0-9.『お膳立てごくろーさまー』

「だから、遊んでないで早く決めろって言ったろ……」


 周囲に橙色の砕氷が舞う中、アルバートは苦々しく吐き捨てた。


 ――戦闘中毒バトルジャンキーのワイスには、対戦相手とまず悪癖クセがある。


 〈悪魔憑きフリークス〉戦で主軸メインとなるのは、〈権能インペリウム〉による異能の応酬。

 しかし、彼女はえてその使用をギリギリまで封じ、ナイフと体術だけで敵に挑もうとするのだ。


 命懸けでナメた真似をする――本人が言うには『じゃなくて縛りプレイ』らしいが――相棒は、アルバートの悩みの種のひとつだった。


 ようやくになったワイスは、その文句を『ハ、』と鼻で笑ってみせる。


ごくろーさまー。お前はそこで寝てていいよ。後はあたしに――いや、」


 言葉を切って、ふぅ――と小さく吐息する。


 口から漏れ出したのは、氷雪の欠片が混じった白霧。

 それは次第に膨れ上がり、呼応して周囲の空気がダイヤモンドダストのように冷たく煌めき出す。

 混ざり合う二つはある形状に収束していき――


 やがて獣のうなり声とともに現れたのは、一匹の巨大な


 スポーツカーほどの体躯に霜雪そうせつの毛並みをまとい、蒼玉サファイアの瞳が敵を睥睨へいげいする。


 おぼろ輪郭りんかくの狼はまるで生きているように主へと寄り添い、白い頬に鼻先を擦り付ける。

 ワイスはその下顎を愛おしそうに撫でた後、殺意に冴えた碧眼で標的を睨み付けた。

 

「――あたしとシルヴィに任せとけ」


 白狼シルヴィは巨体をしなやかに沈み込ませると、ひとつ吠えて飛び掛かる。

 

