3-6.『そうじゃなくてさ』

「パパ――お父さんに、会いにきたんです。仕事場の見学に行く予定で」

「そうか……君のお父さんは『インキュナブラ』でどんな仕事を?」


 アルバートの問いに、しかしアナスタシアはしばらく口を開けて茫然ぼうぜんとしてしまう。


「……え、? 私が知ってるのと、全然違う……」


 口からようやくこぼれた言葉には、色濃い当惑がにじんでいた。


「――ぁ、ごめんなさい、変なこと聞いちゃって……昨日ベッドで寝たはずなのに起きたら道路で、びっくりしちゃって」

「まぁ、あんなことがあったばかりだし、ここも以前とは様変わりしたからな」


 我に返り、あわて出すアナスタシア。

 しどろもどろなその弁明を、苦笑とともに宥める。

 先ほどまで棺桶かんおけに閉じ込められていたのだ、ここが『インキュナブラ』であると言われても信じられないだろう。


 だが――とアルバートは眉をひそめた。


 彼女はさっき、『私が知ってるのと、全然違う』と言った。おそらく過去に訪れたことがあるのだろう。


 かつて楽園をうたった『インキュナブラ』の凋落ちょうらくは、全世界が知るところだ。

 十代の若者なら少なくとも、悪党の溜まり場と化したことくらいは知っているはず。


 しかしアナスタシアは、……まるで、コールドスリープから蘇った過去の人間のようじゃないか。


「ねーね、今度はあたしと喋ろーよ。ナターシャってさ――あ、長いから愛称ニックネームで呼ぶねー。歳いくつー?」

「えと、十八です。確か」

「おー、同い年だー。そのスカーフずっと着けてんね、お気に入り?」

「これはパ――お父さんからのプレゼントで、私にとって大切なものなんです」

「へー。ナターシャのパパってさー、どんな人なの?」

「とっても優しくて、私が辛いときはいつもそばにいてくれたの。自慢のお父さんです」

「そっかー……ナターシャは幸せ者だね」

 

 まぶしそうにすがめられた碧眼へきがんに一瞬、羨望せんぼうの火花が弾ける。

 その後もバニラシェイク片手に談笑するワイスを、アルバートは物珍しそうに見ていた。


 異性に厳しく同性に甘いのは知っていたが……の彼女が初対面でこんなになつくとは。


 陳腐ちんぷな表現だが、守ってあげたくなる――不思議と庇護欲ひごよくを掻き立てる魅力が、アナスタシアにあるのは確かだ。


 それを自覚してなお、アルバートは彼女をどこか怪訝けげんな目で見ていた。

 つのる疑念のまま、意識は記憶をさかのぼっていく。


 棺桶が開いたとき、アナスタシアは

 あれほど派手な逃走劇カーチェイスと、トチ狂った相棒の乱痴気らんちき騒ぎの後にも関わらず。


 そして、まるで我が家のベッドで目覚めたかのような反応を見せた。

 吸血鬼ヴァンパイアに憧れるこじらせた若者じゃあるまいし、棺桶で寝る趣味があるとは思えない。


 仮に中で意識を失っていたにせよ、誰かに無理やり閉じ込められばパニックを起こしたはずだ。

 普通なら、半狂乱のていで飛び出してもおかしくなかった。


 だが、彼女は今の今まで随分と落ち着き払っている。

 心音が乱れたのは精々、マフィアどもの姿を目にしたときくらい――肝が座っている、なんて言葉では片付けられない。

 あまりにも不審点が多すぎる。


 素性を明かさない依頼人と破格の報酬。

 突如として自分たちに掛けられた懸賞金。

 それに釣られたマフィアによる高速道路ハイウェイでの襲撃。

 おまけに荷物の中身は――


 元から怪しかった雲行きが、さらに不穏になってきた。雷雲が機嫌悪くうなる幻聴さえ聴こえそうだ。


「――バート、どーするー?」


 ワイスの声に、スマートフォンに視線を落としながら応じる。


「……中身を見ちまったのはしょうがない、とりあえず目的地までは運ぶ。依頼主クライアントに突っ込まれたら、輸送中の事故ってことで誤魔化そ——」

「や、そうじゃなくてさ」


 続きを強く遮られ、アルバートはつむいでいた思考を中断せざるを得なくなった。


 手を止め、現実へと意識を向ける。

 ぼやけていた視界が、はっきりと焦点を結ぶ。


 ワイスは凍り付いた碧眼へきがんで周囲を眺め、アナスタシアはうつむいて目を右往左往させるばかり。いつの間にか、二人の会話は途切れていて――

 その様子を見たアルバートも、遅れて“異常”に気付いた。


 


「——あたしら、


 むなしく回り続けるシーリングファン。

 調理場からは肉の脂が弾ける音が響き、ポテトフライが揚がったことを告げるアラームは止まない。

 普段なら気にも留めないような環境音が、いやにはっきりと耳に届く。


 談笑の声で満ちる暖かな空気は既に無く、肌を突き刺す冷たい静寂だけがあった。

 じっとりと嫌な汗が吹き出る。肌に染み出すその音さえ聞こえてきそうだ。


 異変はそれだけではない。

 アルバートとワイス、そしてアナスタシアに向けて、注がれ続けるものがあった。


 無数に、無遠慮に、四方八方から三人に向けて引き結ばれる“線”が。


 ――視線、


 視線、視線、視線、

 視線、視線、視線、視線、視線、

 視線視線視線視線視線視線視線視線視線視線視線視線視線視線視線視線視線視線視線視線視線視線視線視線視線視線視線視線視線視線視線視線視線視線視線視線視線視線――


 が一斉に立ち上がり、三人を睥睨へいげいしている。


 声ひとつ出さずに、ただただ見ている。

 うつろな視線を、ただただ注ぎ続けている。

 客も、従業員クルーも、大人も、子供も。

 


 あまりに不気味な光景と、得体の知れない恐怖に反射的に立ち上がる。叫び出しそうになるのだけは必死で堪えた。


 息詰まる静寂と異様な雰囲気に飲まれたか、ワイスは座ったまま静かに様子をうかがっている。


 アナスタシアは、誰とも目を合わせないよううつむいている。華奢きゃしゃな肩は微細に震えていた。

 

 周囲の人間たちのわずかな動きにもすぐさま対応できるよう、神経を張り詰めていく。


「ワイス、構えろ。アナスタシア、机の下に身を隠せ。――俺が合図する」


 スーツの内側に手を入れた瞬間、全員の額に〈印章シジル〉が描かれ、銀色に発光。

 アルバートは素早く抜き放った拳銃を天井へ向け――


 轟く銃声、決壊する静寂。

 周囲に立ち尽くしていた人々が、全方位から波涛はとうとなって襲いかかってくる。

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