5-2.『B級以下のクソ映画だ』

 長年放置され老朽化した空間には、薄汚れた空気が吹き溜まる。

 等間隔に配された蛍光灯の黄ばんだ光では、醸成じょうせいされた陰鬱いんうつな雰囲気は晴らせない。


 配線類が剥き出しの天井を支えるのは、いくつものコンクリ柱。大小のヒビが入ったそれらの耐久性はいかほどか……一抹いちまつの不安がよぎる。


 仄明ほのあかるい静謐せいひつの中で、蛍光灯が明滅し火花を散らす音が木霊こだましていた。


「追ってるの完全にバレてるって。この先、殺気でピリピリしてて最っ高だよー」


 割れた車窓から顔を出したワイスが、散歩に出たがる犬のようにうずうずと身体を揺らす。


「そうか、最悪だな。……人数は?」

「んー……」


 肺いっぱいに空気を吸い込んだワイスは、


結構けっこーいんじゃない?」


 小首を傾げていた。

 だろうな、とアルバートも思っていたので、さしたる落胆はない。


 ワイスの卓越した嗅覚は、言うなれば熱分布図サーモグラフのようなものだ。


 感知する温度が閾値しきいちを超えると画面が真っ赤に染まるように、一定数を超えると嗅ぎ分けが難しくなる。

 細部の精度はアルバートの聴覚の方が上だ。


 五、十三、二十五――敵数およそ四十。

 奥の方で息を潜めている。迎え撃つ算段でも立てているのだろう。


 風化した壁の破片が散らばる床をしばらく進んだころ、視界の奥にようやく目的の車が見えた。


 上階のショッピングモールへ続くエントランスホールの前に横付けされ、ドアは開け放たれたまま。

 アナスタシアと〈セーレ〉は、もうこの場にいないと見ていいだろう。


 問題は目の前の物騒な花道――左右の駐車スペースを埋め尽くす黒塗りの車たち。

 アルバートとワイスがそれらを一瞥いちべつすると、車両全てのドアが一斉に開く。


 黒一色のスーツにサングラス。

 物々しい雰囲気をまとった男たちがぞろぞろと湧き出て、行く手をさえぎった。


「うーっわ、うじゃうじゃいるー。黒いし臭いし、もうゴキブリじゃん」

「上で殺虫剤でも買ってこい。薬剤を部屋中に散布するやつな」


 軽口を叩きながら停車してエンジンを切る。シートベルトを外すアルバートを、ワイスが物珍しそうな顔で見ていた。


かないの?」

「車が汚れるだろ、ただでさえが良くなっちまったのに……」


 弾倉マガジンを叩き込んだ拳銃をふところのガンホルダーに仕舞うと、顎をしゃくって前方にたむろすたちを示す。


「行くぞ、ゴミ掃除だ」

「えへへぇ、待ってましたー」


 口許くちもとを緩ませながら左の掌と右の拳をぶつけ、ワイスも跳ねるように車から降りた。


 ドアを閉める音が重なる。

 歩み出た二人の姿を見止めると、黒スーツたちがにわかにざわつき始めた。

 放たれる殺気が、寒々しい空間をさらに冷え込ませる。


「――あ、親玉はっけーん♪」


 そんなことは気にも留めず、ワイスは片目を閉じて両腕を前へ伸ばす。

 左右の親指と人差し指を組み合わせた枠の中ファインダーに捉えたのは、ある男の姿。


 肉の盾バリケードの奥にいる、周囲の雑魚より一回り大きな体躯の巨漢。

 ……の隣に佇む、三十代ほどの男だ。


 白人特有の透き通るような肌。

 両サイドを刈り上げた金色の短髪が天を衝く。

 上質なテーラードジャケットの上からでも分かる、がっしりとした身体つき。

 にやついた軽薄な表情に加えて、真横に巨漢がいるせいでそれほどの迫力は無い。


 だが、ワイスの鼻が強者を嗅ぎ違えたことは無い。軍団を仕切るヘッドはあの男だ。


