5-4.『そろそろ効いてきたんじゃないか?』

 轟音。激震。轟音。激震。轟音。激震――


 断続的な空間の揺れ。段々と響く間隔が狭まっていき――不意にぴたりと止んだ。


「――それ、流行りのロボット掃除機のモノマネだろ? 上手いじゃないか。……誇張しすぎててちょっと寒いけどな」


 アルバートが言葉を投げた先、地下駐車場の景色は一変していた。


 月面よろしくいくつものクレーターが穿うがたれ、その全てが磨り潰された骨肉で真っ赤に染まっている。


 “本土”の一部ではトマトを投げ合う祭典があるらしいが……それを限りなく凶悪で、悪趣味で、非人道的にしたような絵面だった。


 暴走特急の如く縦横無尽に駆け回り、ついぞ轢殺れきさつしてしまった巨漢が、ゆっくりとこちらを振り返る。


 景色を染めていた赤色が光の粒に還元される。ペットボトルの水を一気に飲み干すように、右肩の〈印章シジル〉へと勢い良く吸い込まれていく。


 皮膚の内側から、筋肉の異様な蠢動しゅんどうが聴こえる。ただでさえ巨大な体躯も、一回り大きくなっているように感じる。


 壁にぶつけた側の皮膚は激しく破れ、肉が潰れていた。

 衝撃で肉体を自損させるほどの推進力――最初は無かった現象だ。

 ように見えたのは、錯覚ではない。


 しかしその傷も、あっという間に治癒されていった――による自滅は望み薄か。


「無能な上司の下に付くのは苦痛だよな。暴れてストレス発散したくなるのも分かるよ」

「次は、お前がサンドバッグだ」


 田舎いなかなまりの抜けきらない野太い声と、空気の低いうなり――聞こえてきたのは


「――ッ!?」


 目を剥いている間に、視界の端に捉えた巨影が動く。拳が振り上げられる。振り向くことすら叶わない。指一本さえ動かせぬまま、上からの衝撃。



◆◇◆◇◆◇



 いわおを思わせる豪然とした構えを見せる金髪男――マグナス。


 対するワイスは立てた親指で鼻をこすった後、その場で軽い足踏みステップを挟みながら柳のように身体を揺らす。


 革靴が床を蹴り、強烈な衝撃が吹き抜ける。

 マグナスの回し蹴り。ワイスは半歩踏み込んで払い、腹に一発入れ、さらに追撃の裏拳。

 柔らかくしなる細腕。重さなど一切無さそうに見えるそれはしかし、間一髪で受けた太い腕を鞭のように強く打ち据えた。


 重い衝撃にマグナスは後退するも、すぐさま床をにじって距離を詰めてくる。


 上体を狙った正拳の連打。

 ワイスはことごとくはら退けて肘鉄で喉を潰すも、怯まず大振りな横殴りが繰り出される。

 左、右と迫るそれをくぐるように回避ウィービングしつつ脇腹を殴りつける。


 数歩下がるマグナスへ追い打ち、不規則に変化する軌道の四段蹴り。

 マグナスはそれを間一髪ながら全て捌き、最後の蹴り脚を掴んで捻り上げた。


 ワイスの身体は脚を軸に回転させられる――のを利用して、風車かざぐるまよろしく振り回した脚で側頭を蹴り飛ばした。

 『ほあちょーぅ』と、どこか気の抜けた怪鳥音が響く。


つう……ッ」

「んしょっ、と。あはっ、結構やるじゃーん。……マグネット? だっけ?」

「マグナスだッ!!」


 ヘッドスプリングで起き上がったワイスの言葉に、よろめいていたマグナスは歯をいて殴りかかる。


「――待った」


 すんすんと鼻を動かしながら、広げた掌を突き出すワイス。

 咄嗟とっさの出来事に、マグナスはきょかれたように脚を止めた。


「お前、変わった匂いするよね。あたしらと、


 匂いで分かる。奴も〈悪魔憑きフリークス〉――なんだけど、なんか変。

 のアルバートやあの角刈り男のような、濃い薄いの話じゃなくて。


「なんてゆーかな、ハンバーガーのパティが合挽き肉じゃなくて、それっぽい味付けのパサパサ大豆肉ソイミートだった……みたいな? んにゃ、かかってるソースは同じだけど、歯応えがなんか違う感じ?」


 うたぐるように首を傾げるワイスに、男はただにやついた笑みを返すのみ。


「俺は他にもっと、があると思うけどな」


 であるからこそ、暇潰しに巡らせた思索。それはワイスの脳裏にしこりのような違和感を残し――少しだけ反応をにぶらせた。


 生まれたごくわずかな間隙かんげきに、マグナスが一息で距離を詰める。

 間合いに入った瞬間、繰り出される上段回し蹴りハイキック。刀で首をねるような鋭い一蹴が左から迫り――


 


「ッ!?」


 咄嗟とっさに頭を守るように腕を掲げた腕に、丸太を叩き付けられたような重い衝撃。

 一瞬の混乱に思わずよろめくワイス。さらした隙を見逃す訳もなく、マグナスは容赦なく責め立てる。


 ――まただ。

 金髪野郎の振るう手足が視界から消える。間一髪で回避や防御が間に合っているのは、 が空気の流れに乗って届くからだ。

 いぶかしんでいた違和感は、どうやら顔に出てしまっていたらしい。


「――どうだ、そろそろんじゃないか?」


 言葉とともに飛んでくる蹴り。やはり消える。

 紙一重で回避――ならず、靴底が額の皮膚をこそぎ取っていく。

 ぬるりとした熱いものが目蓋まぶたまでってきて、思わず右目をつむる。

 ワイスは強烈な錆臭さびくささに顔を歪めながら、


 自分のことに気付いた。


「お前――あたしの目になんかしたな?」


 ようやく気付いたかとあざけるように、マグナスは得意げに口の端を吊り上げる。



◆◇◆◇◆◇



 頭蓋ずがいが割れ脳がひしゃ頸椎けいついが折れ背骨がゆがみ肉がぜ手足が曲がる――


 筋肉の鉄槌によって瞬きの間に潰れた幻影じぶんの姿を、アルバートはコンクリ柱に背を預けて眺めていた。


「お前、人と話すとき肉体言語を使うクチか? ……友達少なかっただろ」


 ――寸前で転換スイッチが間に合った。

 柱に寄りかかっているのは余裕ではなく、支えが無ければ立っていられないからだ。


 整息を感嘆の深呼吸に装い、膝の震えを苛立ちの貧乏ゆすりに見せかける。

 それらを気取られないよう装っていた平静は、次の瞬間にもろくも崩れ去った。


 巨漢の〈印章〉が輝き、潰された幻影が


「おいおいおい、冗談だろ……」


 唖然あぜんと開いた口から、乾いた声が勝手に漏れ出ていた。


 敵の階級クラスは〈侯爵マルキオ〉。

 〈権能インペリウム〉は、おそらく『殺した人間の身体能力を自身に加算する』能力。


 〈権能〉に干渉できるのは〈権能〉だけ。

 ――俺の〈ダンタリオン〉と、最悪な形で噛み合いやがった。


 今の奴の俊敏さでは、動き出してから見切るのは不可能。もはや予備動作すら捉えられまい。

 かといって幻影で回避すれば、それはかてになり、身体能力がさらに成長していく。

 おまけに正面から受け止める術は無い。

 時速数百キロの新幹線を人が束になって真正面から止められるか? 無理だろ。


 八方塞がり。どうしようもない“詰み”の状態。

 冷や汗が頬を伝う。口許は引き攣った笑みに歪む。もう笑うしかない。

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