Ch.5:DANCE everybody, KILL everybody

5-1.『貴女を助けに来たんです』

 五――四――


 ぎゅっと目をつむったまま、アナスタシアは胎児のようにその場にうずくまっていた。


 肉を裂く音が、苦悶くもんの声が、耳を塞いでも聞こえてくる。封じた視覚を補おうと、聴覚が鋭敏化しているのだ。

 それは昼間に見た酸鼻さんびな光景を否応いやおうなく想起させ、目蓋まぶたの裏の暗闇に投影していく。


 でも、あと少しの辛抱。

 三――二――



 不意に、地獄のちまたのような喧騒が消えた。



 終わったのかな。

 胸の中でひとりち、アナスタシアは震える目蓋を持ち上げる。

 ゆっくりと腰を上げ、いやに静まり返ったカウンターの向こうをのぞき込むと――


「……え?」


 頓狂とんきょうな声が漏れた。

 思わずぐるりと見回した周囲の景色は、

 カウンターのと一緒に、道路を隔てた向こう側にいたのだ。


 さっきまで、あそこにいたはずなのに。

 カウンター越しに見遣った安酒場の方からは、かすかだが今も喧騒が聞こえる。


「……ぁ、れ?」


 理解が追いつかず、掠れた声を漏らしたアナスタシアはその場にへたり込んでしまう。


 緊張で汗ばんだ肌を夜風が撫でたかと思うと、不意に視界の右端から手を差し伸べられた。



「――ご無事ですか? ミス・リーガン」



 すらりとした、それでも男性らしいたくましさを備えた指から、厚い掌、白タキシードの袖を辿たどり――

 終着点にあったのは、あどけない顔立ちを柔和な笑みで飾り付けた美青年。


 注ぐ月明かりスポットライトの下で金の髪をきらめかせ、まるでダンスパートナーを申し入れるようにひざまずく。

 その所作に、『白馬の王子様』なんて形容詞が思い浮かんだ。


「さ、僕の手に掴まって。立てますか?」

「…………」

「?」


 静止したままのアナスタシアに小首を傾げたかと思うと、美青年の顔は心配そうに青褪あおざめていく。


「……まさか、どこか怪我でも?」


 それを見てやっと、アナスタシアは自分が呼吸も忘れて見惚みとれていたことに気付いた。


「――ぁ、えと、だ、大丈夫です……っ!!」


 弾かれたようにすっくと立ち上がる。

 一瞬だけほうけていた美青年も安堵あんどしたように微笑ほほえみ、砂原の上に突いていた片膝を持ち上げた。


「そうですか。それは良かった」

「あ、貴方は一体……それに、どうして私の名前を?」


 一体全体なにがなんだか……混乱する思考を無理やりまとめて問いかける。

 すると、美青年は小さく震える両肩に手を置き、再び小さく笑った。


「僕は〈セーレ〉――


『五秒だけ待ってて。数え終わったら、ナターシャはもう安全』


 ――もしかしてワイスの知り合い?

 ――さっき安酒場で仲良さそうにしていたし、あの娘は『』とも言っていたし……


 考え込むアナスタシアを他所よそに、〈セーレ〉と名乗った美青年は手品師マジシャンのように掲げた指を鳴らす。


 すると、二人のすぐそば――さっきまで何も無かったはずの空間に一台の車が出現。

 夜闇より黒い流線型の車体が、月明かりを反射して黒曜石のように煌めいた。


「僕は貴女の味方ですよ。――さぁ、こちらに」


 目を丸くしているアナスタシアを他所よそに、〈セーレ〉はよくしつけられた使用人のように慣れた手付きでドアを開け、後部座席まで丁寧にエスコート。


 まるでお姫様シンデレラ気分。うながされるままに夢見心地で車に乗せられ、エンジンのうなりで我に返った。


「――あ、あのっ!!」


 車を発進させようとする運転手を呼び止め、隣の〈セーレ〉にあたふたと身振り手振りで説明する。


「まだ私の友達が、お店の中にいて……あそこ、今すごく危ないことになってて。お願いです、助けてくだ「しーっ」

 

