4-4.『皆がいれば無敵だった』

「母親に煙草たばこの吸い殻と一緒にポイ捨てされてさ。父親は顔も知らない。……孤児? ってやつ」


 ――エーデルワイス・ウルフェンシュタインは、物心つく前に両親に捨てられ、流れ着いた貧困街スラムで育った。

 化粧メイクをして派手に着飾った今の彼女からは、確かに想像もつかないだろう。


 気怠げダウナー声音こわねつらねられるたび、アナスタシアの表情は驚愕から憐憫れんびんへと変わっていった。


「じゃあワイスは……貧困街スラムに、ずっと一人で?」

「“家族”がいたよー、四人。だけど、大切な家族。……なんかより、ずっと」


 エーデルワイスというファーストネームは、彼女が“家族”と呼び慕う貧困街スラムの仲間たちが名付け親と聞く。

 一方でファミリーネームは、彼女を保護したブレンダンが雰囲気で付けたものだ。


 天涯孤独てんがいこどくの身で過酷な環境を生きてきたのではないと知り、アナスタシアの唇から安堵あんどの息が漏れる。


「そうなんだね……どんな人たちなの?」


 問われたワイスは、天井を一瞥いちべつしてから語り始めた。


アランAlanはねー、泣き虫で鈍臭どんくさい奴だった。いっつも誰かの陰に隠れてんの。……けど意外と頑固なとこもあってさ、一度決めたらなに言っても曲げなかった」


「一番年上のブライアンBrianは、デカくてゴツくて、大人と喧嘩したって負けないくらい強かった。ナイフと護身術を教えてもらったんだ。あたしになパパがいたら、あんな感じなんだろなー」


「歳はあたしより一個下だけど、チャドChadは一番頭が良かった。スリとパルクールが得意で、口喧嘩も強いけど冗談ジョークはちっとも面白くなかったの。 

 あたしによく悪戯いたずらして来てさ。ドロシーは『好きだから意地悪してる』なんて言ってたけど……最後まで好きになれなかったな」


「あ、ドロシーDorothyっていうのはね、あたしのママみたいな人。エーデルワイスEdelweissって名前をくれたんだ。身体が弱かったけど、いっつもにこにこ笑ってて、優しくて。でも、怒らせたらちょー怖かった」


 不意に寂しげな溜め息が漏れる。白銀に色づいたそれはカウンターの上にわだかまると、小型犬の姿をかたどった。


「あぁ、シルヴィのことも忘れてないよ。んぁもー、ごめんて」


 前肢を持ち上げてぽかぽかとはたき出す白狼シルヴィ。くすぐったそうに笑ったワイスは垂れた犬耳をなだめるように撫でてゆっくりと吹き消す。


「シルヴィはね、同じ日に拾われた野良犬だったんだ。あたしによくなついてくれてさ。どこに行くにも一緒だった」


貧困街スラムの近くには世界中のゴミが集まる場所があって、そこで金になりそうなものを漁るんだー。……まぁ滅多にないから、いつもスリとか盗みで金や食い物を手に入れてたけど」


「他の孤児やつらも生きるのに必死だからさ……金目の物があれば取り合って喧嘩になるし。盗みがバレたら大人たちに追いかけ回されて、捕まったら死ぬほど殴られる」


「家どころか毛布もないから、かったくて冷たい土の上でぴったりくっついて寝て。ほんと最悪だったな……でも楽しかった。皆がいれば無敵だった。なーんにも怖くなかった」

 

 思い出を反芻はんすうするワイスの声音は、普段の彼女からは想像もつかないほど柔らかい。

 表情を強張こわばらせていたアナスタシアも、次第にほおゆるませる。


「そっかぁ。家族の人たちは今も元気にしてるの?」


 口調はそのままに、告げられたのは非情な現実。

 絶句するアナスタシアを尻目に、ワイスは首から下げていたチェーンネックレスを引っ張り上げた。

 極小の鎖に連なっていたのは、短辺が丸く削られた小さな鉄板――認識票ドッグタグ


 おそらく貧困街スラムでの拾得品だろう。元の持ち主の刻印は磨り減って読めない。その上から、ナイフでけずったような筆致で名前だけが刻み込まれていた。

 数は。ワイスも含めれば、話に出てきた孤児たちの数と符号してしまう。

 アナスタシアはいよいよ色を失い、自らへのいましめとばかりに唇を噛んだ。


「ごめん、なさい……」

「え? なんで謝んの?」


 うつむいたまま苦しげな声を絞り出すアナスタシアに、しかしワイスは心底から不思議そうに首を傾げる。


「な、なんでって……私、貴女に嫌なこと思い出させたのに……」

「いや、ナターシャが殺したわけじゃないじゃん。悪いのは『研究所ラボラトリ』だ」

「……『研究所ラボラトリ』?」

『そう。あたしの家族はみんな、


 にぶく光る認識票ドッグタグの乗る掌を、強く握り込むワイス。

 音立てる鎖は、怒りを噛み殺す歯軋はぎしりにも似ていた。


 『研究所ラボラトリ』――島の中央に位置する閉鎖された大病院、その地下に広がる実験施設だ。


 『インキュナブラ』の衰退と崩壊は、五年前に起きた唯一の医療事故が原因とされている。 

 だがそれはあくまでの話で、ただのに過ぎない。

 その裏には、隠されたがあった。


「あたしらは貧困街スラムに来た軍人どもに無理やり連れ去られて、薄暗い大部屋に放り込まれた。そこには同じように連れ去られてきた孤児が大勢いてさ」


「最初は、ちょっと喜んでたんだ。屋根のある場所で寝れるし、食事も貧困街スラムよかマシなのが出てくる。軍人たちのやり方は乱暴だったけど、助けてくれたのかも、って」


 ワイスは口の端を吊り上げる。出来上がった笑みには、彼女にしては珍しい自嘲の色があった。


「部屋にいる他の奴らが段々減っていってるのも、孤児院とかに送り出してくれてるんだと思ってた。……でも違った。『研究所ラボラトリ』の奴らは、孤児あたしたちのことを


 ――『〈大悪魔の遺体ゴエティア〉の臨床試験』。


 世界各地の貧困街スラムから集めた孤児たちへ〈遺体〉を強制的に移植。経過観察と称して、拷問じみた非人道的なを行っていたのだ。


 『老いと死の存在しない楽園エデン』をうたう裏で、昼夜を問わず繰り返された地獄の所業によって、数多あまたもの幼い命が犠牲になった。


 〈大悪魔の遺体ゴエティア〉の存在こそ伏されたが、その事実が白日のもとさらされたことで、『インキュナブラ』の信用は瞬く間に失墜しっつい


 一部の出資家や傲慢ごうまんな富裕層は我が身可愛さに賛同したらしいが……大多数の反対に押し切られ計画は凍結。人工島は閉鎖を余儀なくされた。

 医療神話もろとも島内の統治機構は崩壊し――その後の顛末てんまつは世界中の知るところだ。


 ワイスもまた臨床試験の被害者であり、そして数少ない

 今や島中に蔓延はびこる〈悪魔憑きフリークス〉たちの先駆けである、成功例プロトタイプのひとりだ。

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