘘だろ……今のでのかよ……」


 愕然と目を見開き、口を戦慄わななかせるアルバート。

 やがて俯き肩を落とすと、幻影ホログラムたちが一瞬でデジタルドットとなって霧散。


「……もうやめだ」


 破壊し尽くされた地下駐車場の一角に、耳の痛い静寂が訪れる。

 呆気あっけに取られる巨漢に対して、アルバートはやるせなく笑って手招きをした。


「エンジンも充分に暖まっただろ。そろそろ全身全霊フルスロットルで来たらどうだ?」

「なんのつもりだ」

「認めるよ、お前は強い。どうせ……最後くらいカッコつけさせろよ」

 

 首を傾げていた巨漢は、やがて小さく鼻を鳴らして姿勢を低める。


「抵抗どころか、生きることまで諦めたか――なら死ね」


 工事現場の掘削機ばりの異常な心拍数。

 違法改造車の重いエンジン音を思わせる筋肉の脈動。

 その後、割れる水風船を増幅したような鋭い破裂音とともに姿が消え――


 かすめた数本のコンクリ柱を氷細工のようにえぐくだきながら、不可視の弾頭がアルバートへ迫る。



◆◇◆◇◆◇



 薄闇の中で、断続的に響く殴打の音。それらは全てマグナスの手によるものだ。


 一方的、あまりにも一方的な蹂躙じゅうりん

 放つ拳や蹴りが少女の柔らかい身体を打ち付けるたび、吐き出す気勢は嬉々としてたかぶっていく。


 先ほどまでよりもような気もするが……まぁ大の男が女子供をなぶるのだからこんなものだろう。


「運送屋のガキ二人がここに来たってことはよ……エドガー、お前は酒場でろくに足止めも出来ずに死んじまったってことだよな。――フハハッ、本当に昔っからバカな奴だよ!!」


 熱に浮かされたように、マグナスの口からは誰かに向けた言葉がほとばしっていく。


不世出ふせいしゅつだけで満足しちまった、日和ひよって半端に人間辞めただけのお前とは違うッ」


「怪物に対抗するには怪物になるしかねェんだよ、そこを履き違えるから死ぬんだ」


「あの世から見てろよエドガー。怪物どもと同じ力を得た俺が、やがてこの島を牛耳る姿をなッ!!」


「手始めにテメェだ、小娘クソガキ視覚聴覚みみ嗅覚はな味覚くちも奪って、触覚痛みだけを活かし与え続けてなぶり殺してやるッ!!」


 目と耳を潰してから散々タコ殴りにしたが、マグナスはその後、えて〈権能インペリウム〉を


 目が見えず耳も聞こえない中、残された嗅覚・味覚・触覚だけで攻撃をかわすなどやはり不可能だ。

 おまけに恐怖に足がすくんでいるのか、攻撃に対してよろけるばかり。反撃は一切してこない。


 大口叩いて調子に乗った罰だ。今とは比べ物にならない恐怖を――痛みしか知覚できない絶望を味わわせてやる。


 よろけて下がったワイスを追って踏み込み、の如く腕を引き絞るマグナス。


 たっぷりといたぶった後は――こいつもおそらく〈悪魔憑きフリークス〉だ――まずその綺麗な顔面ごと脳味噌を潰し、二撃目で心臓をブチ抜いてトドメを刺す。


 勝利の確信に頬が緩む。

 湧き上がる嗜虐心しぎゃくしんに口の端を吊り上げながら、通った鼻梁びりょう目掛めがけて正拳が放たれ――

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