 〈セーレ〉が急に鼻先まで顔を近付け、唇に人差し指を押し当ててくる。


 絵本の中から飛び出してきたような美形が、まるで口付けでも求めるように迫る。

 思考がショートする。頭の中が真っ白になる。懇願こんがんの続きは、浮かんで来なかった。


「大丈夫。あの二人なら、きっとすぐに追い付きますよ」


 柔らかい笑みと共に諭されると、不思議と安心してしまう。


「は、はい……」


 ほうけたようにそれだけ返して、アナスタシアは顔を背けるように小さく俯いた。

 顔が赤い、見ないでも分かる。触れた頬はひどく熱かった。


 ぱたぱたと手であおいで冷ますうち、〈セーレ〉のある言葉に引っかかりを覚えた。

 私は“友達”としか言っていないのに――



 どうして、って分かったの?



◆◇◆◇◆◇



「やられたな……あのスカシ野郎にまんまと出し抜かれたわけだ、俺たちは」


 〈セーレ〉の言っていたとは、アナスタシアを奪うこと。

 マフィアどもの襲撃はそのための陽動だった。


 苛々いらいらとハンドルを指で小突きながら、装甲バンを走らせるアルバート。

 その視線の先で、真白いシルエット――白狼シルヴィが夜闇を切り裂いて疾駆する。


 ワイスが追っているのはアナスタシアのだ。

 さっきじゃれついたときに覚えたらしい。普段は駄犬バカだが、こういう部分は抜け目ない。


 相棒が一度狙った獲物を取り逃がしたことは無い。

 今はテールランプの軌跡どころか車の影すら見えないが……案内ナビに従えば必ず辿たどく。


「奴はマフィアを利用したのか、それともグルなのか……どう思う?」

「お前の名探偵ごっこに、あたしを巻き込むなー」

「悪かったよ、駄犬バカには大学入試並みの難問だったな」

「……てかバートさー、?」


 ダッシュボードに脚を載せた相棒の指摘に、意識せず眉が持ち上がる。

 そうだ。ロゼとの会話に意識をいていたとはいえ、外にいた自分が奇襲に気付けないはずがない。


 車の走行音は嫌でも耳に入る。 

 撃つ直前に銃の安全装置セーフティを外す音さえ、普段なら聞き逃さない。

 で成功させるなど不可能――


 だが、寸前まで怪しい物音は


 普通なら有り得ない。

 だが、〈悪魔憑きフリークス〉が関わっているとなれば話は別だ。


「おそらく、〈セーレ〉がマフィアどもを安酒場あそこ。〈権能インペリウム〉を使ってな」


 “移動”の能力を用いて、銃火器を構えた戦闘員をとすれば。

 前兆の無い完璧な奇襲にも、一応の説明が付く。

 そしてこの仮説が正しければ、奴が移動させているのは物体――


 視界に入った景色への違和感に、アルバートの推測はそこで途切れた。


 行く先に見えてきたのが、大規模なショッピングモールだったからだ。

 おまけに、白狼シルヴィは迷いなくの入口へと駆けていく。


 ――おかしい。

 俺たちをくつもりなら、車通りも脇道も多い市街の方に行くはずだ。

 何故わざわざ袋のネズミに――


 いや、違う。


 奴らは逃げているのではなく、

 ネズミは俺たちの方で、地下駐車場はいわば――十中八九、罠だ。


「“本土”のギャングはずいぶんと優しいな。……さらった女を連れてお買い物と洒落込しゃれこむつもりらしい」

「ハ、綺麗きれいなお洋服でも買ってやんのー?」


 冗談ジョークを交わす二人を乗せた装甲バンは、スロープをくだり、洞穴のような闇をたたえる入口へ消えていく。


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