3-5.『お願いしたのは私ですから』

「……?」


 眼前の信じがたい光景に、かすれた声が口をいて出た。

 それが静寂の中に零れ落ちると、まるでせきを切ったように周囲が騒然となる。


「マジかよ……」「本当にいたぞ」「悪趣味な奴だな」「なに突っ立ってんだお前ら、早く――」

 

 それを小鳥のさえずりとでも勘違いしたのか、少女が睫毛を震わせる。

 目蓋まぶたが持ち上がっていき、蠱惑的こわくてきな妖しさをはらんだ猫目がのぞく。


 起き抜けに差し込んださえぎるように手をかざし、ゆっくりと上体を起こす。

 美しい金髪をしゃらりと揺らし、眠気を追い払うように頭を振る。


 場違いなほど優雅な覚醒を経て――状況を理解した瞳孔はおびえに細まった。

 視線の先には二人の男。流れ弾を食らうも軽傷で済んだ彼らが少女へと近付いていく。


 外された視線が偶然ぶつかる。

 少女は翠緑すいりょくの瞳ですがるようにアルバートを見つめ、薄い唇を小さく動かした。



「お願い――



「おじょうちゃん落ち着け、」

「俺らはあんたを――」


 言葉の続きを銃声がさえぎる。

 銃弾とナイフでそれぞれ頭蓋ずがいを貫かれた二人が倒れ、飛び散る血と脳漿のうしょう


 喉の奥で小さな悲鳴を上げる少女をかばうように、アルバートとワイスが男たちの前に立ち塞がった。


「これは俺らが運ぶ荷物お客様だ、」

くっさい手でベタベタ触んなー」


 半身の背中合わせで立ち、それぞれの得物を突き付ける二人へ、殺気と銃口が集中する。



◆◇◆◇◆◇



「本当にいいんですか? お洋服まで買ってもらっちゃって……」


 昼下がりのバーガーショップ。

 店の中央――左右に二つずつ椅子が配されたテーブル席に、三人は座っていた。


 周囲は様々な人々で賑わい、談笑の声があちこちから聞こえる。

 まさしく平穏な一時ひととき。暖かい雰囲気に包まれると、緊張の糸が次第に緩んでいくのが分かる。


「構わないよ、だ。ネグリジェ姿で出歩かせるわけにいかないしな」

「似合ってるよー、かーわいー」


 ワイスの言葉に、薄くそばかすの浮いた頬を染めてはにかむ少女。その出で立ちはさっきまでと様変わりしていた。


 胸元にフリルをあしらった白いブラウスに、紺のハイウエストスカート。

 首元のスカーフが差し色になって、よく映えている。


 ロリータファッションに寄せた意匠デザインの衣服と、病的に生白い肌もあいまって、『深窓の令嬢』という形容詞がよく似合う。

 ここに来る途中、寂れたブティックに立ち寄ったわけだが……彼女の審美眼センスに任せて正解だった。


 もしワイスに見繕みつくろわせたら、全く似合わないパンクファッションなど着せていたに違いない。


「んふー、うーまー♪」


 アルバートの胡乱うろんな視線も気にせず、斜向はすむかいに座るワイスはハンバーガーにかぶりついて至福の表情を浮かべていた。

 挟まっていたピクルスは、当然のように包み紙の上に隔離されている。


「よ、よくそんなに食べれるね……」


 その隣、ちょうどアルバートの向かいに座る少女は顔を引きらせる。


 なにせワイスが食べているのは、パティとバンズが交互に重ねられた代物。


 子供の頭ほどもあるそれを既に平らげて、さらにポテトフライやナゲット、バニラシェイクなどのサイドメニューにも手を伸ばしているとなれば......無理もない反応だった。


「まぁ、俺たちの仕事は身体が資本だからな」


 〈悪魔憑きフリークス〉の肉体が持つ、驚異的な運動能力と治癒能力――

 その根幹を為すのは、過剰かじょうなまでに促進された代謝機能だ。

 激しい運動や治癒再生を多く繰り返すほど、消費されるカロリーも莫大ばくだいな量になる。


 特に動き回る前衛職ともなれば、大食い選手フードファイターもびっくりな量をペロリと平らげてみせる。

 ワイスがまだ十代後半の少女であるから、で済んでいるのだ。

 それは懐の寂しいアルバートにとって、数少ない僥倖ぎょうこうと言えた。


「そゆことー。本当に食べなくていいの? ほれほれ」

「あー……私は、大丈夫。あんまりお腹空いてないので……」


 少女は曖昧あいまいな苦笑とともに、向けられたポテトフライの包みに手をかざして遮る。


「ふーん、そかそか」


 ワイスは気にする様子もなく、包みを逆さにして残り少ない中身を一気に口へ流し込んだ。



『お願い――たすけて』



 高速道路ハイウェイでそう助けを求められ、マフィアどもを全滅させた。


 まともな十代の少女が感受するには、あまり酸鼻で残酷な光景。

 凄惨せいさんな死に様を間近で直視すれば、食欲が湧かなくなるのが普通だ。


 その様子を見て真っ当な罪悪感を覚えられるほどには、アルバートはまだだった。


「この街で荒事になれば、躊躇ためらった奴からられる。君を助けるためには仕方ないことだった。責任を感じる必要はない」

「いえ、『助けて』とお願いしたのは私ですから。……でも、できることなら、次はもっと穏便な方法で」

「善処するよ」


 まだうっすらと蒼い顔で、それでも気丈に微笑ほほえむ少女。

 その内心を察しながらすすった珈琲コーヒーは、責めるように強い苦味で舌を刺してきた。


「……そういえば、まだ名乗ってなかったね。俺はアルバート・バーソロミュー、こいつは相棒の――」

「エーデルワイス・ウルフェンシュタイン。ワイスでいいよー」

「――俺たちは二人で運び屋をやってる」


 ジャケットの内側から取り出した名刺をテーブルに滑らせつつ、もう片方の手で相棒を示す。

 珍しく人懐ひとなつっこい笑みを浮かべて手を振るワイスに、少女もようやっと相好そうごうを崩した。


「私はアナスタシア。アナスタシア・リーガンと言います」

「リーガン……」

「……どうか、しましたか?」


 しかめっ面で復唱するアルバート。

 アナスタシアが不安そうに問うてくるのに、記憶の検索を一旦いったん止めて笑みをつくり誤魔化した。


「いや、聞き覚えがある気がしただけだよ。よろしく、アナスタシア」


 握手を交わした後、自分たちの仕事内容と今に至るまでの経緯を――もちろん、素性不明の依頼主などの不審点ははぶいて――ざっくり説明する。

 ワイスの冷たい視線は当然、無視。


「――で、フタを開けてみたら君がいたわけなんだが……マフィアに狙われる理由、なにか心当たりはあるかな」

「……その、申し訳ないんですけど……無いですね」


 困ったように眉を下げながら、おずおずと答えるアナスタシア。

 力になれなくて不甲斐ない……揺れる瞳が言外に語るのを、温和な笑みで受け止める。


 ワイスを一瞥いちべつ。アイコンタクトで意図を悟った相棒は、小さく首を横に振った。

 ――どうやら、嘘は吐いていないようだ。


「そうか……じゃあ、君自身が覚えていることを教えて欲しい。少しずつ、ゆっくりでいいよ」


 アナスタシアはしばらく宙を眺めた後、訥々とつとつと言葉を零し始めた。


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