 対する中年男は半狂乱の叫びを上げながら、コンクリ床に突き刺さっていた三叉槍トライデントを引き抜いて投擲とうてき


 転送時の勢いが無くとも、〈悪魔憑きフリークス〉の膂力を乗せれば砲弾ほどの威力にはなる。


 空を切った三叉槍は狼の右目をえぐり、そのまま半身を貫通。

 血飛沫のように大量の細氷が舞い散り煌めく。


 しかし白狼が駆ける勢いはおとろえない。

 散った細氷は意思を持ったように寄り集まって、穿うがたれた箇所に吸い込まれていき――欠けた輪郭りんかくが修復される。


 ワイスの〈権能〉で生成された白狼シルヴィに、


 その巨躯を形作るのは、微細びさい霜雪そうせつの集合体――物理攻撃は意味をさない。

 霧や煙を殴り付けても――風圧や衝撃で形は崩せるが――現象そのものを壊せはしないように。


 こちらも勢い衰えぬ三叉槍は当然、直線上にいたアルバートの方へ飛び来る。


「――っぶねぇ!!」


 咄嗟とっさに伏せるも、矛先のひとつがジャケットのえりを貫いた。

 そのまま凄まじい勢いで後ろへ引っ張られ、壁に激突。

 びょぃぃん――と、長大なが間抜けにしなる音が響き渡った。


「おい駄犬バカ!! 後ろに俺いるんだぞ!!」

「だから寝てろって言ったじゃーん?」


 首根っこをつかまれた猫のように壁にぶら下がった間抜けアルバートに、ワイスは一瞥いちべつもくれない。


 そのかんに、白狼は中年男に肉薄。

 開かれたあぎとが再生途中の左腕をとらえた。


 食い散らかされた骨付き肉のようなそれは、白銀の吐息に触れたそばから凍結。

 透き通った氷柱つららの牙が閉じると、骨も肉もまとめてガラスのように音立てて砕け散った。


 食い縛った歯の隙間から苦痛の唸りを上げながら、中年男は後退。

 その最中さなかに己の左腕を一瞥し、またも目を見開いた――白霜に覆われた断面が、


 白狼シルヴィは、触れるもの全てを凍らせる。

 急速凍結により脆化ぜいかした肉体は容易たやすく割れ砕ける。

 低温状態で代謝を極端に低下させることで、肉体組織の再生までも阻害する。


 〈権能〉を発動させたワイスの前では、不死身の怪物さえ磁器人形フィギュリンに等しい。


 絶対零度という概念が姿形を得たかのような極低温の暴虐に、中年男は狼狽ろうばい戦慄せんりつ雄叫おたけびを上げながら再び〈権能〉を発動させた。


 牙をいた白狼シルヴィの前に一条の青白い光が飛び来ると、閃光手榴弾スタングレネードとなって爆発。


 漂白される視界。つんざくような耳鳴り――

 壁際のアルバートでさえ怯むほどの衝撃。間近で食らったワイスは苦悶くもんの声を上げ、白狼の動きが鈍る。



 耳鳴りの残響が遠のき、目に映る世界が色と形を取り戻した頃には――中年男の姿は忽然こつぜんと消えていた。


「……逃げられたか」


 三叉槍の拘束からようやく逃れたアルバートが駆け寄って言葉をこぼす。

 振り返ったワイスの顔は、まだ冷たい闘志でかげっていた。


「おい……まだやる気か?」

「当然。言ったっしょ――」


 うんざりとあきれまじりに嘆息たんそくするアルバート。

 ワイスは白狼シルヴィまたがって――実体の無い獣に彼女だけが触れられる――目を閉じ深呼吸。


「必ずタマるって、さ」


 開眼。

 碧い双眸そうぼうにあるのは、獲物をどこまでも追いかける猟犬の輝き。



◆◇◆◇◆◇



 湿ったアスファルト、

 生ゴミであふれたポリバケツ、

 浮浪者ホームレスが寝床にしていそうな、カビの生えたダンボール――


 それらをまとめてすすけた壁でサンドした薄暗い路地裏には、よどんだ空気が吹き溜まる。


 白狼シルヴィを伴って、ワイスはそこに足を踏み入れた。


「はろー♪ トドメ刺しに来たよー、おっさん」


 にこやかな笑顔で手を振るも、反応はない。

 さっきまでこぼれた生ゴミを漁っているカラスがいたが、巨大な狼の姿を目にすると怯えて飛び去ってしまった。


 しかし気に留める様子もなく、ワイスは真っ直ぐに歩いていく。

 ブーツが湿った路面を叩く音だけが反響する中、見えてきたのは壁に配線を伸ばす薄汚れた室外機。


 その影からはみ出ているを見て、ワイスは失笑した。


「隠れられてないよー、それ」

「う、あぁうあう」


 肥満体——中年男がビクリと震える。

 慌てて逃げようとして、近くにあったポリバケツを薙ぎ倒して派手にすっ転んだ。

 ひっかぶった生ゴミに塗れたまま、右腕と両足を必死に動かしっていく。背後の追跡者をかえりみもしない。


 その醜態しゅうたいを冷ややかに眺めた後、ワイスはやれやれと肩をすくめた。

 中年男へ悠々と近付きながら、誰ともなしに語り始める。 


「あたしさぁ、んだよねー」


 特技を披露する幼子のように誇らしげに、跳ねるような足取りで進み。


「お前のそのくっさい体臭を追うくらいは、超楽勝なわけ」


 獲物を追い詰めた獣のように愉悦ゆえつに浸りながら、這い進む中年男の横に並び。


「だからもう諦めなよー。あたしとシルヴィから——」


 やがて追い越し、くるりと中年男の前へ回って仁王立ち。

 行く手を塞ぐように、あるいは己の姿を誇示するように両腕を広げる。


「――〈マルコシアス〉からは、もう逃げられない」

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