4-3.『ずっと憧れだったんです』

「――私も〈悪魔憑きフリークス〉になれば、二人みたいに戦えるのかな」


 それはきっと、誰に問うたわけでもない。 

 ふと思ったことが口から滑り出たのだろう。


「やめた方がいい」


 冷たく突き放すアルバートに、アナスタシアは狼狽うろたえる。それを穏やかな笑みでなだめつつ、真摯しんしな口調で続けた。


「〈悪魔憑き〉は簡単になれるものじゃないんだ。正直言ってリスクが大きすぎるし、取り返しのつかないだって起こる」


 引き止めるがしかし、アナスタシアはどこか負い目を感じているような、ばつの悪い表情で目を伏せる。


「けど、私を守ったせいで、貴方たちばかりが危険な目にってる。さっきだって……」


 翠緑の瞳が滑った先は、ワイスの二の腕。

 ジャケットに袖を通していて外からは見えないが、毒矢が掠めた傷にはハンカチが巻き付けられている。


 幸いにもごく小さな擦過傷さっかしょう、〈悪魔憑き〉の回復力ならあの毒にも抵抗できるようで、壊疽えその進行は厚紙ににじむ水滴のように緩慢かんまんだった。

 小型犬サイズの白狼シルヴィが傷を舐めて凍結させれば手当は充分。


 だが、アナスタシアはそれでも『手当するから腕を出して』と言って聞かなかった。


「……あんなのは日常茶飯事だし、荷物に傷一つ付けずに送り届けるのは運送屋としての責務。それに俺は『仕事が恋人』だし、ワイスだって『戦闘が恋人』って言ったろ? 好きでやってることだよ」


