2-4.『一晩、尻を貸すだけで良いのよ?』

「――ちょっと聞いたわよォ。アンタたち、まーた面倒事に首突っ込もうとしてるみたいね?」


 マスターからカウンター越しにコーヒーカップの乗った受皿ソーサーを受け取り、バーチェアに腰掛けたアルバートは苦笑する。


「相変わらず情報が早いな。一体どうやって仕入れてるんだ?」

「企業秘密に決まってるじゃない。バレたら商売上がったり……なぁに、気になるの?」


 小さく肩をすくめて、蠱惑こわく的な上目遣うわめづかいで問い掛けてくるマスター。

 アルバートは珈琲コーヒーに口を付けながら返す。


「経営者の端くれとして、他所よその業態に興味はあるよ」

「まぁ感心。一晩アタシの相手になってくれたら、考えてあ・げ・る♪」

「やめとこう」

「あらら、残念ざんねぇん


 マスターは手で口許を押さえ、くすくすと妖艶ようえんに笑う。

 包容力にあふれる年上の美女、どれだけ良かっただろう。


 からかうような声はチューバのように野太い安定感。

 豆挽機コーヒーミルを回す腕はやたらに太くたくましく、シャツの胸元がはち切れそうになっているのは、ボディビルダーさながら分厚い胸板のせいだ。


「一晩、だけで良いのよ?」 


 筋骨隆々マッシブな男が、薔薇ばら刺青タトゥーが入った半面をアルバートへ向け、濃いアイシャドウの乗った目蓋まぶたを閉じてウィンクする。


 ロゼ――本名ロミオ・ツァイスル。

 喫茶店兼酒場カフェバー『ロゼッタ』を経営する元ジャズミュージシャンであり、『フルーレティ・ストリート』全体を仕切る首領ドンだ。


「大丈夫だよバート。あたし、同性愛ホモセクシャルに理解ある方だからさー」


 両手で持ったマグカップから蜂蜜はちみつ入りホットミルクをちびちび飲みながら、隣の席のワイスがにやついた顔を向けてくる。


「お前がでも、軽蔑けいべつしないって」

「お前からの好感度なんて、もうマイナス振り切ってるだろ。いまさら増えてなんの得がある」


 毒を吐いたついで、昼食代わりのサンドイッチを口に詰め込む。

 新鮮なトマトとハム、クリームチーズの絶妙な合わせ技マリアージュを味わっているかたわら、ワイスが『おー?』と驚いた顔をしてみせた。


「今の発言、ポイント高いよー」

「なんのポイントだよ……貯まったらなんかくれるのか?」

無料タダでお前の命と引き換えられる、あげるー」


 首筋に鋭利で冷たい感触。

 いつの間にか、頸動脈けいどうみゃくのあたりにナイフが添えられていた。

 見えなかった——ナイフを抜く予備動作も、マグカップから手を離したことさえも。


「ちなみにー、月に一度のにはポイント十倍で――」

「ワーイースー?」


 極めて優しい調子の声が、相棒の暴挙をさえぎる。


「ウチで流血沙汰を起こしたらどうなるか……?」


 細指が握るナイフへと注がれるロゼの冷え切った視線と、穏やかな笑顔の裏にある有無を言わさぬ謎の圧力。

 するとワイスは毒気を抜かれたように嘆息たんそくし、意外にもあっさりと手を引いた。


冗談ジョークだよー、ロゼ。……ほら、バートも笑ってるじゃん」

「いま俺が笑ってるのはな、明日の朝食を見たお前が泡吹いて倒れるのが想像できたからだよ。……今日は震えて眠るがいいさ」

「二人とも、あんまりバカな真似しないようにね? 度を過ぎたら……追い出しちゃうから」


 冗談にしてはいくらか冷たく真剣な口調のロゼに、アルバートとワイスは舌戦ぜっせんほこを収めた。


 『バーソロミュー&ウルフェンシュタイン警備輸送』は、あくまで中立の無所属フリーランスという立場を貫いている。


 単に商会ギルドごとの規則ルールに従うのが面倒なのと、どこかの庇護下ひごかにあると他からの仕事が受けられないからだ。

 ダブルブッキングなど起こした日には、商会同士のいさかいに発展しかねない。


 反面、無所属フリーランスであれば仕事の間口が広がる。

 面倒なしがらみや、組織の垣根かきねを越えて様々な相手から依頼を受けられるのだ。


 アルバートは経営を続ける中で、既に人工島インキュナブラを仕切る六大商会、その全てとの繋がりコネクションを得ていた。


 しかしそれは所詮しょせん、ギヴ・アンド・テイクでのみ繋がる希薄きはくな関係。

 いざというときに頼れる強力な後ろ盾バックアップは存在しない。


 どれほど楽しく談笑しようと、冗談を言い合えるほど親密になろうと……ロゼが向ける笑顔は、客に向けての愛想笑いのまま変わらない。


 腹の内を明かす危険リスクに対して必ず成果リターンを上げ、信用を積み重ねていく。部外者おれたちを利用することによる有用性メリットを示し続ける――それだけが生命線だ。

 使えないと分かれば、必要ないと判じられれば、あっけなく切り捨てられる。泣きついたところで、零細事務所なんて歯牙にもかけない。


 信用という糸をありとあらゆる場所に張り巡らせ、ほつれないように逐一ちくいち結び直す。それを繰り返して出来たわずかな足場の上に、やっとの思いで立っている。


 軒下のきしたに張られた蜘蛛の巣と同じだ。

 雨が降れば、水滴の重さでたわむ。

 突風が吹けば、容易たやすく千切れ飛ぶ。

 悪意ある人間に見つかれば、目障めざわりだからと無遠慮に巣を壊される。


 この島の情勢そらもようを読み、できるだけ弾雨あめ血風かぜさらされない場所を探り当て、そこに張った細い糸の上を、おっかなびっくり渡り歩いている。


 現状を改めて考えると苦行のようだが……それが不必要な敵を増やさないための安全策なのだ。

 もっとも、刺激スリルを好むワイスからしてみれば退屈なのだろうが。


「――それで、今日はなにをご所望?」


 言って、小洒落こじゃれたデザインのメニュー表を差し出してくるロゼ。

 と暗に示す彼女に、アルバートは胸ポケットからスマートフォンを取り出した。

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