「んじゃバート、は任せるねー」


 ワイスはそう言うと、ひらひらと手を振って歩いて行ってしまう。


「は? おい待て駄犬バカ——」


 背に掛けた声は、前方からの怒号に掻き消された。

 殺到する黒スーツ軍団。アルバートは鬱陶うっとうしげに舌を打ち、大儀たいぎそうに襟締ネクタイを緩めた。



◆◇◆◇◆◇



「はろー。お前だよね、あいつらの頭」


 スーツ男たちを器用にかわして金髪男へ近付いたワイスは、立てた親指で背後の乱闘をぞんざいに指す。


 返答の代わりに一歩前へ出たのは、そばに控えていた巨漢。

 険しい顔で威圧的に指の骨を鳴らすのを、冷え切った眼で睨み返す。


邪魔じゃーま。モアイ像に用は無いよ」

「向こうに加勢しろ。この小娘ガキは俺が相手をする」


 渋る巨漢を制したのは金髪男。

 荒くれ者を取りまとめる存在だけあって、軽薄な雰囲気と裏腹に、声には臓腑に響くような重みがあった。


 離れていく巨漢を見送ったあと、彼はへらへらと緩い笑みをワイスへ向ける。


「俺とイッキウチをご所望か? 見上げた根性ガッツだな、お嬢ちゃん」


 男は胸の前で交差させた腕を引き『押忍!!』と叫ぶと、力強い掛け声とともにその場で正拳突きや蹴りをいくつか繰り出した。

 男の太い腕や脚が空を切るたび、風の唸りが耳に届く。


「俺はカラテとジュードーの黒帯ブラックベルトだ。本場のドージョーで習ったんだぜ」

「お、気合い入ってんねー。じゃ、あたしも真似しよっと」


 披露された演舞に軽い拍手をした後、ワイスは肩までずり下げて着崩した白いレザージャケットを脱ぎ捨てる。


 薄手の青いキャミソールと華奢きゃしゃな肩回りから続く二の腕が露わになる。

 悠然と構えたそのに、男は興味深そうな感心の息を吐く。


「ほう、功夫カンフーか。どこの流派だ? 八極拳、太極拳、詠春拳……まさか酔拳かな?」

「んー、なんだっけ、こないだ観たやつ……忘れちゃった。? でいいや」


 半身になり、開いた掌を相手に向けたファイティングポーズを取るワイス。

 首を捻って絞り出した答えに男は目を丸くした後、あざけりの苦笑とともに大きく肩を竦める。


「ハハハ、冗談だろ。悪いが見よう見まねのお遊びには負けないし、そもそも相手が女子供だろうと俺は手加減しな「あたしクソ映画って嫌いなんだー」


 並べ立てる言葉を遮る独白。

 人差し指を振っていた男は、整えられた眉をぴくりと跳ね上げる。

 その怪訝けげんな視線がる先で、ワイスは嘆息とともに目を伏せ、首をゆるゆる横に振っていた。


「たまにあるじゃん? アクション超大作って言ってるくせに、なっがーい自分語りモノローグから始まるやつ。アクションがメインなんだからさ、もう開幕からド派手な映像で引き込んで欲しいよねー。じゃないと飽きちゃう」


 持ち上げた目蓋まぶたの奥、碧眼へきがんに冷笑を乗せ、ワイスは鼻を鳴らしてあざける。


「臭うよー、お前。……Bだ」

「……うちの首領ボスが、浅黒い肌の女を抱くのは飽きたと言っていたな。確か次は、をご所望だった」

「ふぁ、ぁーあ、御託ごたくはもういいってー」


 好青年じみた笑顔を消して凄む男に、ワイスは緊張感の欠片もないあくびとともに手招きする。


「――舐めるなッ、小娘ガキが!!」


 男は怒りのまま右足で床を蹴り付け、爆発的な速度で踏み込んだ。

 前髪をめく殺伐さつばつとした風圧に、ワイスは獣の笑みを浮かべる。

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