 それでもアナスタシアの表情は晴れず、ますます眉を下げてしまう。


「ただ守られてるだけなんて、そんなの……嫌です」

「そんなことはないよ。あの包囲網を抜け出せたのは、君が奴らの気を引いてくれたからだ」

「でも……」

「――ねぇね、ナターシャ」


 まごつくアナスタシアの袖を、ワイスが唐突に引っ張った。


、なんに見えるー?」


 ターコイズブルーのマニキュアが塗られた爪が、左の耳朶じだから下がる狼牙の耳飾りを軽くはじく。


「え……っと、ピアス……ですよね?」

「ぶぶー、残念ざんねーん。正解はでしたー。ちなみにこっちはイヤーカフねー」


 耳元に掛かる銀髪をかき上げると、パンクファッション風のピアスを精巧に模したものが露わになる。


「へ、へぇ……?」


 話の繋がりが見えず、困惑をありありと浮かべるアナスタシア。

 ワイスは構わず宙を眺め、うんざりと嘆息した。


「あたしもピアスしたいんだけどさー、あな空けてもんだよねー」


 ――〈悪魔憑き〉の自然治癒力の前では、だ。

 ピアッサーで空けた孔など薄皮がけたに等しく、もちろんまばたきする間にふさがってしまう。


 そのため、もっぱらワイスが耳に付けるのはイヤリングやイヤーカフ――ものばかり。


洒落しゃれもできないし、この身体ってけっこー不便だよー」

「あぁ。俺たちのために、君まで怪物に成り下がる必要はない」


 不安に寄り添ったアルバートの説得が響いたのか――

 ワイスの等身大の悩みに思うところがあったのか――

 二人の言葉をゆっくりと咀嚼そしゃくしていたアナスタシアは、やがて無理やり飲み込むように頷いた。


「……分かり、ました」


 表情にはまだうっすらともやが掛かっているが、思い詰めたような悲痛さは霧散している。


 きっと、自分の周りで他人が傷付くのが嫌なのだろう。

 他の誰かのことを思いやれる、稀有けうで高潔な性格。誰かを守るためなら、彼女はきっと自己犠牲すらいとわない――そんな確信があった。


 だからこそ、こんな掃き溜めインキュナブラの中で循環する空気を吸わせることすら罪深いと思ってしまう。


 ふと、先ほどまでアナスタシアに感じていた強い庇護欲ひごよくが、ことに気付いた。

 どうしてあんなに熱を上げていたのか、まるで分からなくなっている。


 熱狂の最中さなかに冷水を浴びせられたような覚醒感。

 目醒めたとき、さっきまで見ていた夢の内容を思い出せないときのような、一抹いちまつの喪失感。


 それらが渾然こんぜんとなった違和感に首をひねっていると――気まずい沈黙に耐えかねたか――アナスタシアがつとめて明るい声を上げた。


「仲が良いですよね、お二人は」

「「……はぁ?」」


 頓狂とんきょうな声が共鳴シンクロする。

 アナスタシアはにんまりとした笑みから一転して、目をしばたたかせた。


「あれ、良くないんですか? ……お互い愛称ニックネームで呼び合ってるのに?」


 そういうことか、とに落ちる。

 確かに、愛称で呼び合うのは親愛の証だ。はたから見れば仲良しに見えるのだろう。

 が、この二人の間には、とりわけ込み入った事情も深い理由も無かった。


「エーデルワイスなんて妙に長ったらしいファーストネーム、なだけだ」

「あたしもー」

「……前から思ってたんだが、アルバートAlbertのどこが長いんだ?」

「はぁ? お前なんか名前で呼ぶわけないじゃん。バーソロミューBartholomewの方」

「…………」


 衝撃の真実に啞然あぜんとしている間も、アナスタシアはまぶしそうに目をすがめ、二人を交互に眺めていた。


「いいなぁ、うらやましいです。私にはそんな距離感で話せる人、いなかったので……」


 意外な言葉に、アルバートは自分の眉が無意識のうちに持ち上がるのを感じた。


 人形のように整った容姿に、物腰柔らかく礼儀正しい性格。

 よほどひねくれた人間でもない限り、彼女を嫌いになる方が難しいはずだ。友人の一人や二人、すぐにできそうなものだが……


 感じたことをそのまま問うてみると、アナスタシアは小さく俯いてしまう。


「私、生まれつき心臓をわずらっていて。手術を受けてからも、ずっと入院してたんです」


 不安そうに左胸に手を当てながら、アナスタシアは言葉を紡ぐ。

 前髪が作り出した影が、目許めもとに寂しげなかげりを生んでいた。


「勉強は家庭教師に教えてもらっていたので、学校には行ったことがなくて。お見舞いに来る使用人たちはみんな優しいし、私のお願いをなんでも聞いてくれたけど……なんだか操り人形みたいで不気味だった」


 ぴったり揃えて閉じられた細い脚。ふとした瞬間の仕草や、コップを持つ所作ひとつ取っても、どれもワイスには無い気品を感じさせる。

 きっと裕福な家庭で生まれ育ったのだろう――その推測は当たっていたようだ。


「歳の近い人と仲良くなるの、ずっと憧れだったんです。だから、エーデルワイスさんに愛称ニックネーム付けてもらえて、すごく……すごく嬉しかった」


 噛み締めるようにつぶやくアナスタシアが見遣みやった先で、しかしワイスはふくれっつらをしていた。


「ぁ、あれ、エーデルワイスさん?」

「その呼び方、なーんか距離感じるからやだ。……ワイスって呼んで」

「ワイス……さん」

「ワ、イ、ス」

「ワ、……ワイス」


 根負けしたアナスタシアが気恥ずかしそうに頬を染めつつそう言うと、口を尖らせていたワイスも途端に破顔する。


「そーそー、それでいーの。あとそのあれ、ですます口調も禁止ねー。友達なんだから堅苦しいのナシナシー」

「分かりま――」

「…………」

「わ、分かった……っ」


 アナスタシアは照れ臭さを誤魔化すように口早になる。


「ぁ、あの、気になってたんだけど……ウルフェンシュタイン、だっけ? 珍しい名前だね」

「あー、なんか響きがカッコいいから使ってるだけで、じゃないんだよねー」

「え?」


、あたし」

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